横浜の関帝廟も神戸の関帝廟も行きました。解説の看板が、正史準拠なのか『演義』のファンタジーなのか、ごちゃごちゃ。そして、どの本を見ても、なぜ彼が商売の神なのか、確信的に解説はできない。「証明不可」も1つの解答のかたちですが。そのくせ、曹操よりも有名になってしまった信仰世界の偉人です。 吉川英治曰く「酒を飲むほど、髯に艶が出る」らしい笑
関羽は「天水山」です。
明清のときに皇帝になり、神にもなったんだから、迷うことなく天の座は「天」でよし。
地の座は、荊州にポツーンと孤立し、樊城攻めは完結できずに進退極まるから、険たる「水」です。水軍を率いてたし笑 同盟先の孫権には「虎の子が、犬コロを娶れるか」と言い、後方の麋芳には「今度あったら死刑だ」と言い、前方の孟達には「余計な手出し無用だ」と叱る。徐晃には「同郷人の誼みで、ちょっと待て」とせっつく。 髯はすごかったし、一騎打ちは強かっただろうか、個人の威が猛々しいというだけのレベル。巨視的には、匹夫の類だろうね。 天の座と地の座の爻が、まるで対応してない(陰陽が2つも変わってる)ことが、本人の実績と後世評のギャップを物語る。
|
人の座は、「山」です。どっしりと構え、プライドが高い。諸葛亮に「馬超は張飛とはいい勝負ですが、髯殿には敵いません」という手紙をもらうと、嬉しくて見せびらかしてしまう、典型的な自尊タイプ。トップの陽爻が他の2陰を押さえつけ、君臨しています。静的な卦で、価値観のゆさぶりを受け付けません。
陳寿が、「目上には対抗し、目下は可愛がった」と評しているが、目上はプライドを侵す存在だから、攻撃的になっちゃうんだ。 曹操よりも劉備を選んだ理由は、曹操その人が優れており、優秀な人材が多かったからじゃないのか。曹操の下で「オレって2番手以降か」なんて卑屈な日々を過ごすより、劉備の下で「君主はオレ以下。臣下も全員がオレ以下。かっかっか」とやってる方が、関羽の気性に合うんだ。
劉備も人間だから、いくら包容力があるとは言え、露骨に己を見下す人間を扱いづらい。だから、劉備は関羽を遠ざけたかった。下邳の留守を命じ(曹操の捕虜になり)、長阪では別行動で、荊州の保持も彼に任せたんだ。関羽は劉備の指揮命令系統から外れた、独立軍だったと思う。新参で若い諸葛亮の「天下三分」なんて意見は、聞かない。無念の孤独死は、国家の損失には違いなかろうが、実態はただの個人的悲劇だ。080710
|