■三国志キャラ伝>使い捨て!惨めな呉の老将、甘寧伝(5)■コック殺人事件
甘寧のしょっぱい人生を象徴する事件です。
「甘寧伝」にいう。甘寧の料理番が失敗をしでかし、呂蒙のところに逃げ込んだ。
甘寧は殺さない約束で、料理番を返してもらった。しかし料理番を桑の木に結びつけると、射殺してしまった。呂蒙は約束を破った甘寧に憤った。太鼓を叩いて兵士を集め、甘寧の船を攻めようとした。甘寧は横になったままで、抵抗しなかった。
呂蒙の母親が裸足で飛び出してきて、呂蒙を止めた。「プライベートな問題で、甘寧を攻め殺してはダメです。もし孫権さんからお咎めがなくても、臣下としてあるまじき行為ですよ」と。
呂蒙は思いとどまって、笑いながら甘寧に呼びかけた。「興覇どの、母があなたを食事に招いてます。急いで岸に上がって下さいね、あっははは」
甘寧は涙を流し、嗚咽しながら言った。「あなたには申し訳ないことをした」と。甘寧は呂蒙の母親に目通りをして、終日礼儀を尽くした。
この話を打ちながら、泣きそうでした。
■コック事件を読み解く
呂蒙は、孫呉で生え抜きの成長株。甘寧は立場の弱い外様老人。
殺されると思った料理人は、甘寧の力が及ばない場所に逃げるのが普通だ。それで呂蒙を選んだ。甘寧は、息子ほど年齢の離れた呂蒙に、手出しが出来ないんだ。
甘寧が料理人を射殺した理由は、「力関係へのやるせなさ」だろう。料理人のミスを根に持っていたとか、呂蒙との約束を破ってやろうとか、そんなことは考えていなかったんだ。
いつも生命の危険を冒して働いても、後方指揮官のガキ呂蒙に、まるで敵わない。ガキ呂蒙のくせに、偉そうに諭してくる。頭領として腕を鳴らした往年のオレは、どこに行っちゃったんだよ!
怒りをどこに向けたらいいか、それすら分からないよ。
甘寧はなんで船の上にいたんだろうね。陳寿は前後関係を全く書いてない。でも、艦隊担当だったという解釈でいいのかな。もしかしたら、陸の居心地が悪いから、甘寧軍だけ長江に揺られてたんじゃないか。孫呉の陣営の中で、ハミってたんじゃないか。
呂蒙の母親の発言も、優しいようで、裏を返すとかなり厳しい。まるで呂蒙が甘寧を殺しても、孫権のお咎めがないみたいじゃん。呂蒙は孫権のお気に入りの将軍だ。甘寧は、ティッシュのような使い捨ての老将なんだ。いつ死んでも、結果オーライの扱いなんだ。
呂蒙は甘寧を討つのに、大勢の兵士を公然と動員している。こんな物騒なこと、もし後ろめたさがあったら出来ない。甘寧を殺すことは、公式見解では「やむなし」だったのか。呂蒙の判断一つで、将の要・不要が決められるらしい。
軍勢に取り囲まれて、かつて無頼で鳴らした甘寧は無気力に横たわるのみ。殺されるのを待っていた。しくしく。
呂蒙は軍隊を収めると、甘寧を字で親しく呼びかけた。殺そうとしておきながら、笑って済ましてしまったよ。
甘寧の気持ちになってよ、呂蒙さん。今の今まで死を覚悟していた甘寧は、どんな気持ちなんだ。むしろ甘寧が大泣きして、謝っちゃった。
気ままに人を殺して、ムカついた相手の身包みを剥がしてた大将は、不遇を忍び続けた。我が身の情けなさに咽び泣いたんだ。
■甘寧の死
コック事件の次の行で、いきなり「甘寧伝」は終わり。
臨終の場面が描かれるわけじゃなく「甘寧が死去すると」で文章が始まる。もしかして甘寧さん、自分で自分の頭を砕いてしまったんじゃないのか。惨めさに耐えかねて。
息子が後を継いだが、罪を犯して会稽に強制移住。ほどなく死んだ。素っ気なく、それだけ書き捨ててある。きっと甘寧は、使い捨てられたんだ。
甘寧をカタキと狙っていた凌統。凌統の死後、幼い2人の息子は孫権に引き取られ、慈しまれた。心温まるエピソードと、輝かしいその後が書かれている。「凌統伝」の結末と比較すると、甘寧の悲壮さが際立つじゃないか。
不遇の前半生と、晩年の『演義』に残る活躍ぶり。
黄忠に似てるかと思ったけど、黄忠はきっともっと幸せだった笑
何の供養も出来てないままだけど、おしまいです。
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