■三国志キャラ伝>司馬懿伝/中。諸葛亮が分からない(3)
■秋風五丈原 杜襲と薛悌が、来年の収穫があれば諸葛亮が攻めてくるから、隴右(隴西)に兵糧を運ぼうと言った。仲達は、「諸葛亮は前回攻め損ねたから、野戦に持ち込むため隴東に出るだろう」と言った。 もっと言ってるんだけど、意味がわからん。。冀州から農夫を上邽を移動させ、京兆、天水、南安を耕させたようですが。   234年(仲達56歳)諸葛亮が最期の北伐に出てきた。 諸将は安心して戦える渭北への布陣を求めたが、仲達は「渭水南には、百姓が多い。必爭之地である」と言って、わざわざ背水を布いた。 北方『三国志』で、諸葛亮が「戦いに応じないならば、我々の陣取った場所から西を蜀領とする」なんて言い始める。仲達が布陣場所を選んだ根拠が、人口という国力の指標だったならば、あながち的外れな想像ではないのか?あの小説では、諸葛亮の思惑を、アイディアを枯らして捻り出した感じだったんだが笑   仲達は、諸葛亮の動きを見て、コメントした。「諸葛亮が勇者なら、武功から東を目指す。西の五丈原に行ったら、諸軍は無事だろう」 諸葛亮は五丈原に行き、渭水を北へ渡ろうとした。仲達は、周当を陽遂に置いて餌としたが、東には見向きもせず、動かない。「この意は知るべきである」と仲達が言っているが、すごくいろんな意味に取れる。 諸葛亮が東を目指さないなら、彼は勇者でも脅威でもない、ということか。諸葛亮の真意を確かめなければならない、という意味で、マジで東に出てこないか追加確認を求めたのか。 将軍の胡遵、雍州剌史の郭淮を陽遂に向わせ、積石の原野で諸葛亮と会戦した。諸葛亮は東に進めず、五丈原に戻った。 五丈原というと神聖なムードすら漂わせる地名だが、諸葛亮はこんなところに滞陣している場合じゃなかったんだね。東に進む足がかりとして立ち寄ったものの、ついにそこから出られなくなって、泣く泣く死期を待っていたんだ。北伐失敗は不本意だったろうが、五丈原に閉じ込められたことも不本意だったんだ。 諸葛亮が好きならば、あんまり五丈原にトキめかない方がいい笑   遺言で「私が死んだら撤退せよ」と言っていて、ファンは「諸葛亮の寿命が延びていれば、まだ司馬懿を破る希望があったものの」と思う。 でも、もし諸葛亮がいても、あまり希望は持てなかったんじゃないか。   ■魏の無関心 仲達は、諸葛亮を怖れて死を待っていたんじゃない。東に攻め入られることを怖れていた。指揮官が誰だろうと、守りを固めているのが正しい作戦だったんだ。   後から書きますが、仲達が諸葛亮のすごさを本当に知ったのは、諸葛亮が死んで、陣の跡地に踏み込んでからなんじゃないかと、ぼくは思います。 諸葛亮に翻弄される仲達が『演義』の虚構であることは知られているが、魏の人々の諸葛亮に対する恐れまで『演義』の虚構であることは、なかなか気づきにくい。 魏にとって諸葛亮は、「ときどき巧いことをやるが、基本は戦ベタの小国の政治家」というレベルだっただろう。呉に比べると、蜀は軽視されていたようだから。 この蜀の軽さは『晋書』のトリックなのか?後日の課題とします。   ■かけこみ辛毗 諸葛亮の挑発があったが、辛毗が節を杖にして軍門に立っていたので、仲達が攻めて出ることはなかった。 『晋書』が諸葛亮と姜維の会話を書き残している。珍しいこともあるもんだ。 姜維「辛毗が来たからには、もう決戦はないでしょうね」 諸葛亮「仲達には、戦う気がないんだ。(孫子には)遠征している将軍は、君命を受けないこともあるという。攻めるつもりなら、曹叡の命令なんて要らない。攻めないつもりで、主戦派を押さえつけようと言うのだから、辛毗が来たのだ」という感じか?   いやあ、意訳って難しい! これを演出するなら、辛毗が仲達の陣に入ったという報告を聞いて、諸葛亮は「ああ!」と天を仰いで、吐血して突っ伏すんだね。そして、姜維が「どうされましたか」と援け起こすと、今の謎駆けをするんだ。 報告を聞いた瞬間の、事態の全貌をつかんでしまう頭の良さが、よく表せるじゃないか。それと同時に、勝機が去ったという諸葛亮の無念も表せる。   ■諸葛亮評 弟の司馬孚が、軍事について仲達に聞いた。 仲達「諸葛亮は、志大而不見機、多謀而少決、好兵而無權」   すなわち、志はデカいが、チャンスを見逃す。あれこれ頭で考えるが、行動に移せない。たびたび出兵はしてくるが、一本調子だ。すごい酷評なんですが、陳寿の言っていることと共通する。 さすがに『晋書』が諸葛亮の全てを表せてるとは思わないが、ここまで「宣帝紀」を読んできた限りでは、本当にパッとしない軍人だなあと思います。
