いつか書きたい三国志

『戦国策』秦策を読む(秦王政)

新釈漢文大系(明治書院)を参考にしています。学問的な手続ではなく、『戦国策』の概略を知るための「ななめ読み」です。
昭襄王と秦王政のあいだに、荘襄王がいますが『戦国策』は記事なし。

始皇帝(秦王政)

110文信侯欲攻趙以廣河間

文信侯欲攻趙以廣河間,使剛成君蔡澤事燕三年,而燕太子質於秦。文信侯因請張唐相燕,欲與燕共伐趙,以廣河間之地。張唐辭曰:「燕者必徑於趙,趙人得唐者,受百里之地。」文信侯去而不快。少庶子甘羅曰:「君侯何不快甚也?」文信侯曰:「吾令剛成君蔡澤事燕三年。而燕太子已入質矣。今吾自請張卿相燕,而不肯行。」甘羅曰:「臣行之。」文信君叱去,曰:「我自行之而不肯,汝安能行之也?」甘羅曰:「夫項櫜生七歲而為孔子師,今臣生十二歲於茲矣!君其試臣,奚以遽言叱也?」

文信侯(呂不韋)は、趙を攻め、趙の河間での侵略を広げようとした。剛成君の蔡沢を燕に仕えさせること三年。燕の太子丹が、人質として送られてきた。
文信侯は、(秦の臣)張唐を、燕の宰相として送り込もうとした。

『水滸伝』に出てくるのは、赤髪鬼の劉唐。

張唐「燕に行くには、趙を通る必要がある。趙では、私に百里の地の懸賞金がかかっています」と断った。文信侯は不機嫌になった。十二歳の甘羅(甘茂の孫、このとき文信侯の臣)は、「私が張唐を説得します」と言った。

甘羅見張唐曰:「卿之功,孰與武安君?」唐曰:「武安君戰勝攻取,不知其數,攻城墮邑,不知其數。臣之功不如武安君也。」甘羅曰:「卿明知功之不如武安君歟?」曰:「知之。」「應侯之用秦也,孰與文信侯專?」曰:「應侯不如文信侯專。」曰:「卿明知為不如文信侯專歟?」曰:「知之。」甘羅曰:「應侯欲伐趙,武安君難之,去咸陽七里,絞而殺之。今文信侯自請卿相燕,而卿不肯行,臣不知卿所死之處矣。」唐曰:「請因孺子而行!」令庫具車,廄具馬,府具幣,行有日矣。

甘羅は、張唐に言った。「あなたの功績は、武安君(白起)と比べてどうですか」と。張唐「及ばない」。甘羅「応侯(范雎)が秦の宰相になったときと、いまの文信侯(呂不韋)は、どちらが権勢が強いですか」と。「文信侯だ」。甘羅「応侯(范雎)が趙を伐とうとしたとき、武安君(白起)は難色を示した。そのせいで、白起は范雎に殺されました。いま(白起に劣る)あなたが、(范雎に勝る)呂不韋に逆らうことなんて、できるんですか」と。

范雎と白起という固有名詞を抑えておきたい説得法。


甘羅謂文信侯曰:「借臣車五乘,請為張唐先報趙。」見趙王,趙王郊迎。謂趙王曰:「聞燕太子單之入秦與?」曰:「聞之。」「聞張唐之相燕與?」曰:「聞之。」「燕太子入秦者,燕不欺秦也,張唐相燕者,秦不欺燕也。秦、燕不相欺,則伐趙,危矣。燕、秦所以不相欺者,無異故,欲攻趙而廣河間也。今王齎臣五城以廣河間,請歸燕太子,與強趙攻弱燕。」趙王立割五城以廣河間,歸燕太子。趙攻燕,得上谷三十六縣,與秦什一。

