いつか書きたい三国志

『戦国策』楚策 考烈王を読む

『戦国策』楚策 考烈王を読む

考烈王は、頃襄王の子。熊元。このとき楚は弱く、東のかた寿春に遷都した。在位は前262年~238年。つぎの幽王は、在位は~前228年。幽王は考烈王の子とされているが、実父は春申君だったとも言われる。

222唐且見春申君雎

唐且見春申君曰:「齊人飾身修行得為益,然臣羞而不學也。不避絕江河,行千餘里來,竊慕大君之義,而善君之業。臣聞之,賁、諸懷錐刃而天下為勇,西施衣褐而天下稱美。今君相萬乘之楚,禦中國之難,所欲者不成,所求者不得,臣等少也。夫梟棋之所以能為者,以散棋佐之也。夫一梟之不如不勝五散,亦明矣。今君何不為天下梟,而令臣等為散乎?」

(斉の人)唐雎が、(楚の相の)春申君に会った。「わが斉では、装いと振る舞いを美しくすれば、禄位が増えます。しかし私は恥ずかしく、(斉での出世ルートを)見習いませんでした。江河を渡ることを遠しとせず、楚の春申君に会いに来ました。孟賁・専儲(専諸)は、暗殺道具を隠しても天下から勇猛と言われ、西施は粗末な衣を着ても天下から美人と言われます。いま春申君が万乗の楚で、中原からの脅威を取り除けないのは、(私のようにな智謀の)部下が少ないから。将棋で勝つのは、歩兵が活躍するから。どうして私を用いないのですか」と。

223客說春申君

客說春申君曰:「湯以亳,武王以鄗,皆不過百里以有天下。今孫子,天下賢人也,君籍之以百里勢,臣竊以為不便於君。何如?」春申君曰:「善。」於是使人謝孫子。孫子去之趙,趙以為上卿。

ある食客が春申君に言う。「殷湯は亳から、周武は鄗から王となりました。最初は小さな食邑から天下を取ったのです。いま楚は、孫子(荀子)に、方百里(蘭陵の県令)を任せていますが、荀子が天下を取るリスクがありますよ」と。春申君はそうだと思い、荀子の官職を取り上げた。荀子は趙にゆき、上卿とされた。

客又說春申君曰:「昔伊尹去夏入殷,殷王而夏亡。管仲去魯入齊,魯弱而齊強。夫賢者之所在,其君未嘗不尊,國未嘗不榮也。今孫子,天下賢人也。君何辭之?」春申君又曰:「善。」於是使人請孫子於趙。

他の食客が春申君に、「伊尹が夏から殷に移ると、夏は滅びました。管仲が魯から斉に入ると、魯が弱まりました。賢者は、つねに君主をおびやかす。なぜ荀子を行くがままにしたのですか」と。春申君はその通りだと思い、荀子を趙に迎えに行かせた。

孫子為書謝曰:「癘人憐王,此不恭之語也。雖然,不可不審察也。此為劫弒死亡之主言也。夫人主年少而矜材,無法術以知奸,則大臣主斷國私以禁誅於己也,故弒賢長而立幼弱,廢正適而立不義。春秋戒之曰:『楚王子圍聘於鄭,未出竟,聞王病,反問疾,遂以冠纓絞王,殺之,因自立也。

荀子は手紙を書いて、春申君を拒否した。「ライ病患者でも、臣下に殺される王よりはマシです。悪い臣下が、幼弱な君主を立てて権勢を振るいます。『春秋左氏伝』昭公元年に、楚王の子囲は、(公子として王命を受け)鄭に赴いたが、国境を出ぬうちに引き返し、王を殺して自分が王(霊公)となった」とあります。

齊崔杼之妻美,莊公通之。崔杼帥其君黨而攻。莊公請與分國,崔杼不許;欲自刃於廟,崔杼不許。莊公走出,踰於外牆,射中其股,遂殺之,而立其弟景公。』近代所見:李兌用趙,餓主父於沙丘,百日而殺之;淖齒用齊,擢閔王之筋,縣於其廟梁,宿夕而死。

