いつか書きたい三国志

『戦国策』趙策を読む(悼襄王・幽繆王)

新釈漢文大系(明治書院)を参考にしています。学問的な手続ではなく、『戦国策』の概略を知るための「ななめ読み」です。

悼襄王

悼襄王は、孝成王の子。名は偃(趙王偃)。李牧が将となって燕を攻め、武遂・方城を抜き、翌年に龐淯がまた燕を攻め、その将の劇辛を捕らえた。在位九年。

290秦召春平侯

秦召春平侯,因留之。世鈞為之謂文信侯曰:「春平侯者,趙王之所甚愛也,而郎中甚妒之,故向與謀曰:『春平侯入秦,秦必留之。』故謀而入之秦。今君留之,是空絕趙,而郎中之計中也。故君不如遣春平侯而留平都侯。春平侯者言行遇趙王,必厚割趙以事君,而贖平都侯。」文信侯曰:「善。」因與接意而遣之。

秦が(趙の)春平侯を召し寄せて、そのまま抑留した。世鈞(説客か)が、春平侯のために(秦の相)文信侯呂不韋に説いた。「春平侯は、趙の悼襄王が寵愛しています。それを郎中たちが妬み、『春平侯が秦に行ったら、きっと抑留される』と言っていた。ですから謀議し、敢えて秦に行かせたのです。いま呂不韋が(趙の郎中の見立てどおり)春平侯を抑留したならば、秦と趙が断絶し、郎中らの計略にはまることになります。ですからあなたは、春平侯を帰らせ、いっしょに来ている平都侯を抑留なさい。春平侯の進言は、そのまま悼襄王に通ります。必ずたくさんの趙の地を割いて君に仕え、平都侯を買い戻すでしょう」と。文信侯呂不韋は納得し、よく意思疎通して帰らせた。

世鈞が、春平侯を助けるために、文信侯呂不韋の功利心に働きかけ、趙に帰すように説得した。『キングダム』では、秦と趙の同盟を成り立たせるキッカケとして春平侯が捕らえられ、春平侯を帰国させることが条件になったので、かわりに平都侯を置いていった、という話になっていた。

幽繆王(湣王)

幽王は、悼襄王の庶子。名は遷(趙王遷)。幽繆王、湣王、あるいは諡なしともいう。秦が再び趙を侵略すると、趙の将の李牧・司馬尚が、これを迎え撃った。王が讒言を信じて李牧を殺し、司馬尚を罷免し、郭開を用いた。秦に敗れると、王が降服して国が滅んだ。在位八年。秦は王を房陵に流した。王は故郷を思って、「山木之謳」をつくった。聞いたものは、みな涙を流した。

291文信侯出走

文信侯出走。與司空馬之趙,趙以為守相。秦下甲而攻趙。司空馬說趙王曰:「文信侯相秦,臣事之,為尚書,習秦事。今大王使守小官,習趙事。請為大王設秦、趙之戰,而親觀其孰勝。」

文信侯(呂不韋)が秦から出奔したとき、司空馬は、趙へ去った。趙では、司空馬をかりの宰相とした(守相)。秦軍が趙を攻めた。司空馬が、趙の有望高にいう。「呂不韋が秦で宰相をしていたとき、私は尚書として、仕えていました。秦の国情に詳しく、いま趙の国情も知りました。大王のために、秦・趙の模擬戦をご覧にれます。」

「趙孰與秦大?」曰:「不如。」「民孰與之眾?」曰:「不如。」「金錢粟孰與之富?」曰:「弗如。」「國孰與之治?」曰:「不如。」「律令孰與之明?」曰:「不如。」司馬空曰:「然則大王之國,百舉而無及秦者,大王之國亡。」趙王曰:「卿不遠趙,而悉教以國事,願於因計。」

「趙と秦は、どちらが大きいですか」。「(趙は秦に)敵わない」。「人口の多さは」。「敵わない」と。「金銭と穀物は」。「敵わない」。「国の治まりは」。「敵わない」。「法律は」。敵わない。「宰相の賢明さは」。「敵わない」。「将軍の勇猛さは」。「敵わない」。

中国哲学書電子化計画からコピーしたテキストだと、宰相と将軍について触れた部分がない。

司空馬「すべてに劣る趙は、滅ぶでしょう」。趙王「その上で、あなたは趙まで来てくれた。あなたの知恵をください」と。

司馬空曰:「大王裂趙之半以賂秦,秦不接刃而得趙之半,秦必悅。內惡趙之守,外恐諸侯之救,秦必受之。秦受地而卻兵,趙守半國以自存。秦銜賂以自強,山東必恐,亡趙自危,諸侯必懼。懼而相救,則從事可成。臣請大王約從。從事成,則是大王名亡趙之半,實得山東以敵秦,秦不足亡。」

司空馬「趙の領土の半分を差し出せば、秦は喜ぶでしょう。内部(当事者間)、趙軍の守りの堅さを嫌い、外部(天下)では諸侯が趙国を救うのを嫌っています。秦は喜んで割譲を受けるでしょう。

解説によると、呂不韋を介して、趙国の半分を秦に差し出す。という計略。呂不韋が挟まっているのは、本文からだけだと、よく分からない。呂不韋が、秦国と一体ではないから、秦を分断する計略としては優秀か。

ところが秦が趙の半分を得たら、山東の諸侯は、『趙が滅びたら、つぎは自国が秦に滅ぼされる』と考える。合従が成立するでしょう。合従が成功すれば、趙王は山東の盟主になることができ、秦を滅ぼすことも期待できます」と。