甘羅は文信侯に申し入れ、張唐が燕に赴任するための根回しをした。甘羅は、赴任の邪魔になる趙の悼襄王に対し、「秦と燕は、人質と宰相の往来があり、信頼関係があります。秦と燕が同盟するのは、河間の地(趙の領土)を侵略するためです。いま趙王が秦に五城を進呈してくれるならば、燕と秦の同盟をなかったことにし、秦と趙が共同で燕を攻めることにします」と。
趙の悼襄王は、秦に五城をわたした。秦は、燕の太子を送り返した。趙は燕を攻めて、燕の上谷地方の三十六県を手に入れ、秦にその十分の一を贈った。

呂不韋は、燕を味方にして、秦燕が合同で趙(河間地方)を攻撃しようとした。しかし張唐を燕に派遣し、秦燕の同盟を強固にするのは、現実的な方法ではなく、当事者の張唐が「趙を通過できない」と断ってきた。
そこで甘羅は、張唐が燕に赴任する(と見せかけて、赴任予定のことを趙を脅迫する材料に使い)趙の悼襄王を揺さぶった。秦は一兵も動かさず、趙から五城を割譲された。秦との同盟で背後を固めた趙は、燕を攻撃して戦果をあげた。秦はその戦果をもらって丸儲けした。


111秦王欲見頓弱

秦王欲見頓弱,頓弱曰:「臣之義不參拜,王能使臣無拜,即可矣。不,即不見也。」秦王許之。於是頓子曰:「天下有其實而無其名者,有無其實而有其名者,有無其名又無其實者。王知之乎?」王曰:「弗知。」頓子曰:「有其實而無其名者,商人是也。無把銚推耨之勢,而有積粟之實,此有其實而無其名者也。無其實而有其名者,農夫是也。解凍而耕,暴背而耨,無積粟之實,此無其實而有其名者也。無其名又無其實者,王乃是也。已立為萬乘,無孝之名;以千里養,無孝之實。」秦王悖然而怒。

秦王政が、(処士の)頓弱に会いたいと思った。頓弱は、「王侯に拝礼したくない」と言った。頓弱(頓子)は秦王政に3つのパターンを話した。
実があって名がないのは商人。商人は、財産(実)はあるが、生産活動(名)がない。実がなくて名があるのが農民。農民は、財産(実)はないが、生産活動(名)をしている。実も名もないのは、秦王です。高い位にいるが、母親への孝行という行動(名)がない。広い土地を持っているが、母親への財産の付与(実)がない」と。

「実」と「名」の解釈が、これで合っているのが違和感あり。


頓弱曰:「山東戰國有六,威不掩於山東,而掩於母,臣竊為大王不取也。」秦王曰:「山東之建國可兼與?」頓子曰:「韓,天下之咽喉;魏,天下之胸腹。王資臣萬金而游,聽之韓、魏,入其社稷之臣於秦,即韓、魏從。韓、魏中,而天下可圖也。」秦王曰:「寡人之國貧,恐不能給也。」頓子曰:「天下未嘗無事也,非從即橫也。橫成,則秦帝;從成,即楚王。秦帝,即以天下恭養;楚王,即王雖萬金,弗得私也。」秦王曰:「善。」乃資萬金,使東又放假、魏,入其將相。碑游於燕、趙,而殺李牧。齊王入朝,四國必從,頓子之說也。

頓弱はいった。「秦王の威光が、山東の六国を覆わずに、しかし実母を覆っているのは、よくない」と。秦王は機嫌を直し、「六国を併合できるだろうか」と。頓弱の答え。「韓は天下の咽喉。魏は天下の胸腹。秦王が私に大金を持たせ、韓と魏への遊説をさせてくれたら、韓と魏の重臣を引き抜きましょう。そうすれば天下は、秦のものです」と。
秦王が支出をしぶると、「天下は戦乱が絶えません。連衡(横のつながり)が成立すれば、秦がトップとなり、合従(縦のつながり)が成立すれば、楚がトップとなります。楚がトップになれば、大王は母親を養えなくなります」と。
秦王は大金を支給した。頓弱は韓と魏に遊説し、将軍・宰相を引き抜いた。燕・趙に遊説し、趙の将の李牧を殺させた。斉王(王建)が入朝した。燕・趙・韓・魏の四国がすべて秦に服従したのは、頓弱(頓子)の遊説の賜物である。

