■三国志キャラ伝>皇帝になるつもりのおじさん劉表伝(4)■曹操の北伐の時に何してたの?
官渡で袁紹が崩れたのが200年10月。曹操が荊州に南下を始めたのが、208年7月。けっこう時間があるじゃん。曹操はその間、北伐をしていた。袁紹とその息子にとどめを刺し、烏桓を従えていた。
劉表がこの間に大きな動きをしなかったのは、2つの要因があると思う。
(1)荊州だけにでも理想郷を作ろうとした
清流派としての世を正し、王朝を再建する志がつぶれた。しかし諦められない。思想は変わらない。そこで、曹操に征圧された中原と切り離して、桃源郷の箱庭を荊州に作ろうとした。ミニ漢王朝を復古しようとした。
(2)在地勢力と折り合った
蒯越や蔡瑁、韓嵩ら在地豪族は、官渡で曹操支持を主張した。劉表はそれを却下した。だが袁紹が破れた今、劉表は蒯越らの意向を追認するしかない。そもそも劉表軍の母体が、蒯越たちだ。曹操が北伐で本拠を空けていても、許を攻める理由がない。むしろ守りに行きたい笑
■劉表の後継問題
今さら、もめる要素はない。劉表政権は、着任当時から在地豪族の協力に支えられている。蔡瑁と縁戚の次男・劉琮で決定。以上。
「劉表伝」には、劉表が年下の劉琮を可愛がった、蔡瑁と張允が後押しした、と書いてある。ジョークだ。因果関係が逆なんだ。蔡氏の子だから、劉琮を可愛がったんだ。長男を排斥したから、劉表は為政者として落第だと陳寿は書いた。でもそんなのは、修辞だ。※ぼくの妄想かも。
官渡の読み誤りで、劉表の立場は弱まった。在地の連中は、先見の明があって強い牧ならば、誰を頂いたっていい。荊州の人に言わせれば、もう劉表は資格なしなんだ。
劉表の即位の志なんて、誰も相手にしない。袁紹が負けちゃったから、机上のクーロンになって放電した。もし即位できてたら、荊州の奴らの思惑など歯牙にもかけずに済んだものを…と悔やんでも淋しいだけ。
後継問題といえば、劉備を思い出す。
劉備は袁紹勢力に所属していた。曹操に敗れて、劉表が保護をしていた。
劉備の保護について、おそらく荊州の豪族は反対しただろう。天下は曹操に傾いている。劉備は曹操の敵だ。劉備は荊州に災いをもたらすだけなんだ。だから新野なんて前線に、ぽつんと放り出された。
「曹操さま、いつでもお食べ下さい」という無言のメッセージ。文学者・曹操なら理解してくれるに違いない笑
■劉表が皇帝になるラストチャンス
劉備は、曹操が最北端(柳城)に出征してるとき、劉表に進言した。
『漢晋春秋』にいう。207年のことだ。
劉備曰く「曹操は留守です。許を攻めちゃいましょう」、劉表曰く「ごめんなさい」。曹操が帰ってきた。劉表は劉備に言った。「劉備くんの言葉を採用しなかったばかりに、一大好機を逃しちゃったね」。
劉備が返して言うには「天下は分裂しており、戦争は毎日続いてます。まだ機会なんていくらでもあります。残念がることはないです」と。
2人の劉氏のギャップがおもろいね。
劉表にとっての「一大好機」とは、自分が皇帝になる夢を再燃させること。それには、献帝をぶち殺すことが必須条件になる。だから、曹操の留守は二度とない好機だった。
しかし劉表は、出兵を思いとどまった。劉表が動員可能な兵力では、許を落とせないからだ。荊州兵10万もいて、なぜ?
10万の大部分は、蒯越たちの部曲が占めたはずだ。劉表は赴任したとき、単騎で乗り込んだ。その後、直属軍を作ったには違いないが、きっと少数だ。在地勢力と摩擦の起きない範囲で、細々としか持てなかったはずだ。
劉表にとって、局地戦で曹操に勝っても仕方がない。曹操に遠征してもらって、献帝をこそ殺さなきゃダメなんだ。残り少ない劉表の寿命のうち、曹操が長期出張する可能性は、限りなくゼロに近い。それまでに精強な直属軍を育て終わるなど、もっと無さげ。だから劉表は絶望した。
もたもたしてたら、次の曹操のターゲットは荊州になった。鬼のいぬ間どころか、鬼がこっちに向かってくるよ!
