いつか書きたい三国志

『晋書』より徐龕・周撫・祖逖の史料

徐龕・周撫にかんする史料

『晋書』巻六 元帝紀

江東三郡饑,遣使振給之。彭城內史周撫殺沛國內史周默以反。

太康元年条の末。彭城内史の周撫が、沛国内史の周默(周黙)を殺して反乱した。

(太興二年)二月,太山太守徐龕斬周撫,傳首京師。夏四月,龍驤將軍陳川以浚儀叛,降于石勒。太山太守徐龕 以郡叛,自號兗州刺史,寇濟岱。……五月……平北將軍祖逖 及石勒將石季龍戰于浚儀,王師敗績。……
八月……徐龕寇東莞,遣太子左衞率羊鑒行征虜將軍,統徐州刺史蔡豹討之。冬十月,平北將軍 祖逖使督護陳超襲石勒將桃豹,超敗,沒於陣。

二月に太山太守の徐龕(じょがん)が周撫を斬り、首を京師に伝えた。夏四月、龍驤将軍の陳川が浚儀で反乱し、石勒に下った。太山太守の徐龕が太山郡をあげて反し、兗州刺史を自称した。
五月、平北将軍の祖逖と石虎が浚儀で戦い、祖逖が敗れた。

これは祖逖に関する記事。ページの下半分を参照。

八月、徐龕が東莞を寇して、羊鑒が蔡豹を統率して討伐した。
十月、祖逖が督護の陳超を派遣して、石勒の将の桃豹を襲撃し、陳超は敗れて陣没した。

これも祖逖に関する記事。ページの下半分を参照。


(太興三年五月)石勒將徐龕、帥眾來降。……七月……祖逖部將衞策大破石勒別軍於汴水。加逖為鎮西將軍。……九月, 徐龕又叛,降于石勒。……四年春二月,徐龕又帥眾來降。

徐龕は、太興三年五月に石勒から東晋に降服し、同年九月にまた石勒に降った。あいだの七月には、祖逖の将の衛策が、石勒の別軍を汴水で大いに破った。
太興四年二月、徐龕がふたたび東晋に降服した。

秋七月,王敦自加兗州刺史郗鑒為安北將軍。石勒將石季龍攻陷太山,執守將徐龕。兗州刺史郗鑒自鄒山退守合肥。

永昌元年(太興四年の翌年)石虎(石季龍)が太山を攻撃し、徐龕を捉えた。兗州刺史の郗鑒は、鄒山から合肥まで後退して守った。

『晋書』巻六十五 王導伝

及帝登尊號,百官陪列,命導升御牀共坐。導固辭,至于三四,曰:「若太陽下同萬物,蒼生何由仰照!」帝乃止。進驃騎大將軍、儀同三司。以討華軼功,封武岡侯。進位侍中、司空、假節、錄尚書,領中書監。會太山太守徐龕 反,帝訪可以鎮撫河南者,導舉太子左衞率羊鑒。既而鑒敗,抵罪。導上疏曰:「徐龕叛戾,久稽天誅,臣創議征討,調舉羊鑒。

元帝が即位し、華軼を討伐した功績で昇進した。たまたま太山太守の徐龕が反乱すると、王導は羊鑒を推薦した。羊鑒が敗れたので、王導が羊鑒を弁護した。

『晋書』巻六十七 郗鑒伝

元帝初鎮江左,承制假鑒龍驤將軍、兗州刺史,鎮鄒山。時荀藩用李述,劉琨用兄子演,並為兗州,各屯一郡,以力相傾,闔州編戶,莫知所適。又徐龕、石勒左右交侵,日尋干戈,外無救援,百姓饑饉,或掘野鼠蟄燕而食之,終無叛者。三年間,眾至數萬。帝就加輔國將軍、都督兗州諸軍事。永昌初,徵拜領軍將軍,既至,轉尚書,以疾不拜。