『春秋左氏伝』襄公二十五年によると、斉の崔杼の妻は評判でしたが、荘公が彼女と密通していたので、崔杼が荘公を殺し、弟の景公を立てました。 近年では、李兌は趙に用いられ、主父(武霊王)を沙丘で飢えさせました。淖歯は斉に用いられ、閔王から筋を抜き取り、廟にかけて一夜で死なせました。

古今の前例の見本市ですね。これは楽しい。


夫厲雖ヨウ腫胞疾,上比前世,未至絞纓射股;下比近代,未至擢筋而餓死也。夫劫弒死亡之主也,心之憂勞,形之困苦,必甚於癘矣。由此觀之,癘雖憐王可也。」因為賦曰:「寶珍隋珠,不知佩兮。褘布與絲,不知異兮。閭姝子奢,莫知媒兮。嫫母求之,又甚喜之兮。以瞽為明,以聾為聰,以是為非,以吉為凶。嗚呼上天,曷惟其同!」詩曰:「上天甚神,無自瘵也。」

ライ病患者が、これら君主よりはマシです。詩ははぶく。

224虞卿謂春申君

虞卿謂春申君曰:「臣聞之春秋,於安思危,危則慮安。今楚王之春秋高矣,而君之封地,不可不早定也。為主君慮封者,莫如遠楚。

虞卿が春申君にいう。「楚の考烈王は高齢です。きみの領地のことは、すぐに決めたほうがいい。楚から遠いほうがよい。

秦孝公封商君,孝公死,而後不免殺之。秦惠王封冉子,惠王死,而後王奪之。公孫鞅,功臣也;冉子,親姻也。然而不免奪死者,封近故也。太公望封於齊,邵公奭封於燕,為其遠王室矣。

秦の孝公は、公孫鞅(商鞅)を商君に封建しました。ところが孝公が死ぬと、商鞅は恵文王に殺されました。秦の恵文王は、魏冉(冉子)を穣公に封建しました。ところが恵文王が死ぬと、魏冉は昭襄王に没収されました。どちらも都に近すぎたのです。
太公望呂尚は斉に封建され、召公奭は燕に封建されました。(封地がここに選ばれ、かつこの二国が継続したのは)王室から遠かったからです。

今燕之罪大而趙怒深,故君不如北兵以德趙,踐亂燕,以定身封,此百代之一時也。」君曰:「所道攻燕,非齊則魏。魏、齊新怨楚,楚君雖欲攻燕,將道何哉?」對曰:「請令魏王可。」君曰:「何如?」對曰:「臣請到魏,而使所以信之。」

いま燕が(趙を伐った)罪は大きく、趙から(燕への)怒りは深い。ですから春申君は、北上し燕を攻めて、趙に恩を売り、春申君ご自身の封地を勝ち取るのがよいと思います(楚から遠いので)」と。
春申君「斉を攻めなら、斉か魏を通過する必要がある。しかし斉と魏は、楚を憎んでいる。楚軍が燕を攻めようとしても、斉も魏も道を貸してくれない」と。虞卿「魏の安釐王に私が頼んできましょう」と。

迺謂魏王曰:「夫楚亦強大矣,天下無敵,乃且攻燕。」魏王曰:「鄉也,子云天下無敵;今也,子云乃且攻燕者,何也?」對曰:「今為馬多力則有矣,若曰勝千鈞則不然者,何也?夫千鈞非馬之任也。今謂楚強大則有矣,若越趙、魏而鬥兵於燕,則豈楚之任也我?非楚之任而楚為之,是敝楚也。敝楚見強魏也,其於王孰便也?」

虞卿は魏の安釐王にいう。「楚は強大で、天下に敵なし。いま燕を攻めるそうです」と。魏王「敵なしの楚が、なぜ燕を(敵と認定して)攻めるのか」と。虞卿「程度問題です、言葉のあやです。魏王は、楚軍に道を貸し、楚軍を燕攻めで疲弊されるのがお得です」と。