まず秦王を「実も名もない(母親を養えていない)、楚にトップを取られる、と怒らせてから、自分の説に引き込んだのは、『戦国策』に見える遊説家の常套手段とのこと。


112或為六國說秦王

或為六國說秦王曰:「土廣不足以為安,人眾不足以為強。若土廣者安,人眾者強,則桀、紂之後將存。昔者,趙氏亦嘗強矣。曰趙強何若?舉左案齊,舉右案魏,厭案萬乘之國,二國,千乘之宋也。築剛平,衛無東野,芻牧薪采,莫敢窺東門。當是時,衛危於累卵,天下之士相從謀曰:『吾將還其委質,而朝於邯鄲之君乎!於是天下有稱伐邯鄲者,莫不令朝行。

ある男が、六国(秦以外)の利益のため、秦王政に言った。領土が広く、人民が多くても安心できない。領土と人口で決まるならば、夏桀・殷紂の子孫が今日でも繁栄しているはず。むかし趙が強大でした。左手で斉を、右手で魏を抑え、万乗の国(斉・魏)を制圧。千乗の国(宋)を苦しめ、剛平(衛の邑)に陣地をつくり、衛は首都の帝丘の東部を失い、だれも東門から出なくなりました。衛は、累卵より危うくなりました。天下の士は、「現在の仕官先の君主から献上品を返還してもらい、趙の邯鄲に差し出そう」と口々に言うほど。
やがて、(強大化しすぎた)邯鄲を討伐しよう、という期運が高まりました。

魏伐邯鄲,因退為逢澤之遇,乘夏車,稱夏王,朝為天子,天下皆從。齊太公聞之,舉兵伐魏,壤地兩分,國家大危。梁王身抱質執璧,請為陳侯臣,天下乃釋梁。郢威王聞之,寢不寐,食不飽,帥天下百姓,以與申縛遇於泗水之上,而大敗申縛。趙人聞之至枝桑,燕人聞之至格道。格道不通,平際絕。齊戰敗不勝,謀則不得,使陳毛釋劍掫,委南聽罪,西說趙,北說燕,內喻其百姓,而天下乃齊釋。於是夫積薄而為厚,聚少而為多,以同言郢威王於側紂之間。臣豈以郢威王為政衰謀亂以至於此哉?郢為強,臨天下諸侯,故天下樂伐之也!」

魏軍が邯鄲(趙の都)を攻撃し、軍を退くとき、魏は領内の逢沢で諸侯と会盟しました。夏后氏の時代の車に乗り、夏王と称し、周の天子に入朝したところ、天下の諸侯はみな魏を支持しました。
斉の太公(田和)はそれを聞くと、斉を攻撃しました。そのため、魏は国土が二分されました。梁王(魏の恵王)は、陳侯(斉侯)に臣従を申し出て、ようやく天下は梁(魏)を許しました。
郢(楚)の威王はこれを聞くと、つぎに斉に攻撃されるのは自国だと思い、心配しました。楚軍は、斉の将の申縛と泗水ほとりで戦い、申縛を破りました。趙と燕が斉を攻めようと窺ったので、斉は楚に謝罪しました。ようやく天下は斉を許しました。
つぎに天下は、楚の威王を危険視するようになりました」と。
趙、魏、斉、楚と、過去の「強」国は長続きしないから、秦王政も調子に乗らないように、と釘を刺した文。

113四國為一將以攻秦

四國為一,將以攻秦。秦王召群臣賓客六十人而問焉,曰:「四國為一,將以圖秦,寡人屈於內,而百姓靡於外,為之奈何?」群臣莫對。姚賈對曰:「賈願出使四國,必絕其謀,而安其兵。」乃資車百乘,金千斤,衣以其衣冠,舞以其劍。姚賈辭行,絕其謀,止其兵,與之為交以報秦。秦王大悅。賈封千戶,以為上卿。

