■三国志キャラ伝>不老不死を願う呉の大帝・孫権伝(2)
■根拠(5)ライバルの後継者の後継者まで死んだ
しょうーもない卑近な例ですが。
3人で授業を受けている。予習をしてないから、指名されたくない。まず右隣の奴が当てられた。ラッキー!次は左隣の奴が当てられた。ラッキー!もしかしたら、自分は指名されないんじゃないか、と思う。また右隣の奴が当てられた。また左隣の奴が当てられた。
どう思うだろうか。「もう今日は自分は指名されないんだろう」という気分になってくる。自分を差し置いて、右隣の奴が3回目の指名を受けた。ついに「自分は特別扱いされているっぽい」と思う。
 
孫権が生きているうちに、曹操が死んだ。次代の曹丕が死んだ。さらに次代の曹叡まで死んだ。魏は曹操の曾孫の世代になってしまった。
劉備が死んだ。後事を託された諸葛亮が死んだ。それを継いだ蒋琬まで死んだ。あれだけ群雄が大騒ぎした献帝も、諸葛亮と同じ年に死んだ。
孫権はどう思っただろうか。「オレって死なないんちゃうか」とならないか。劉備と曹操は父の世代だから先に死んでも当然だ。だが曹丕は5歳下、諸葛亮と献帝は1つ上だ。同じくらいの寿命を持っていてもおかしくない。あれ?ん?そうか!為政者として、自分だけ特別だ。
孫権は自分に不死信仰を持った。確信を深めた。
 
英雄たちに先立たれ、孤独な孫権。
そういう哀愁を感じさせる描写を見るが、孫権は淋しくない。自分が三国一の不死の帝王だという自覚をたくましくしたんだ。
淋しいのは、登場キャラが小粒になって客足が遠のく講談師なんだ。

 ■根拠(6)宗教勢力との融和
孫権は(ある人から見れば)怪しげな連中とも仲良くした。
宗教のメインテーマの一つは「死とどう向き合うか」です。孫権は自分の考え方を補強するために、彼らを大切にしたんじゃないか。自分なりの不死論を確立したかったんじゃないか。宗教的なものの周りには、神秘的な力が溢れている!
孫策は爽やかな現実主義者だから、于吉を弾圧した。孫権は問答無用に虐げずに、味方につけようとしたんじゃないか。単なる好奇心ではない。
 
孫引きで申し訳ないですが、※孫呉だけに
「呉書見聞」さんが指摘してます。『正史三国志8』ちくま学芸文庫の巻末年表に、247年、仏僧の康僧会が建業にやって来て、孫権は健初寺を建てたとある。※ぼくも自分の本で確認しました。
康僧会は、五色に輝く仏舎利を出現させるという奇跡を起こした。
※コピペでごめんなさい。
 
「神」である自称「王表」との交流も面白い。
※陳寿の原典を見ても、表記は「神」になってました。ちくまのトンデモ誤訳ではなさそう。むしろ翻訳放棄だね。「神」をどうやって訳すか困ったから、そのまま書いちゃえ!という笑
王表は言葉を発して飲食をするが、姿を見せることがなかった。
※原典では「不見其形」です。「呉書見聞」さんでは、透明人間と解釈し、巫女に神降ろしをさせて腹話術をさせたと書かれてます。でもぼくは、単に恥ずかしがり屋&出不精だったんだと思う。
孫権は王表を招き、議論をさせて最強であることを確認すると、屋敷と酒食を与えた。彼は水害や日照りについて予言をし、ことごとく的中した。
孫権は、王表から神通力を学び取りたいんだ笑

 ■根拠(7)不老不死の妙薬の探索
秦の始皇帝を真似ました。夷州・亶州(台湾・日本)を探索した。
人口不足を補うため、交易を求めて、など公の理由はいくらでもある。それはウソじゃない。でも裏目的は、始皇帝に資金提供を受けて旅立った徐福に会いに行くことだったんだ。
仙薬を服用して、父と兄からもらった寿命が尽きた後も、生き続けようと願ったんだ。天を永遠に祭るのはオレなんだ。

