いつか書きたい三国志

『隋書』経籍志二 史 正史を読む

『隋書』経籍志二 史 正史の跋文

こちらは、『隋書』経籍志の史部 正史部の末尾に設けられた文です。『隋書』経籍志が定義し、書物を「正史」として分類するとき、どのような認識を踏まえているのか表現した部分です。翻訳にあたり、興膳宏・川合康三『隋書経籍志詳攷』(汲古書院、一九九七年)を参考にしました。

原文

古者天子・諸侯、必有國史、以紀言行。後世多務、其道彌繁。夏・殷已上、左史記言、右史記事。周則太史・小史・內史・外史・御史、分掌其事、而諸侯之國、亦置史官。又春秋・國語引周志・鄭書之說。推尋事迹、似當時記事、各有職司、後又合而撰之、總成書記。其後陵夷衰亂、史官放絕。秦滅先王之典、遺制莫存。
至漢武帝時、始置太史公、命司馬談為之、以掌其職。時天下計書、皆先上太史、副上丞相、遺文・古事、靡不畢臻。談乃據左氏・國語・世本・戰國策・楚漢春秋、接其後事、成一家之言。談卒、其子遷又為太史令、嗣成其志。上自黃帝、訖于炎漢、合十二本紀・十表・八書・三十世家・七十列傳、謂之史記。
遷卒以後、好事者亦頗著述、然多鄙淺、不足相繼。至後漢扶風班彪、綴後傳數十篇、并譏正前失。彪卒、明帝命其子固、續成其志。以為、唐・虞・三代、世有典籍。史遷所記、乃以漢氏繼於百王之末、非其義也。故斷自高祖、終於孝平・王莽之誅、為十二紀・八表・十志・六十九傳、潛心積思、二十餘年。建初中、始奏表及紀傳、其十志竟不能就。固卒後、始命曹大家續成之。
先是、明帝召固為蘭臺令史、與諸先輩陳宗・尹敏・孟冀等、共成光武本紀。擢固為郎、典校祕書。固撰後漢事、作列傳載記二十八篇。其後劉珍・劉毅・劉陶・伏無忌等、相次著述東觀、謂之漢記。
及三國鼎峙、魏氏及吳、並有史官。晉時、巴西陳壽刪集三國之事、唯魏帝為紀、其功臣及吳・蜀之主、並皆為傳、仍各依其國、部類相從、謂之三國志。壽卒後、梁州大中正范穎表奏其事、帝詔河南尹・洛陽令、就壽家寫之。
自是世有著述、皆擬班・馬、以為正史、作者尤廣。一代之史、至數十家。唯史記・漢書、師法相傳、並有解釋。三國志及范曄後漢、雖有音注、既近世之作、並讀之可知。梁時、明漢書有劉顯・韋稜、陳時有姚察、隋代有包愷・蕭該、並為名家。史記傳者甚微。今依其世代、聚而編之、以備正史。

