「三国志の英雄」の代名詞である曹操。 彼を「八卦」のシンボルで表すことは、ぼくにとっての大きな博打です。サイト内のどこかに書きましたが、曹操のことが分かれば、『三国志』は7割がた分かったも同然。それぐらい重要で、かつ評価が難しい人物。 「評曹操」に、先人の叡智の集積『易経』の助力を得て挑戦!
ぼくが曹操に見出したのは、「山雷沢」。
「魏の座」、天下国家への影響としては、どっしりと落ち着いている卦象「山」を設定。ご覧の通り、天辺の一陽が、どうしても振り払えなかった漢帝国の重圧です。曹操一流の「陰」なる覇道の道、すなわち権謀術数と詭道の用兵で漢帝国を炒めまくったが、ついに振り払えなかった。
「呉の座」、組織内の立ち振る舞いを表すのは、最も「人間」らしく活躍し、エネルギッシュに活動した生き様から、「雷」です。多動癖のある革新者が彼の役回りでしょう。
「蜀の座」、パーソナリティを象徴するのは、「沢」としました。根底には明らかに「陽」な性質を持っている人間なんだが、天辺には「陰」が乗っかっている。
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この「沢」の卦は、たった3分の1の僅かな「陰」のために、2つの「陽」が抑圧されてネガティブに不満を溜め込んでいる象のようです。赤壁の心の傷を表したかった。荊州の水軍を接収した段階では、絶対に天下は取れていたんだ。それなのに。
曹操の詩は情緒的。「戦乱が続き、道を歩いても知っている顔と擦れ違わない」とか、「人生いくばくぞ、酒に対して歌うべし」とか、「老いた馬でも、志は千里を駆ける」とか。とても俗物的な成功者では持ち合わせない、圧倒的な切なさが曹操の胸の深いところにあると思います。
ちなみに「沢」は、上から流れてきた「陰」を受け止め、水流や養分を溜め込み、人を楽しませるという意味もある。詩を介して凡人に共感する余地を与えてくれた懐の深さが、唯才を唱えて冷酷に見える曹操の下に、人が集った理由だと思うのです。
彼の歴史的意義(山)と、組織内の位置(沢)が、真逆なのが良い。曹操は魏の主催者だから、彼=国。「魏の座」と「呉の座」は同じで良さそうなのに、却って正反対。ここが曹操の怪奇さです。 なお『易経』では、逆立ちしている卦同士は、和合して循環を始めるそうだ。曹操も『易経』もますます難解だなあ。。080709
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