魏王にとっての「お得さ」に訴えかけるのが大事。うまい。


225或謂楚王曰

或謂楚王曰:「臣聞從者欲合天下以朝大王,臣願大王聽之也。夫因詘為信,舊患有成,勇者義之。攝禍為福,裁少為多,知者官之。夫報報之反,墨墨之化,唯大君能之。禍與福相貫,生與亡為鄰,不偏於死,不偏於生,不足以載大名。無所寇艾,不足以橫世。夫秦捐德絕命之日久矣,而天下不知。今夫橫人嚂口利機,上干主心,下牟百姓,公舉而私取利,是以國權輕於鴻毛,而積禍重於丘山。」

あるひとが楚王(特定不可)に、「(韓・魏・趙・燕・斉などを)合従させ、楚に入朝させようという話があります。このチャンスを逃さず、徳を蔑ろにする秦を討伐なさいませ。(秦の言うことを聞けば)楚王の権限は軽くなります」と。

226天下合從

天下合從。趙使魏加見楚春申君曰:「君有將乎?」曰:「有矣,僕欲將臨武君。」魏加曰:「臣少之時好射,臣願以射譬之,可乎?」春申君曰:「可。」加曰:「異日者,更羸與魏王處京臺之下,仰見飛鳥。更羸謂魏王曰:『臣為王引弓虛發而下鳥。』魏王曰:『然則射可至此乎?』更羸曰:『可。』有間,雁從東方來,更羸以虛發而下之。魏王曰:『然則射可至此乎?』更羸曰:『此孽也。』王曰:『先生何以知之?』對曰:『其飛徐而鳴悲。飛徐者,故瘡痛也;鳴悲者,久失群也,故瘡未息,而驚心未至也。聞弦音,引而高飛,故瘡隕也。』今臨武君,嘗為秦孽,不可為拒秦之將也。」

天下が合従した。趙は魏加を使者とし、春申君にまみえた。魏加「楚にはよい将軍がいますか」。春申君「臨武君がいる」と。魏加「臨武君(未詳)は、手負いの鳥です。手負いの鳥は、弓弦を聞いただけで、(矢が刺さっていないのに)落ちる鳥。臨武君は、秦に負けた経験があるから、適任ではない」と。

『キングダム』で臨武君、出てきましたけどね。騰に負けてました。


227汗明見春申君

汗明見春申君,候問三月,而後得見。談卒,春申君大說之。汗明欲復談,春申君曰:「僕已知先生,先生大息矣。」

汗明(未詳)が、春申君にまみえた。3ヵ月でようやく会えた。汗明がふたたび会見を申し入れると、「汗明さんのことはよく知っている」と断られた。

汗明憱焉曰:「明願有問君而恐固。不審君之聖,孰與堯也?」春申君曰:「先生過矣,臣何足以當堯?」汗明曰:「然則君料臣孰與舜?」春申君曰:「先生即舜也。」汗明曰:「不然,臣請為君終言之。君之賢實不如堯,臣之能不及舜。夫以賢舜事聖堯,三年而後乃相知也。今君一時而知臣,是君聖於堯而臣賢於舜也。」春申君曰:「善。」召門吏為汗先生著客籍,五日一見。

汗明は(春申君にかわされたので)心配して、「尭が舜を正しく知るにも、三年を要しました。尭に劣るあなたが、舜に劣る私を1回の面会で熟知できるはずがない」と。
春申君は、汗明と五日に1回、会うようになった。

汗明曰:「君亦聞驥乎?夫驥之齒至矣,服鹽車而上太行。蹄申膝折,尾湛胕潰,漉汁灑地,白汗交流,中阪遷延,負轅不能上。伯樂遭之,下車攀而哭之,解紵衣以冪之。驥於是俛而噴,仰而鳴,聲達於天,若出金石聲者,何也?彼見伯樂之知己也。今僕之不肖,阨於州部,堀穴窮巷,沈洿鄙俗之日久矣,君獨無意湔拔僕也,使得為君高鳴屈於梁乎?」