趙王曰:「前日秦下甲攻趙,趙賂以河間十二縣,地削兵弱,卒不免秦患。今又割趙之半以強秦,力不能自存,因以亡矣。願卿之更計。」司空馬曰:「臣少為秦刀筆,以官長而守小官,未嘗為兵首,請為大王悉趙兵以遇。」趙王不能將。司空馬曰:「臣效愚計,大王不用,是臣無以事大王,願自請。」

趙王「さきごろ秦が趙を攻めたとき、趙は河間の十二県をまかないとして贈った。土地は削られ、趙軍は弱められたが、秦からの脅威は強まるばかり。さらに国土の半分を割譲したら、趙は滅びるだろう。別のアイディアを頼む」と。
司空馬「私は幼少から秦の書記となり、(国を移り)成長して趙の宰相となりました。まだ武官の経験はないが、趙軍を私に任せて下さい」と。
趙王は、司空馬を将軍にできなかった。
司空馬は、意見が採用されないので趙を去った。

ここからエピソードは後半戦に入る。

司空馬去趙,渡平原。平原津令郭遺勞而問曰:「秦兵下趙,上客從趙來,趙事何如?」司空馬言其為趙王計而弗用,趙必亡。平原令曰:「以上客料之,趙何時亡?」司空馬曰:「趙將武安君,期年而亡,若殺武安君,不過半年。趙王之臣有韓倉者,以曲合於趙王,其交甚親,其為人疾賢妒功臣。今國危亡,王必用其言,武安君必死。」

司空馬が趙を去り、平原の渡し場をわたろうとした。平原の渡し場の長官の郭遺が、ねぎらった。「秦の軍が、趙に向かいました。あなたは趙から来ましたね。趙の様子はどうですか」と。司空馬「私の意見を採用しないから、趙は滅ぶはずだ」と。渡し場の長官「いつ滅びますか」。
司空馬「武安君(李牧)を将軍とするなら、まる一年は持ち堪えます。武安君を殺したら、半年ももたない。趙王の臣に、韓倉がおり、趙王に気に入られています。賢者を憎み、功臣を妬んでいます。王が韓倉の言うことを聞き、きっと武安君(李牧)は殺されます」と。

韓倉果惡之,王使人代。武安君至,使韓倉數之曰:「將軍戰勝,王觴將軍,將軍為壽於前而捍匕首,當死。」武安君曰:「繓病鉤,身大臂短,不能及地,起居不敬,恐懼死罪於前,故使工人為木材以接手。上若不信,繓請以出示。」出之袖中,以示韓倉,狀如振捆,纏之以布。「願公入明知。」韓倉曰:「受命於王,賜將軍死,不赦。臣不敢言。」
武安君北面再拜賜死,縮劍將自誅,乃曰:「人臣不得自殺宮中。」遇司空馬門,趣甚疾,出棘門也。右舉劍將自誅,臂短不能及,銜劍徵之於柱以自刺。武安君死。五月趙亡。

韓倉は、やはり武安君(李牧)を譏ったので、趙王は別人に交替させた。武安君が(将軍を解任されて、趙に)帰還すると、趙王は、韓倉に武安君を追及させた。ひじが短いから云々。はぶく。
武安君は、北面を再拝し、死罪の命令を受け、剣で自殺しようとしたが、「人臣が宮中で自殺すべきでない」と思い直し、司馬門を過ぎて、走っていった。ひじが短いので、自害できない。そこで剣を口に含み、柱にあてがって、自ら刺し通した。
武安君が死ぬと、五ヶ月で趙は滅んだ。

平原令見諸公,必為言之曰:「嗟茲呼,司空馬!」又以為:司空馬逐於秦,非不知也。去趙,非不肖也。趙去司空馬而國亡。國亡者,非無賢人,不能用也。

平原の長官は、この話を高官のひとに聞かせ、「司空馬の見立てどおりになった」と言った。また長官は思った。「司空馬が秦から放逐されたのは、知恵が足りなかったからではない。趙を去ったのは、愚か者だったからではない。趙国が滅んだのは、賢者がいないからではなく、賢者を用いられなかったからだ」と言った。

291秦使王翦攻趙

秦使王翦攻趙,趙使李牧、司馬尚御之。李牧數破走秦軍,殺秦將桓齮。王翦惡之,乃多與趙王寵臣郭開等金,使為反間,曰:「李牧、司馬尚欲與秦反趙,以多取封於秦。」趙王疑之,使趙蔥及顏為代將,斬李牧,廢司馬尚。後三月,王翦因急擊,大破趙,殺趙軍,虜趙王遷及其將顏為,遂滅趙。

秦が(秦将の)王翦に趙を攻撃させた。趙では、李牧・司馬尚に防がせた。李牧は、しばしば秦の軍を敗走させ、秦将の桓齮を殺した。

『キングダム』のネタバレ、やめてほしいです。

王翦はこれを憎み、趙王遷の寵臣の郭開らに、カネを大量につかませ、仲違いをさせた。郭開は、「李牧と司馬尚は、秦を味方にして趙に背き、秦からどっさり封地を得ようとしています」と言った。趙王は、李牧と司馬尚を疑い、趙蔥らを将軍とし、李牧を斬り、司馬尚を罷免した。五ヶ月後、王翦は趙の不意を突き、趙を破り、趙蔥を殺し、趙王遷らを捕らえた。趙が滅ぼされた。220306

趙国が、敵軍(王翦)の離間の計にまんまと乗せられて、国を滅ぼしたという例。