三国志は、1800年に渡って語り尽くされてきた叙事詩。
しかし、とある映像作品のキャッチコピーみたく「死ぬまで飽きない」もの。
まだまだ枯れる気配すら見せない、三国志の魅力について語ります。
二宮の変を、通婚系図で一覧しました



図より、孫権が、揚州の有力氏族とがんばって通婚していたことが分かります。
二宮ノ変は、孫権が耄碌して後継者選びをやりそこなった事件である、というのが一般的な見方でしょう。
でも、別の解釈をしてみたい。
孫権が、皇帝権力の集中を、再び狙ったのではないか。
数年前、孫権は呂壱を登用して、名士たちを牽制しようとしたが、失敗。無念なことに、孫権が謝罪せざるを得なかった。
そこで、名士たちがいかにも混乱しそうな、後継者の難問をわざと作って、潰しあいをさせたんじゃなかろうか。
「長幼の序を、寵愛ゆえに見失う」というのは、強い君主の晩年のステレオタイプだ。
議論が紛糾することは、容易に想定できる。ファンが減るリスクを犯してでも、演じる価値がある笑
同母兄弟を、同じ待遇にするなんて、「故意」だとしか思えんのだが。

揚州の主流は、(セオリーどおり)兄の孫和を推した。亜流は、起死回生を狙って、(君主が溺愛する)弟の孫覇を推した。
この政争の結末は、「喧嘩両成敗」にした。孫権の狙いは的中した笑

ただ、これで呉の国力や輿望が削がれてしまったことは、間違いない。
老いた孫権の失点を数えるとするならば、後継者問題でミスったことではなかろう。
後継者問題を政争の材料として採り上げてしまったことが、ミスだったのだ。
呉は、皇族・準皇族・名士の政争体質がクセになり、自壊してゆく。制御不能に陥った元凶は、創業の君である。080909
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