四国(燕・趙・呉・楚)が、一つになって秦を攻めようとした。秦王政の問いかけに、魏からの賓客の姚賈が答えた。わたしが使者になって四国を訪問しましょう。姚賈は(外交に用いるための)財貨を持たされ、四国の連携を断ち切り、千戸の邑・上卿に取り立てられた。

姚賈がどのように四国の連携を切ったのか、そこが読みたい。しかしこれは、秦国の国内の逃走が主題。


韓非知之,曰:「賈以珍珠重寶,南使荊、吳,北使燕、代之間三年,四國之交未必合也,而珍珠重寶盡於內。是賈以王之權、國之寶,外自交於諸侯,願王察之。且梁監門子,嘗盜於梁,臣於趙而逐。取世監門子,梁之大盜,趙之逐臣,與同知社稷之計,非所以厲群臣也。」

同じく賓客の韓非が、姚賈を批難した。「姚賈は、四国に身を寄せて、交渉に三年もかけました。外交のための財貨を私的に利用しました。姚賈は、梁(魏)の門番にすぎず、趙からも追放されました。姚賈を重く用いてはいけません」と。

王召姚賈而問曰:「吾聞子以寡人財交於諸侯,有諸?」對曰:「有。」王曰:「有何面目復見寡人?」對曰:「曾參孝其親,天下願以為子;子胥忠其君,天下願以為臣;貞女工巧,天下願以為妃。今賈忠王而王不知也。賈不歸四國,尚焉之?使賈不忠於君,四國之王尚焉用賈之身?桀聽讒而誅其良將,紂聞讒而殺其忠臣,至身死國亡。今王聽讒,則無忠臣矣。」

秦王政が姚賈を問い質した。姚賈「(孔子の弟子)曾参が孝行だと、天下の親は曾参を子にしたいと言った。伍子胥が忠であれば、天下の諸侯は伍子胥を臣従させたいと言った。私は秦王さまに忠なのに、なぜ疑うのですか。私は(天下の素浪人なので)諸侯のあいだに身を寄せなければ、生き延びられませんでした。私が秦王に忠でなければ、四国の王が私を受け入れるはずがありません。

既視感のある、つまらない言い訳ですね。

夏桀は、讒言をきいて良将(関龍逢)を殺し、殷紂は、讒言を聞いて中心(比干)を殺し、国が滅びました。秦国も同じことをくり返すのですか」と。

曾参、伍子胥、関龍逢、比干という固有名詞をみれば十分。


王曰:「子監門子、梁之大盜、趙之逐臣。」姚賈曰:「太公望,齊之逐夫、朝歌之廢屠、子良之逐臣、棘津之讎不庸,文王用之王王。管仲,其鄙人之賈人也,南陽之弊幽、魯之免囚,桓公用之而怕。百里奚,虞之乞人,傳賣以五羊之皮,穆公相之而朝西戎。文公用中山盜,而勝於城濮。此四士者,皆有詬醜,大誹天下,明主用之,知其可與立功。使若卞隨、務光、申屠狄,人主豈得其用哉!故明主不取其汙,不聽其非,察其為己用。故可以存社稷者,雖有外誹者不聽,雖有高世之名,無咫尺之功者不賞。是以群臣莫敢以虛願望於上。」秦王曰:「然。」乃可復使姚賈而誅韓非。

秦王「きみは梁(魏)の門番で泥棒、趙で追放されたが」。姚賈の反論。「太公望は、斉で妻に追い出され、朝歌(殷の都)で腐肉を売り、子良(未詳)に追放され、棘津(太公望の出身地)で身売りしても買値が付かなかった。管仲は、斉の行商人で、南陽(斉の邑)で隠れた貧乏人で、魯の囚人でもあった。百里奚は虞の乞食で、五匹の羊の皮で転売されたが、秦の穆公が宰相とし、西戎を来朝させた。晋の文公は、中山国の盗賊を用い、城濮(衛の邑)で、楚の成王に勝ちました。この四人は、汚点があったが賢君に用いられ、国を導いた前例です」と。
秦王は姚賈を登用し、韓非を誅殺した。220305