いつか書きたい三国志

youtube「三国志独学入門」補講

山陽公載記・献帝春秋

赤壁の戦いについて知りたい。

ちくま1 p069 武帝紀
『山陽公載記』にいう。(曹)公は軍船を劉備のために焼かれ…。

『山陽公載記』はどのような性質の史料か?

ちくま8 史料解説 p311
『山陽公載記』は楽資の撰。裴松之は袁暐の『献帝春秋』とともに、「穢雑虚謬」と批判する。

裴松之は、どこで・なにを・なぜ批判しているのか?『献帝春秋』を、どのようなかたちで巻き込んで批判しているのか?一切不明。

ちくまの解説は、かなり不親切。

裴松之注(の訳)の全文から、「穢雑虚謬」という言葉を発見するのは至難。本来ならば全文を確認すべきだが、新たに書名が現れた『献帝春秋』について、ちくま8の解説にヒントがないか?

ちくま8 史料解説 p307
『献帝春秋』は袁暐の撰。裴松之は袁紹伝の注で、『山陽公載記』の作者 楽資とともに、その記事のいいかげんさを厳しく指弾している。

袁紹伝のなかの具体的な箇所は記されていないため、最初から確認する。

ちくま1 p452 袁紹伝
『献帝春秋』にいう。袁紹は……刀をひきよせ横を向いて(董卓に)会釈し、退出した。わたくし裴松之は思う。……この『献帝春秋』の記述は、でたらめなことははなはだしい。

袁紹伝で裴松之が『献帝春秋』を批判する場所は見つかったが、『山陽公載記』とセットで批判しているわけではない。ちくま8の解説の不備か。もしくは、別の箇所に『山陽公載記』とセットで批判する箇所がまだあるのか。袁紹伝の先を読み進める。

ちくま1 p494 袁紹伝
『先賢行状』にいう。審配は……(立派な最期をとげた)とある。楽資の『山陽公載記』と袁暐の『献帝春秋』は双方とも、審配が逃げこみ、井戸でとらえられた、としている。わたくし裴松之は考える。審配は死を惜しまない。楽資・袁暐といった連中は、いいかげんである。

ちくま8の『献帝春秋』の解説は、袁紹伝の審配の死をめぐる記事であることが判明した。しかし、「穢雑虚謬」は発見できなかった。
『献帝春秋』によるショートカットはできなかったため、結局、裴松之注の全文をチェックし、「穢雑虚謬」という言葉を探す。


ちくま5 p182 馬超伝
『山陽公載記』はいう。馬超は劉備をあざなで呼んだ。わたくし裴松之の意見。この記事は事実に反する。袁暐『献帝春秋』・楽資『山陽公載記』らの記事は、穢雑で虚偽誤謬にみちている。

ちくま8の『山陽公載記』の解説は、馬超伝の注を踏まえたものであったことが判明した。はじめから、「馬超伝の注で」と明記してあれば、この調査は必要なかった。

解説

赤壁の戦いについて知るため、武帝紀に引く『山陽公載記』の性質(信頼性)を確認したかった。ちくま8の解説によると、裴松之は『山陽公載記』を、『献帝春秋』とともに「穢雑誤謬」と批判するという。
『山陽公載記』のどのような記述に対する批判か。裴松之はどこに批判を載せているのか。一切不明。
全文を探すのは現実的でないため、新たに書名が現れた『献帝春秋』について、ちくま8で確認した結果、袁紹伝というヒントを得られた。
袁紹伝には2回、裴松之が『献帝春秋』を批判した文があった。2回目(審配の最期)の批判は、『献帝春秋』を『山陽公載記』とまとめて批判するものであり、ちくま8『献帝春秋』の解説の根拠を発見できた。しかし、ちくま8『山陽公載記』の解説に引かれた、「穢雑虚謬」という表現は、袁紹伝に見えなかった。
やむなく全文を探した結果、ちくま8『山陽公載記』の解説は、馬超伝の裴松之注に基づくことを確認できた。

裴松之が『山陽公載記』と『献帝春秋』をまとめて批判することは、『三国志』のなかで複数の箇所でおこなわれている。ちくま8の『山陽公載記』の解説に、「馬超伝で」と明記があれば、このような探索は不要であった。


調査の目的である、赤壁の戦いについて詳細を知りたい、という件について。武帝紀に引く『山陽公載記』は信頼できるか、という問いに対しては、「信頼性に乏しく、かなり慎重に扱うべき」という結論が得られた。211225