■三国志キャラ伝>不幸な部下の20箇条、陸凱伝(3)
■孫皓を廃位せよ。 陳寿は一歩引き気味に「こんな事件があったという人もいる」として、266年12月の出来事を記した。 このとき陸凱は69歳だ。かなり晩年になっても、国の行く末が気になっていたらしい。 『礼記』では、70歳をと言い、罪を犯しても罰を加えないという。それだけ、判断力が落ちているんだ。すなわち、耄碌(もうろく)してるんだ。そんな末期の陸凱じいさんを、秘密計画に駆り立てるぐらい、孫皓は終わっていた。。   陸凱は、大司馬の丁奉、御史大夫の丁固と謀った。 孫皓が廟に詣でるとき、孫皓を皇位から落とし、孫休の息子を即位させようとした。おそらく孫皓は、父の孫和のお参りに行っていたのだろう。歴代皇帝よりも、自分の父を大切に思う、家族第一主義者だから。   『呉録』曰く、皇帝が宗廟を参詣するなら、そのときだけ適任者に大将軍に兼ねさせ、3000で護衛するものだ。 孫皓の参詣を前に、陸凱は選曹(人事係)を呼びつけた。 以下、セリフは勝手に作ってますが、陸凱の計画を見てみましょう。 陸凱「呼びつけてすまんね」 選曹「左丞相におかれましては、ご機嫌うるわしく」 陸凱「来月の陛下のご参詣、大将軍は、丁奉殿がいい」※共謀者だから。 選曹「陛下は、丁奉様には反対でした」 陸凱「仕方ない。ところでキミは、どんな人物が大将軍に適任だと思うか」 選曹「この国に長く尽された、重鎮にお任せするのが筋です」 陸凱「なるほど。で、それで充分か?」 選曹「加えて、華々しい戦歴をお持ちの方が宜しいです」 陸凱「キミの言うとおりだ。キミは優れた役人だな」 選曹「滅相もございません」 陸凱「選曹というのは、難しい仕事だ。適材適所には、上限がない」 選曹「そうなんです、そうなんです」 (こうして1時間くらい、和やかに談笑をしました) 陸凱「わっはっは。キミの立場は、よく理解しているよ」 選曹「はは、とんでもない。己が過ちを犯さないか、汲々としています」 陸凱「そうか、そうか」 選曹「は、はい!」 陸凱「キミのような善良な人間が、次代を築くのだろうな」 選曹「いえ。ただ、正しく務めたいだけですから」 陸凱「ならば、大将軍は丁奉殿で決まりだな」 選曹「…」 陸凱「一連の道理、陛下にお伝え申し上げるように。今日はありがとう」   最後の最後に、グサリと本題に戻したに違いない。   ■不仲な留平 孫皓は「たまたま」この人選が気に入らず、左将軍の留平が起用された。 陸凱は、息子の陸褘に、留平の説得を命じた。 「孫皓の政治を嘆く気持ちは、同じですね。参詣当日は、わざとゆっくり進んで下さい。帰りは、わざと遠回りなんかして、のらりくらりと、やって下さい。その間に宮中で謀って、孫休様の御子を即位させてしまいます」と伝えて、同意を得たらお役目の完遂だ。   留平「これはこれは、まだ偏将軍の陸褘。せいぜい励んでいるか」 陸褘「留平殿、来月の御幸で、大将軍をなさるそうですね」 留平「お前の親父は、また小言ばかり書いているのか」 陸褘「小言とは、お言葉が過ぎませんか」 留平「あれだけ放言して、よく赦されているなと、オレは感心している」 陸褘「来月のことですが…」 留平「やはり、家柄がいいと、得をするものだな」 陸褘「…。留平殿は、今のご治世を、どう思われますか」 留平「それは、オレとお前で交わすべき議題なのか」 陸褘「天下のためです。お付き合い下さい」 留平「聞けば、野豚が丁奉殿の軍営に入り込んだそうだ。不吉の前兆だ笑」 陸褘「そ、そのようなこと」   こうして(セリフは適当だけど)留平が嬉しそうな顔をしたので、陸褘は計画を打ち明けることが出来なかった。孫皓廃位計画は、日の目を見ることがなかった。 っていうか、もとから不仲な陸褘を宛てたのって、どうなん? 太子郎の陳苗が「久しく曇っているのに雨が降らず、風向きがくるくる変わるのは、どこかに陰謀があるからです」と上奏したので、孫皓は警戒した。しかし、お参りはちゃんとした笑
  ■陸凱の遺言 孫皓を諌めるだけに、人生を費やしてしまった陸凱。 『江表伝』には、宮殿造営に反対する声明文が、さっきの20項目と同じくらいの長さで、載せられている。孫皓が可愛がっている何定をクビにするようにという上表もしていて、遺言まで同じテーマになった。 「何定に、国家の大事を委ねてはいけません。地方に出して下さい。彼の代わりに、清廉で忠勤な姚信・楼玄・賀邵・張悌・郭逴・薛瑩・滕脩や、私の族弟の陸喜・陸抗を用いて下さい。天賦の才能を活かして、国家の根幹になるでしょう。彼らなら、陛下の万一の過ちを補佐するでしょう」 まるで出師の表だが、孫皓が過ちを犯す前提なのがおかしい笑   269年に陸凱は死んだ。享年72でした。   ■陸氏への遠慮 孫皓は、たびたび陸凱が逆らうのを、快く思っていなかった。しかし陸凱が重臣で、陸抗が荊州を守っていたので、陸氏に手出しをしなかった。 274年に陸抗が死ぬと、孫皓は陸凱の家族を、建安に強制移住させた。   血筋に恵まれて左丞相になったし、正史に立伝されたのは、天晴れです。でも、列伝のほとんどが諫言で埋め尽くされた人生って、あんまり幸せじゃないよなあ。おしまい。
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