東晋のはじめ、郗鑒は承制して、假龍驤將軍・兗州刺史として、鄒山に鎮した。このとき荀藩は李術を、劉琨は兄子の劉演を兗州刺史としたので、兗州で勢力を分けあった。徐龕・石勒が侵略し、救援がないので、百姓は飢えた。元帝は郗鑒に、輔國將軍、都督兗州諸軍事を加えた。永昌年間の初め……。

『晋書』巻八十一 蔡豹伝

蔡豹、字を士宣。敦煌石室本『晋紀』によると、「蔡宣師」につくる。唐修『晋書』が「士宣」につくるのは、司馬師を避諱したため。あるいは「宣師」に作るべきを、唐修『晋書』が文字を転倒させたかと。

避亂南渡,元帝以為振武將軍、臨淮太守,遷建威將軍、徐州刺史。初,祖逖為徐州,豹為司馬,素易豹。至是,逖為豫州,而豹為徐州,俱受征討之寄,逖甚愧之。

元帝により、蔡豹は徐州刺史となった。これよりさき、祖逖が徐州刺史であり、蔡豹は元部下なので軽んじていた。祖逖が豫州刺史、蔡豹が徐州刺史としてランクが並び、征伐軍を対等に編成すると、祖逖はこれを恥じた。

是時太山太守徐龕 與彭城內史劉遐同討反賊周撫於寒山,龕將于藥斬撫。及論功,而遐先之。龕怒,以太山叛,自號安北將軍、兗州刺史,攻破東莞太守侯史旄而據其塢。石季龍伐之,龕懼,求降,元帝許焉。
既而復叛歸石勒,勒遣其將王伏都、張景等數百騎助龕。詔征虜將軍羊鑒、武威將軍侯禮、臨淮太守劉遐、鮮卑段文鴦等與豹共討之。諸將畏愞,頓兵下邳,不敢前。豹欲進軍,鑒固不許。龕遣使請救於勒,勒辭以外難,而多求於龕。又王伏都等淫其室。龕知勒不救,且患伏都等縱暴,乃殺之,復求降。元帝惡其反覆,不納,敕豹、鑒以時進討。鑒及劉遐等並疑憚不相聽從,互有表聞,故豹久不得進。

太山太守の徐龕は、彭城内史の劉遐とともに、周撫を寒山に討伐した。徐龕の将の于薬が周撫を斬った。論功行賞では、劉遐のほうが先とされた。徐龕は怒り、太山で叛し、兗州刺史を自称し、東莞太守の侯史旄を破ってその塢を本拠地とした。石虎がこれを討伐にくると、徐龕が石虎を懼れて、元帝に降服を申し入れた。
ふたたび徐龕が反乱して石勒に帰順し、石勒は王伏都・張景らを派遣して徐龕を助けた。元帝は、征虜將軍の羊鑒・武威將軍の侯禮・臨淮太守の劉遐・鮮卑の段文鴦らに蔡豹とともに、何龕を討伐させた。東晋の諸将は恐れ、下邳で止まってしまった。蔡豹が進もうとしたが、郗鑒は断固として認めなかった。何龕が使者を送り石勒に援軍を求めたが、石勒は遠隔地を理由により多くの見返りを求めた。何龕は石勒が助けてくれないので、東晋への帰順を求めた。元帝は、何龕がコロコロ態度が変わるので、認めなかった。元帝は、蔡豹・羊鑒に晋軍を命じた。羊鑒と劉遐は、何龕を恐れて進まず、蔡豹も進めなかった。

尚書令刁協奏曰:「臣等伏思淮北征軍已失不速,今方盛暑,冒涉山險,山人便弓弩,習土俗,一人守阨,百夫不當。且運漕至難,一朝糧乏,非復智力所能防禦也。書云寧致人,不致於人。宜頓兵所在,深壁固壘,至秋不了,乃進大軍。」詔曰:「知難而退,誠合兵家之言。然小賊雖狡猾,故成擒耳。未戰而退,先自摧衄,亦古之所忌。且邵存已據賊壘,威勢既振,不可退一步也。」
於是遣治書御史郝嘏為行臺,催攝令進討。豹欲逕進,鑒執不聽。協又奏免鑒官,委豹為前鋒,以鑒兵配之,降號折衝將軍,以責後效。豹進據卞城,欲以逼龕。時石季龍屯鉅平,將攻豹,豹夜遁,退守下邳。 徐龕襲取豹輜重於檀丘,將軍留寵、陸黨力戰,死之。