一方の劉備には、時間がある。※と言っても、46歳だけどね。
負け続けの人生で、性根が座った。孫権・馬超・張魯・劉璋など、まだ曹操に屈服してない勢力が視野にある。先日入荷したばかりの諸葛亮に、秘密のプランを吹き込まれた。チャンスはいくらでもあると思っているんだ。
人生設計が失敗した劉表と、人生設計を遅ればせながら立てたばっかの劉備。2人の温度差の理由は、ここにある。
■病が篤くなってきたよ
劉表が病気が重くなった。虐げられた長男・劉琦が会いにきた。劉琦は権力の中枢から追放され、孫権への備え、江夏太守をやってる。
『典略』にいう。
蔡瑁と張允は、劉表と劉琦の対面を妨げた。父子の間に感情の交流が起こって「やっぱり後継は劉琦で」というのを恐れたからだ。蔡瑁は言った。
「あんたは江夏太守でしょ。国の東を守るのが仕事でしょ。軍勢を放り出して、何がお見舞いですか。劉表殿も、きっとご立腹になるはずです。親の機嫌を損ねて、病気を重くさせるなんて不孝者じゃん。帰れ」と。
劉琦は戸の外で押しとどめられた。劉琦は涙を流しながら立ち去った。
劉表は臨終に際して、劉備を後継に指名した。
蔡瑁や蒯越にしてみれば、なんじゃそら?と思っただろう。死にかけのおじいちゃんが、パニクってわけの分からないことを言ってるよ、と。
劉備は、荊州に転がり込んできて、蔡瑁たちと対立してくれた。劉備を見てるだけで、劉表にはストレス解消になった。同じ劉姓の者として、心の交流があったのかも知れない。ただし劉表は、劉備との親密さを公には出せない。豪族たちに「生かされている」立場だからね。
その秘めたる気持ちを口にしてみて、豪族たちをビビらせてやったんだ。
ただし劉表は、劉備に皇帝になる実力など無いと思っていただろう。劉備の具体的なプラン(諸葛亮の天下三分の計)も知らない。
もし劉備の口から「天下三分を目指すぜ」と聞いていたとしても、劉表は「ミスるから、やめとけ」と言ったと思う。自分が失敗すると、他人も失敗すると思うんだ。他人も失敗すればいいのに、とすら思うんだ笑
■まとめ
劉表は皇帝になりたかった。一州を保つことに忙殺されるなど、本意じゃない。だから荊州を意欲的に固めながら、袁紹が白馬の馬車を寄越すのを待っていた。しかし袁紹はミスった。
意に反して、死ぬ前の10年弱は、荊州経営にコンパクトに収まってしまった。本当は「2代皇帝」となるべき自分の後継問題も、結局は在地豪族のパワーゲームに摩り替わってしまった。
「ほんまはオレ、こんなんちゃうねんで!」という気持ちが「劉備にオレの後を継がせる」にこもっていると思う。よく分からんけど、なんか劉備はやってくれそうだから、リップサービスしとくわ!くらいな笑
何の因果か、劉備は即位するから、不思議なもんだね。劉表の志を継いだとは、あんまし言えないんだけど。まあ、劉表当人にもそんなつもりなかったと思うから、いっか。
劉表が死ぬと、荊州は劉琮を後継者に立てた。劉琮は、曹操に一瞬で降伏した。劉備は情報を遮断されて、散って逃げるしかなかった。
切なさのツボは、官渡敗戦を聞く場面かな。報告を受けた劉表は、鷹揚に伝令をねぎらって自室に引っ込み、錯乱して泣く、とか。曹操侵攻を受けて、劉表が20年もキープしてきた荊州が一秒で瓦解するのも無情だけどねえ。
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