 ■根拠(8)後継者問題への無頓着
孫権は後継者問題で、その名君ぶりにケチがついた。
「二宮の変」だ。もともと皇太子だった孫登が死に、孫和を皇太子にした。しかし弟の孫覇を同待遇で立てたために、群臣が真っ二つに割れて派閥争いをした。なぜ孫権は、孫覇を寵愛するなんて愚かなことをしたのか。
ずっと自分が皇帝をやってるつもりだったから。
ぼくはそう思います。
手続き上、孫和を皇太子にした。孫覇は可愛いから、王待遇を与えちゃう。それだけ。もし不都合があれば(もしそれが50年後であろうと)オレ自身が何とかするから心配なかろう、という発想。
 
年齢を重ねて判断能力が落ちたと言われる。だが、英邁な孫権は、後継者問題がデリケートであることは分かっていたと思う。
賈詡さんが曹操のために教訓として引いた、袁紹と劉表。孫権だって二人の失敗を知っている。しかしどちらも、自分とは関係ないことだ。袁紹も劉表も老い、曹操に攻められて戦死するという危機が迫っていた。
不死で安定勢力のオレとは、まるで条件が違うじゃん。
 
喧嘩両成敗で決着がついたとき、孫権は69歳。まだ(本人としては)人生の半ばじゃないか。
後継者問題で目くじらを立てる理由を、孫権は心では分かっていなかったんだろう。こいつら何を騒いでいるんだ、下らないなあ、くらいの気持ち。
誰を皇太子にしたって、オレより先に死ぬんだろ?と。
そこまで打っ飛んでいたかは不明だが、その方がキャラが立つ!
皇帝として、身の回りは全てが思い通りになった。自分は永遠に万能だという認識は強まる一方だっただろう。
 
真剣に後継問題を議論すれば、陸遜だって不愉快な奴として扱われる。
「オレが死ぬと思っているのだな。だからそんな諫言をするのだな!」という怒りの経路だ。馬鹿みたいだが、きっと孫権は真面目だ。

 ■まとめ
呉の大帝・孫権は不老不死を信じていた。
始皇帝が不老不死を望んだ。しかし皇帝権力=不老不死、という構図はとっくに壊れている。だって、始皇帝が死んだから。漢の皇帝がいっぱい死んでるのを、大陸の民は幾度も見たから。魏や蜀でも皇帝は死んだし。
だが孫権は、個人レベルで不老不死を望んでいたんだ。死なないように立ち振る舞っているうちに、本当に生き残った。不死が証明され、さらに確信を強めた。この勘違いが生んだ象徴的な悲劇が、二宮の変だ。
 
若年の孫権は評価され、後半の治世は批判される。
麒麟も老いては駄馬に劣ると言われる。しかし孫権は一環して「死なないように、死なないように」という信念で動いていただけなんだ。
若い人間は、死なずに長く生きられる。だから、さながら不死のように振舞ってもギャップが少ない。しかし老人は、死が近くて長く生きられない。不死のように振舞うと、弊害が多い。
孫権はそれに気が付かなかっただけなんだ。それを孫権に教えてくれそうなご意見番、張昭は先に死んじゃったし笑
なぜ気づかなかったんだろう。
孫権はおそらく、死に関するものを必要以上に忌み嫌ったんだろう。孫策の臨終に立ち会って、絶望した。思考停止状態になって、天からの声に耳を閉ざした。※勝手な妄想です。
 
死を連想させる老いにも、恐怖があった。きっと草から抽出した染料で、髪を染めていたはずだ。紫のヒゲという意味不明なイメージは、もしかしたら白髪隠しが元になっているとか。※完全な妄想です。
体力が衰えるのを嫌っただろう。かつて引けていた弓が扱えなくなると、弓を管理していた従者を切り殺したりとか。だから従者は、気づかれないように弱い弓にすり替えて行ったとか。※完全な妄想です。
 
孫権は肺炎を起こして252年に死んだ。死ぬ刹那に、人生で一番の驚きを体験しただろう。赤壁での勝利なんて芥子粒に思えるような驚きだった。
オレも死ぬんだな!あー死ぬほどびっくりした!とかね笑

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