元帝が進軍を催促し、蔡豹は進もうとしたが、羊鑒が抵抗した。刁協は「羊鑒を免官し、蔡豹に先鋒をゆだね、郗鑒の兵を配下につけよ」と言った。蔡豹は進み、何龕に迫った。石虎が攻撃の姿勢を見せると、蔡豹は下邳に逃げた。徐龕は、蔡豹の軍事物資を奪った。

豹既敗,將歸謝罪,北中郎王舒止之,曰:「胡寇方至,使君且當攝職,為百姓障扞。賊退謝罪,不晚也。」豹從之。元帝聞豹退,使收之。使者至,王舒夜以兵圍豹,豹以為他難,率麾下擊之,聞有詔乃止。舒執豹,送至建康,斬之,尸于市三日,時年五十二。

蔡豹が敗れて、謝罪した。元帝は、蔡豹が撤退したことを聞き、蔡豹を捕らえて斬った。

『晋書』巻八十一 羊鑒伝

時徐龕反叛,司徒王導以鑒是龕州里冠族,必能制之,請遣北討。鑒深辭才非將帥。太尉郗鑒亦表謂鑒非才,不宜妄使。導不納,強啟授以征討都督,果敗績。導以舉鑒非才,請自貶,帝不從。有司正鑒斬刑,元帝詔以鑒太妃外屬,特免死,除名。

徐龕が反乱すると、王導は羊鑒が州里(太山郡)の冠族なので、制圧できるとして推薦した。羊鑒は将才がないと辞退した。郗鑒もまた、羊鑒が適任でないと言ったが、王導が押し切った。案の定、敗れた。王導は、不適任な羊鑒を推薦したとして、降格を申し出たが、元帝は王導をゆるした。

『晋書』巻八十一 劉遐伝

劉遐字正長,廣平易陽人也。性果毅,便弓馬,開豁勇壯。值天下大亂,遐為塢主,每擊賊,率壯士陷堅摧鋒,冀方比之張飛、關羽。鄉人冀州刺史邵續深器之,以女妻焉,遂壁于河濟之間,賊不敢逼。遐間道遣使受元帝節度,朝廷嘉之,璽書慰勉,以為龍驤將軍、平原內史。建武初,元帝令曰:「遐忠勇果毅,義誠可嘉。以遐為下邳內史,將軍如故。」

劉遐は、冀州刺史の周続に器量を評価され、娘婿となった。遠隔地から元帝に使者を出し、龍驤將軍・平原内史に任命された。下邳内史とされた。

初,沛人周堅,一名撫,與同郡周默因天下亂,各為塢主,以寇抄為事。默降祖逖,撫怒,遂襲殺默,以彭城叛,石勒遣騎援之。詔遐領彭城內史,與徐州刺史蔡豹、太山太守徐龕 共討撫,戰於寒山,撫敗走。詔徙遐為臨淮太守。 徐龕復反,事平,以遐為北中郎將、兗州刺史。

沛人の周堅(周撫)は、同郡の周默(周黙)とともに塢主となり、略奪を働いた。周默が祖逖に降ると、周撫は怒って、彭城で反乱した。石勒は騎兵を援軍とした。劉遐を彭城内史とし、徐州刺史の蔡豹・太山太守の徐龕とともに、寒山で周撫を討伐した。周撫が敗走すると、劉遐を臨淮太守とした。
徐龕がまた反乱し、これを平定すると、劉遐を北中郎将・兗州刺史とした。211216