訓読

古者の天子・諸侯、必ず國史有り、以て言行を紀(しる)す。後世 多務にして、其の道 彌々繁し。夏・殷より已上、左史 言を記し、右史 事を記す。周は則ち太史・小史・內史・外史・御史あり、其の事を分掌し、而して諸侯の國も、亦た史官を置く。又 春秋・國語は周志・鄭書の說を引く。事迹を推尋するに、當時の記事、各々職司有るが似(ごと)く、後に又 合して之を撰し、總べて書記と成す。其の後 陵夷 衰亂し、史官 放絕す。秦 先王の典を滅し、遺制 存する莫し。
漢の武帝の時に至り、始めて太史公を置き、司馬談に命じて之と為し、以て其の職を掌らしむ。時に天下の計書、皆 先に太史に上し、副をば丞相に上し、遺文・古事、畢く臻らざる靡し。談 乃ち左氏・國語・世本・戰國策・楚漢春秋に據り、其の後事を接ぎ、一家の言を成す。談 卒するや、其の子の遷 又 太史令と為り、嗣ぎて其の志を成す。上は黃帝より、炎漢に訖るまで、合はせて十二本紀・十表・八書・三十世家・七十列傳あり、之を史記と謂ふ。
遷 卒してより以後、好事者も亦た頗(すこ)しく著述し、然れども鄙淺なるもの多く、相 繼ぐには足らず。後漢の扶風の班彪に至り、後傳の數十篇を綴り、并せて前失を譏正す。彪 卒するや、明帝 其の子の固に命じ、其の志を續成せしむ。以為ふらく、「唐・虞・三代は、世に典籍有り。史遷の記す所、乃ち漢氏を以て百王の末に繼ぐは、其の義に非ざるなり」と。故に高祖より斷ち、孝平・王莽の誅に終へ、十二紀・八表・十志・六十九傳を為り、潛心し積思すること、二十餘年なり。建初中に、始めて表及び紀傳を奏するに、其の十志 竟に能く就かず。固 卒せし後、始めて曹大家に命じて之を續成せしむ。
是より先、明帝 固を召して蘭臺令史と為し、諸々の先輩たる陳宗・尹敏・孟冀らと與に、共に光武本紀を成さしむ。固を擢して郎と為し、祕書を典校せしむ。固 後漢の事を撰し、列傳載記二十八篇を作る。其の後 劉珍・劉毅・劉陶・伏無忌ら、相 次いで東觀に著述すれば、之を漢記と謂ふ。
三國 鼎峙するに及び、魏氏及び吳、並びに史官有り。晉の時に、巴西の陳壽 三國の事を刪集し、唯だ魏帝のみ紀を為り、其の功臣及び吳・蜀の主、並びに皆 傳を為り、仍ち各々其の國に依りて、部類 相 從ひ、之を三國志と謂ふ。壽 卒する後、梁州大中正の范穎 其の事を表奏し、帝 河南尹・洛陽令に詔して、壽の家に就きて之を寫さしむ。
是より世に著述有らば、皆 班・馬を擬し、以て正史と為し、作者 尤も廣し。一代の史、數十家に至る。唯だ史記・漢書のみ、師法 相 傳へ、並びに解釋有り。三國志及び范曄の後漢は、音注有りと雖も、既に近世の作なれば、並びに之を讀みて知る可し。梁の時に、漢書に明るきは劉顯・韋稜有り、陳の時に姚察有り、隋代に包愷・蕭該有り、並びに名家為り。史記の傳は甚だ微なり。今 其の世代に依りて、聚めて之を編み、以て正史に備ふ。

現代語訳

いにしえの天子と諸侯は、必ずその国に史官がおり、君主の言葉と行動を記録した。時代がさがると政務が繁雑となり、記録の役割もますます複雑となった。夏王朝と殷王朝より以前は、左史が言を記し、右史が事を記した。周王朝には(史官として)太史・小史・内史・外史・御史があり、記録のことを分担し、そして諸侯の国も、また史官を置いた。また『春秋』や『国語』は周志(周王朝の記録)と鄭書(鄭国の記録)から文を引用している。(『春秋』らが編纂された)事情を推し量るに、当時の史官には、それぞれ(記録内容ごとに)分担したようで、完成後に(文を)結合して叙述し(直し)、まとめて史書を完成させたのである。その後に統治が衰退して、史官の伝統は断絶した。秦帝国が先王の経典を滅ぼすと、前代の精度は消滅した。
前漢の武帝の時代になり、はじめて太史公の官職を設け、司馬談をこれに任命し、その職務を担当させた。このとき天下からの報告書は、すべて最初に太史に提出し、副本を丞相に提出し、遺文や故事は、太史に集積されないものがなかった。司馬談は『左氏伝』『国語』『世本』『戦国策』『楚漢春秋』に依拠し、それ以後の年代の史実をつなぎ、一家の言を完成させた。司馬談が亡くなると、その子の司馬遷もまた太史令となり、父の志を嗣いで完成させた。上は黄帝から、下は漢帝国まで、全部で十二本紀・十表・八書・三十世家・七十列伝があり、これを『史記』という。
司馬遷が亡くなって以後、愛好家がいささか歴史書が著述したが、格調が低くて浅薄なものが多く、(『史記』を)継承するには不十分であった。後漢時代の扶風の班彪に至って、後伝(『史記』以後の前漢の記録か)数十篇をつづり、あわせて前著(『史記』)の欠点を批判し是正した。班彪が亡くなると、明帝はかれの子の班固に命令し、その遺志を嗣いで完成させた。「唐と虞と(夏殷周の)三代は、世に記録した書物がある。司馬遷の書物は、漢帝国を百王の末尾に繋いだもので、これは義から外れている」と言った。ゆえに高祖から(以前を)切断し、孝平皇帝と王莽の誅殺を下限とし、十二紀・八表・十志・六十九伝をつくり、専心し思考を重ねること、二十年あまりであった。建初年間(七六~八四年)になって、表及び本紀と列伝を上奏したが、その十志は着手できなかった。班固が亡くなった後、曹大家(そうたいこ)(班昭)に命じて続きを完成させた。
これより先、明帝は班固を召して蘭台令史とし、年長者の陳宗・尹敏・孟冀らとともに、「光武本紀」を作らせた。班固を抜擢して(校書)郎とし、秘書(宮中図書館)の管理と(字句の)校訂をさせた。班固は後漢のことを記述し、列伝と載記二十八篇を作った。その後に劉珍・劉毅・劉陶・伏無忌らは、相次いで東観において著述したので、これを『漢記(東観漢記)』という。
三国が鼎立すると、魏と呉では、どちらも史官が置かれた。西晋の時代、巴西の陳寿が三国の史実を削ってまとめ、ただ魏帝だけに本紀をつくり、魏の功臣及び呉と蜀の君主には、それぞれ列伝をつくり、おのおの国ごとに、分類して配列し、これを『三国志』といった。陳寿が亡くなった後、梁州大中正の范穎はその書物を上呈し、武帝は河南尹と洛陽令に詔して、陳寿に家に赴いて書き写させた。
これ以降は世で史書を作るならば、みな班固と司馬遷を手本とし、これを正史といい、著者(の層)はとても多岐にわたる。一時代の歴史に、数十人もの著者がいた。ただ『史記』と『漢書』のみ、読解法の学説が伝授され、ともに注釈書がある。『三国志』及び范曄『後漢書』は、音注があるが、これらは近い時代の著作であるから、どちらも読めば意味が分かる。南朝梁には、『漢書』に精通したものとして劉顕と韋稜がおり、南朝陳には姚察がおり、隋帝国には包愷と蕭該がおり、いずれも名だたる学者であった。(対する)『史記』の注釈書はとても少ない。ここでは(叙述対象である)時代順に従い、集積して並べ、正史の部に備えることとする。211121