  ■生ける仲達が奔る 諸葛亮が死に、蜀は陣を焼いて退却した。 仲達は進み、蜀の陣の跡地から、図書・糧穀を大量に手に入れた。 仲達「軍家が重んじるのは、軍書密計、兵馬糧穀だ。奴らは、それを棄てて行った。人間は、五臓を棄てて、生き続けることが出来るか?蜀を討つなら、今がいい」   軍士2000を使わして、軟材で平底の木屐(木靴)を作らせて先導させた。赤岸まで来て、諸葛亮の死を確認した。楊儀が旗を立て、鼓を鳴らしたので、それ以上は攻めなかった。 「死せる諸葛が生ける仲達を走らす」と言われると、仲達は笑って「吾便料生、不便料死故也」と言った。負け惜しみのようにも見えるけど、生者の世界に執着し、生きているならどんな敵でも相手をしてやる、という意気込みのようにも見えます。   ■天下の奇才 諸葛亮の死を聞いて、仲達は言った。「天下奇才也」と。 仲達にしてみれば、「諸葛亮なんて、よー分からんやつ」という認識だったが、陣に踏み込んで初めて「諸葛亮とは、私ごときでは理解できない人物」という認識に改まったのだと思う。「把握できない」という結論は同じなんだが、ニュアンスが全然違うんじゃないかなあ。   仲達が眼から見ると、五丈原の陣形があまりに完成度が高かったとか、残された兵法が卓抜したものだったとか、兵糧の1粒まで詳細に管理されていたとか。 「もし諸葛亮がひとたび雲を得たなら、自分なんて一撃で殺されていただろうなあ」と仲達はビビったんだろう。 「臥龍なんて言われていたが、死ぬまで臥せていてくれて、魏は助かったよ」なんてジョークも、冷や汗混じりに飛ばしつつ笑、洛陽に戻っていった。司馬孚&師&昭が「そうですなあ」なんて相槌を打ちつつ。   ■謎の諸葛亮 仲達には、諸葛亮が分からない。   基礎となる国は辺境で小さい。軍事的な地勢として、圧倒的に不利な場所しか持たない。秦嶺山脈が立ちはだかり、中原に出るには移動コスト、輸送コストがかかり過ぎる。人的ロスも物的ロスも、ものすごい。どれだけ谷底に落としたんだか。 君主は凡庸で、そもそも先代たる劉備に、大した正義があったとは思えない。目標としていた漢朝の復興も、もう誰の支持も得られない、現実離れした空想だろう。魏は、すでに3代目を数えているんだ。 おまけに、自分には大した軍事的才能がないくせに、戦術に優れた将軍を使いこなすわけでもない。馬謖を要所に配置してミスったし、魏延が能力を発揮する場を抑圧し、ただの戦争狂になりかねない姜維を新しく重んじているようだ。 飽きもせず、臣民に無理を強いて、無謀な遠征を連年にわたって行う。李厳に背かれて、撤退を余儀なくされてもいる。 ほぼメリットのない五丈原に布陣し、進むことが出来ず、引くこともせず、命を削り続けた。1日に3、4升しか口にせず、20以上のムチの刑は、事務処理に携わった。   何をそこまで頑張ったのか、それが仲達には分からないから、「天下の奇才」という最大限の賛辞を、畏怖を込めて送ったんじゃないだろうか。   体調を省みず、1つのことに打ち込み続ける人の生き様は、心を打つと同時に、凡人には理解不能すぎるんだ。自分との接点を探して、理解をしようとするんだが、どうやら根本から構造が違うらしく、交わることがない。尊重して遠ざける、というのが精一杯だ。
  今回はこれでおしまいです。 「宣帝紀」長いよ!これで半分くらいかな。080119
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