祖逖にかんする史料

『晋書』巻六十二 祖逖伝

初,北中郎將劉演距于石勒也,流人塢主張平、樊雅等在譙,演署平為豫州刺史,雅為譙郡太守。又有董瞻、于武、謝浮等十餘部,眾各數百,皆統屬平。逖誘浮使取平,浮譎平與會,遂斬以獻逖。帝嘉逖勳,使運糧給之,而道遠不至,軍中大饑。

北中郎将の劉演が石勒を防ぎとめると、流人塢主の張平・樊雅らは譙にいた。劉演は張平を豫州刺史、樊雅を譙郡太守とした。周辺が張平の統属下に入った。祖逖は、張平の配下を抱き込み、張平を斬らせた。元帝はこれを称えた。

進據太丘。樊雅遣眾夜襲逖,遂入壘,拔戟大呼,直趣逖幕,軍士大亂。逖命左右距之,督護董昭與賊戰,走之。逖率眾追討,而張平餘眾助雅攻逖。蓬陂塢主陳川,自號寧朔將軍、陳留太守。逖遣使求救於川,川遣將李頭率眾援之,逖遂克譙城。

祖逖は進んで太丘を拠点とした。樊雅は、祖逖を夜襲した。祖逖の左右が防ぎ止め、樊雅ら賊軍を敗走させた。張平の残党が、樊雅を助けて祖逖を攻撃した。さてこのとき蓬陂の塢主の陳川は、寧朔將軍・陳留太守を自称していた。祖逖は使者を送って陳川に援軍を求め(樊雅との戦いに協力させ)、陳川は将の李頭を救援に送りこみ、祖逖は譙城で勝利した。

初,樊雅之據譙也,逖以力弱,求助於南中郎將王含,含遣桓宣領兵助逖。逖既克譙,宣等乃去。石季龍聞而引眾圍譙,含又遣宣救逖,季龍聞宣至而退。宣遂留,助逖討諸屯塢未附者。

これよりさき、樊雅は譙を本拠地としていた。祖逖は自軍が弱いので、南中郎将の王含に援軍を求め、王含は桓宣を派遣して祖逖を助けた。祖逖が(張平を斬って)譙で勝つと、桓宣は撤退した。石虎は、これを聞いて譙を包囲した。王含はふたたび桓宣を派遣して、祖逖を救おうとした。石虎は桓宣が向かっていると聞いて撤退した。桓宣は譙に留まって、祖逖と協力して、もろもろの敵対した屯塢を討伐した。

『晋書』巻八十一 桓宣伝

桓宣,譙國銍人也。……時塢主張平自稱豫州刺史,樊雅自號譙郡太守,各據一城,眾數千人。帝以宣信厚,又與平、雅同州里,轉宣為參軍,使就。平、雅。平雅遣軍主簿隨宣詣丞相府受節度,帝皆加四品將軍,即其所部,使扦禦北方。南中郎將王含請宣為參軍。

桓宣は譙国のひと。塢主の張平が豫州刺史を自称し、樊雅が譙郡太守を自称した。元帝は桓宣を信頼し、張平・樊雅と同郷なので、桓宣を参軍として、張平・樊雅のもとにつけた。張平・樊雅は、軍主簿の隨宣を派遣して、丞相府で節度を受けさせた。南中郎将の王含は、桓宣を参軍に迎えた。

頃之,豫州刺史祖逖 出屯蘆洲,遣參軍殷乂詣平、雅。乂意輕平,視其屋,云當持作馬廄,見大鑊,欲鑄作鐵器。平曰:「此是帝王大鑊,天下定後方當用之,奈何打破!」乂曰:「卿能保頭不?而惜大鑊邪!」平大怒,於坐斬乂,阻兵固守。
歲餘,逖攻平殺之,而雅據譙城。逖以力弱,求助於含,含遣宣領兵五百助逖。逖謂宣曰:「卿先已說平、雅,信義大著於彼。今復為我說雅。雅若降者,方相擢用,不但免死而已。」宣復單馬從兩人詣雅,曰:「 祖逖 方欲平蕩二寇,每倚卿為援。前殷乂輕薄,非豫州意。今若和解,則忠勳可立,富貴可保。若猶固執,東府赫然更遣猛將,以卿烏合之眾,憑阻窮城,強賊伺其北,國家攻其南,萬無一全也。願善量之。」雅與宣置酒結友,遣子隨宣詣逖。少日,雅便自詣逖,逖遣雅還撫其眾。