書名リスト

区切り(小見出し)は、引用者に依ります。

史記など

01史記 一百三十卷 目錄一卷、漢中書令司馬遷撰。
02史記 八十卷 宋南中郎外兵參軍裴駰注。
03史記音義 十二卷 宋中散大夫徐野民撰。
04史記音 三卷 梁輕車錄事參軍鄒誕生撰。
05古史考 二十五卷 晉義陽亭侯譙周撰。

漢書など

06漢書 一百一十五卷 漢護軍班固撰、太山太守應劭集解。
07漢書集解音義 二十四卷 應劭撰。
08漢書音訓 一卷 服虔撰。
09漢書音義 七卷 韋昭撰。
10漢書音 二卷 梁尋陽太守劉顯撰。
11漢書音 二卷 夏侯詠撰。
12漢書音義 十二卷 國子博士蕭該撰。
13漢書音 十二卷 廢太子勇命包愷等撰。
14漢書集注 十三卷 晉灼撰。
15漢書注 一卷 齊金紫光祿大夫陸澄撰。
16漢書續訓 三卷 梁平北諮議參軍韋稜撰。
17漢書訓纂 三十卷 陳吏部尚書姚察撰。
18漢書集解 一卷 姚察撰。
19論前漢事 一卷 蜀丞相諸葛亮撰。
20漢書駁議 二卷 晉安北將軍劉寶撰。
21定漢書疑 二卷 姚察撰。
22漢書敍傳 五卷 項岱撰。
23漢疏 四卷
梁有漢書孟康音九卷、劉孝標注漢書一百四十卷、陸澄注漢書一百二卷、梁元帝注漢書一百一十五卷、並亡。

後漢書など

24東觀漢記 一百四十三卷 起光武記注至靈帝、長水校尉劉珍等撰。
25後漢書 一百三十卷 無帝紀、吳武陵太守謝承撰。
26後漢記 六十五卷 本一百卷、梁有、今殘缺。晉散騎常侍薛瑩撰。
27續漢書 八十三卷 晉祕書監司馬彪撰。
28後漢書 十七卷 本九十七卷、今殘缺。晉少府卿華嶠撰。
29後漢書 八十五卷 本一百二十二卷、晉祠部郎謝沈撰。
30後漢南記 四十五卷 本五十五卷、今殘缺。晉江州從事張瑩撰。
31後漢書 九十五卷 本一百卷、晉祕書監袁山松撰。
32後漢書 九十七卷 宋太子詹事范曄撰。
33後漢書 一百二十五卷 范曄本、梁剡令劉昭注。
34後漢書音 一卷 後魏太常劉芳撰。
35范漢音訓 三卷 陳宗道先生臧競撰。
36范漢音 三卷 蕭該撰。
37後漢書讚論 四卷 范曄撰。
38漢書纘 十八卷 范曄撰。
梁有蕭子顯後漢書一百卷、王韶後漢林二百卷、韋闡後漢音二卷、亡。

