■三国志キャラ伝>陳寿『三国志』の最後の人、華覈伝(2)
■蜀滅亡時の警告 賊(鍾会・鄧艾)の軍勢が、アリのように西方(益州)に押し寄せたそうですね。西方は険阻な土地なので安心していましたが、陸抗から成都が落ち、社稷がくつがえったと聞きました。 斉の桓公は、隣国が滅ぼされたとき、急援をしました。 しかし今回は、蜀の危機を救えませんでした。貢納を行ってた友国を失ってしまいました。 陛下は、哀悼の気持ちを垂れられたと思います。私も憂戚の情にたえず、思わず上表してしまいました。以上。   だからどうしたのー!と言いたい。 これを手にした孫休だって「それで?」とフリーズしたに違いない。 気持ちが高ぶったので、言ってみただけ。ううん、これは憎めないし、いちいち是非を検討する性質の上表じゃないよ。斉ノ桓公と呉ノ孫休がシンクロしなかったから、その非対称を文筆家として苦悶したんだろうか笑   ■宮殿工事反対 267年、孫皓は顕明宮の造営を始めた。 夏真っ盛りに竣工されたから、農耕も防衛もほったらかして、国中の人が工事に従事させられた。それに対して、華覈が言うには。   漢ノ文帝のとき、秦の苛性から解放されたので、人々は喜びました。 しかし賈誼だけは国を憂い、当時の様子を「焚き火の上で寝ていて、まだ燃え移ってないから安全だと思っている」と例えました。 表面化してなくても、ヤバいことは多いものです。いま蜀が滅び、交州も離反寸前ですよ。   殷のとき、宮殿の前庭に桑と穀物が生えました。殷王は畏れて徳を修めたので、怪異は去りました。また火星が心星の近くに留まりましたが、君主が禍を引き受ける覚悟をしたので、火星は動いてくれました。 いま各地で瑞祥が出てますが、ちっぽけな話です。門や庭に住む、弱い神々のシワザです。それよりも、孫権様が建てた宮殿の方が、よほどめでたいんですわ。(後略)   天下国家の話、民政と産業振興、軍事戦略と兵力の分析、つらつらと順番がメチャクチャに登場するんです。 それぞれは一般論として正しいんだろうな、というのは分かる。 そりゃ、敵を軽視しちゃダメだし、各地の実情を掴むべきだし、国力を増すのが良いに決まってるし、兵は多い方がいいし、故事は生かした方が賢い。 だが、少しも具体的な政策に結びつかない!困ったよ笑   陳寿は「孫皓は意見を聴き入れず」と書いたが、じゃあ聴き入れるならば、孫皓が何をすれば良かったのか、とても謎のまま残る。宮殿造営の停止、だけじゃ足りない気がするほど、上表は迷走して盛り沢山。
  ■孫皓の名言 孫皓は華覈を、東観令に昇進させ、右国史と兼務させることにした。ちなみに左国史は韋曜だ。 華覈は、辞退したいことを上表した。陳寿は文面を伝えてくれなかったんだが、また、よく分からん例え話ばっかりだったのだろう。   孫皓はナイスな返事をした。 「東観ノ府は、儒者が集まって文学・六芸について研究するところだ。あなたの文采を発揮して、現世(オレの治世)の素晴らしさを、未来に伝えてくれ。謙遜ばかりせず、職務に務めろ。これ以上、ごちゃごちゃ断りの文言を費やしてはいかん」と。 もう面倒くさかったんだろうね。死刑にする類いの苛立ちじゃないから、こうやって放任されているんだが笑   ■奢侈への警鐘 官倉に備蓄がないのに、世間が贅沢に流れていた。 華覈が、筆を執った!   盗賊を討伐するにも、軍糧の蓄えがありません。これは、最悪です。いま最大の要務は、民衆を農耕に務めさせることです。雑務や兵役に徴用してる場合じゃありません。 古人曰く「1人でも耕さぬ男がいたら、飢える者が出てくる。1人でも機織らぬ女がいたら、寒さに震える者が出る」と。 ※科学的分析ではない。だいたいの印象で言ってるだろう笑   私が思うに、主君は2つを民衆に求め、民衆は主君に3つを求めます。 主君が求めるのは「民衆が主君のために尽力する」「民衆が主君のために命を懸ける」です。民衆が求めるのは、「食料」「休息」「恩賞」です。ギブアンドテイクです。 ※大見得を切って、一般論をぶち上げた笑   世風が奢侈なので、工人や役立たぬ器物を作り、婦人は華やかな文様を縫うことに熱中しています。貧しいくせに、見栄ばかり張り、さらに貧困に喘いでおります。 ベースが美人なら、地味な5色の彩だけで、充分に引き立ちます。一方で、ブスが化粧に凝って、白粉を塗りたくって眉を描き、ブランド物で着飾っても、醜いものは醜いのです。国家の資産の無駄づかいです。 すぐに無益な贅沢を辞めさせて、国家の備蓄のため、倹約に命ずべきです。   ■華覈が死刑にならない理由 浪費に流れた時流を、孫皓に対して諌めた人は、実に多い。たびたび孫皓の逆鱗に触れて、ひどい目に遭った。 この華覈じいさんが咎められなかったのは、達者な文章表現の中に、どうも緊張感をはぐらかされる、逸脱が混じっているからだろう。華覈じいさんは、とても真剣なんだが、間抜けなんだ。 達筆の堅い堅い字体で、漢字がびっしりの上表文を持ってくる。四苦八苦して、難解な比喩や、遠回りな論法に踊らされながら、凡人レベルの教養人が解読をする。 解明してみれば、コンテンツはは大したことがない。   「ふーん」という感想しか出てこないんだ。
  ■エピローグ このサイト内の「韋曜伝」で、華覈が、韋曜の助命嘆願をしたことを書きました。惜しくも韋曜は殺されてしまうんだが、彼が赦されなかったのも道理なんだ。 だって「韋曜をお助け下さい」が趣旨であるはずの上表で、華覈は4分の3くらい、無関係の話をしているんだ。 読んでるうちに、華覈が知識をひけらかしたいのか、華覈の暇つぶしに付きあわされているのか、分からなくなる。※本当はどちらも間違い笑   陳寿は「禍福常なき時代に生きて、高い名声と地位を得ていた。非業の死を免れたとしても、僥倖だったんだ」と書いた。まあ全体的に見ればそうですが、華覈は天然だったと思います笑 おしまい。
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