しばらくして、豫州刺史の祖逖が蘆洲に進出してきて、祖逖は参軍の殷乂を張平・樊雅のところに行かせた。殷乂は張平らを軽んじたので、口論になって殷乂を斬り、塢主たちは祖逖と敵対関係になった。
一年あまり後、祖逖が張平を殺し(祖逖伝にあり)、樊雅は譙城に拠った。祖逖は兵力が弱いので、王含(桓宣の上官)に助けを求めた。王含は桓宣を派遣し、祖逖を救援させた。桓宣は単騎で、樊雅を説得した。桓宣・樊雅は打ち解けて、樊雅は桓宣に子の差し出した。桓宣は、樊雅の子をたずさえて祖逖を訪問した。後日、樊雅はみずから祖逖を訪問し、祖逖は樊雅を拘束せず、その配下を慰撫した。

雅僉謂前數罵辱,懼罪不敢降。雅復閉城自守。逖往攻之,復遣宣入說雅,雅即斬異己者,遂出降。未幾,石勒別將圍譙城,含又遣宣率眾救逖,未至而賊退。逖留宣討諸未服,皆破之。遷譙國內史。

樊雅らはかつて祖逖を辱めたので、罪をおそれて降服しなかった。祖逖が樊雅らを攻撃すると、桓宣は入城して樊雅を説得した。樊雅は、自分と意見が違うものを斬って、出てきて降服した。いくばくもなく、石勒の別将が譙城を包囲した。王含はこんども桓宣を派遣して祖逖を救援し、到着する前に石勒軍は撤退した(祖逖伝と共通)。

『晋書』巻一百五 石勒載記下

孔萇攻邵續別營十一,皆下之。續尋為石季龍所獲,送于襄國。劉曜將尹安、宋始據洛陽,降于勒。
晉徐州刺史蔡豹敗徐龕于檀丘,龕遣使詣勒,陳討豹之計。勒遣將王步都為龕前鋒,使張敬率騎繼之。敬達東平,龕疑敬之襲己也,斬步都等三百餘人,復降于晉。勒大怒,命張敬據其襟要以守之。……

孔萇が邵続の別営を、すべて攻め落とした。邵続は石虎に捕らえられ、襄国に送られた。劉曜の将の尹安・宋始が洛陽を守っていたが、石勒に降った。
東晋の徐州刺史の蔡豹が徐龕を檀丘で破り、徐龕は使者を石勒のところに送り、蔡豹を討伐する計画を述べた。石勒は、将の王歩都を派遣して、徐龕の前鋒とし、張敬を後続の騎馬軍とした。張敬が東平に達すると、徐龕は自分が張敬に襲われるのではないかと疑い、王歩都ら三百人あまりを斬り、ふたたび東晋に降った。石勒は怒り、張敬を要所に陣取らせた。

孔萇攻陷文鴦十餘營,萇不設備,鴦夜擊之,大敗而歸。……

孔萇は文鴦の十営あまりを攻め落とした。孔萇は守備をきちんと設けておらず、文鴦は夜に襲撃し、大いに撃破して帰ってきた。

使石季龍率步騎四萬討徐龕,龕遣長史劉霄詣勒乞降,送妻子為質,納之。時蔡豹屯于譙城,季龍攻豹,豹夜遁,季龍引軍城封丘而旋。

石虎に四万をひきいて徐龕を討伐させた。徐龕は、長史の劉霄を派遣して石勒に降服を申し出て、妻子を人質にした。石勒は徐龕の降服を受け入れた。このとき蔡豹は譙城に駐屯しており、石虎が蔡豹を攻めた。蔡豹は夜ににげ、石虎は軍をひいて封丘に城を構えてひきあげた。211216