三国志など

39魏書 四十八卷 晉司空王沈撰。
40吳書 二十五卷 韋昭撰。本五十五卷、梁有、今殘缺。
41吳紀 九卷 晉太學博士環濟撰。
晉有張勃吳錄三十卷、亡。

42三國志 六十五卷 敍錄一卷、晉太子中庶子陳壽撰、宋太中大夫裴松之注。
43魏志音義 一卷 盧宗道撰。
44論三國志 九卷 何常侍撰。
45三國志評 三卷 徐眾撰。
梁有三國志序評三卷,晉著作佐郎王濤撰,亡。

晋書など

46晉書 八十六卷 本九十三卷、今殘缺。晉著作郎王隱撰。
47晉書 二十六卷 本四十四卷、訖明帝、今殘缺。晉散騎常侍虞預撰。
48晉書 十卷 未成、本十四卷、今殘缺。晉中書郎朱鳳撰、訖元帝。
49晉中興書 七十八卷 起東晉。宋湘東太守何法盛撰。
50晉書 三十六卷 宋臨川內史謝靈運撰。
51晉書 一百一十卷 齊徐州主簿臧榮緒撰。
52晉書 十一卷 本一百二卷、梁有、今殘缺。蕭子雲撰。
53晉史草 三十卷 梁蕭子顯撰。
梁有鄭忠晉書七卷、沈約晉書一百一十一卷、庾銑東晉新書七卷、亡。

宋書

54宋書 六十五卷 宋中散大夫徐爰撰。
55宋書 六十五卷 齊冠軍錄事參軍孫嚴撰。
56宋書 一百卷 梁尚書僕射沈約撰。
梁有宋大明中所撰宋書六十一卷、亡。

南斉書など

57齊書 六十卷 梁吏部尚書蕭子顯撰。
58齊紀 十卷 劉陟撰。
59齊紀 二十卷 沈約撰。
梁有江淹齊史十三卷、亡。

梁書など

60梁書 四十九卷 梁中書郎謝吳撰、本一百卷。
61梁史 五十三卷 陳領軍・大著作郎許亨撰。
62梁書帝紀 七卷 姚察撰。 63通史 四百八十卷 梁武帝撰。起三皇、訖梁。

北魏書など

64後魏書 一百三十卷 後齊僕射魏收撰。
65後魏書 一百卷 著作郎魏彥深撰。

陳書ほか

66陳書 四十二卷 訖宣帝,陳吏部尚書陸瓊撰。
67周史 十八卷 未成。吏部尚書牛弘撰。
右六十七部、三千八十三卷。通計亡書、合八十部、四千三十卷。

『隋書経籍志詳攷』解説文より

『漢書』芸文志では、史書は独立した分類を立てられず、『戦国策』『史記』が、『春秋』二十三家に含まれるのみ。
晋の荀勗『中経』に丙部として独立し、史記・旧事・皇覧簿・雑事がこれに含まれた。
李充の目録では、史書は丙部から乙部への昇格。
南朝梁の阮孝緒『七録』では、記伝録という部をたて、国史・注暦・旧事・職官・儀典・法制・偽史・雑伝・鬼神・土地・譜状・簿録の12項目に分けられる。

『隋書』経籍志より遅い、『唐六典』一〇と『日本国見在書目録』では、名称や序列は『隋書』に従う。新旧『唐書』の志では、正史・編年・偽史・雑史・起居注・故事・職官・雑伝(新唐書では雑伝記)・儀注・刑法・目録・譜牒・地理の13分類であり、『隋書』から異動がある。

正史は、『唐六典』一〇に、「以紀紀伝表志(以て紀伝表志を紀す)」とあり、紀伝体の史書を指す。編年体の史書は、「古史」と称して区別される。

『唐六典』は、唐の玄宗朝開元年間(713‐741)の官職を基準に、その職掌に関する律令格式および勅などの諸規定を分類し編集した書。30巻。唐の玄宗勅撰、李林甫ら注。……らしいです。

『隋書』の五十年後に完成した劉知幾『史通』古今正史篇では、紀伝体のみならず、編年体も含めて「正史」とする。
『七録』では「国史」、『隋書』経籍志以降では「正史」と称される。通志(南宋の鄭樵)は、史記・漢・後漢・三国・晋・宋・斉・梁・陳・後魏・北斉・後周・隋・唐・通史の15種類に区分する。211121