汗明「年老いた名馬が、荷物運びに転用されて、つぶされました。伯楽が通りかかり、名馬を名馬として正しく評価すると、名馬は澄んだ声で鳴きました。この汗明は魏で落ちぶれていましたが、春申君に正しく評価されたい」と。

ただの売り込みですね。『キングダム』に出ます、太鼓の汗明も。


228楚考烈王無子

楚考烈王無子,春申君患之,求婦人宜子者進之,甚眾,卒無子。趙人李園,持其女弟,欲進之楚王,聞其不宜子,恐又無寵。李園求事春申君為舍人。已而謁歸,故失期。還謁,春申君問狀。對曰:「齊王遣使求臣女弟,與其使者飲,故失期。」春申君曰:「聘入乎?」對曰:「未也。」春申君曰:「可得見乎?」曰:「可。」於是園乃進其女弟,即幸於春申君。知其有身,園乃與其女弟謀。園女弟承間說春申君曰:「楚王之貴幸君,雖兄弟不如。今君相楚王二十餘年,而王無子,即百歲後將更立兄弟。即楚王更立,彼亦各貴其故所親,君又安得長有寵乎?非徒然也?君用事久,多失禮於王兄弟,兄弟誠立,禍且及身,奈何以保相印、江東之封乎?今妾自知有身矣,而人莫知。妾之幸君未久,誠以君之重而進妾於楚王,王必幸妾。妾賴天而有男,則是君之子為王也,楚國封盡可得,孰與其臨不測之罪乎?」春申君大然之。乃出園女弟謹舍,而言之楚王。楚王召入,幸之。遂生子男,立為太子,以李園女弟立為王后。楚王貴李園,李園用事。李園既入其女弟為王后,子為太子,恐春申君語泄而益驕,陰養死士,欲殺春申君以滅口,而國人頗有知之者。
春申君相楚二十五年,考烈王病。朱英謂春申君曰:「世有無妄之福,又有無妄之禍。今君處無妄之世,以事無妄之主,安不有無妄之人乎?」春申君曰:「何謂無妄之福?」曰:「君相楚二十餘年矣,雖名為相國,實楚王也。五子皆相諸侯。今王疾甚,旦暮且崩,太子衰弱,疾而不起,而君相少主,因而代立當國,如伊尹、周公。王長而反政,不,即遂南面稱孤,因而有楚國。此所謂無妄之福也。」春申君曰:「何謂無妄之禍?」曰:「李園不治國,王之舅也。不為兵將,而陰養死士之日久矣。楚王崩,李園必先入,據本議制斷君命,秉權而殺君以滅口。此所謂無妄之禍也。」春申君曰:「何謂無妄之人?」曰:「君先仕臣為郎中,君王崩,李園先入,臣請為君𠟍其胸殺之。此所謂無妄之人也。」春申君曰:「先生置之,勿復言已。李園,軟弱人也,僕又善之,又何至此?」朱英恐,乃亡去。後十七日,楚考烈王崩,李園果先入,置死士,止於棘門之內。春申君後入,止棘門。園死士夾刺春申君,斬其頭,投之棘門外。於是使吏盡滅春申君之家。而李園女弟,初幸春申君有身,而入之王所生子者,遂立為楚幽王也。是歲,秦始皇立九年矣。嫪毐亦為亂於秦。覺,夷三族,而呂不韋廢。

余説より。趙人の李園が、春申君の舎人となった。李園の妹が春申君の子を身籠もると、楚王(考烈王)に進め、男子を産んだ。春申君の子(李園のおい)が楚王になると(幽王)、発覚を恐れた李園は、春申君を殺害した。朱英の警告を聞かず、李園を小心者だと侮った春申君の油断が生んだ結果。

229史疾為韓使楚

史疾為韓使楚,楚王問曰:「客何方所循?」曰:「治列子圉寇之言。」曰:「何貴?」曰:「貴正。」王曰:「正亦可為國乎?」曰:「可。」王曰:「楚國多盜,正可以圉盜乎?」曰:「可。」曰:「以正圉盜,奈何?」頃間有鵲止於屋上者,曰:「請問楚人謂此鳥何?」王曰:「謂之鵲。」曰:「謂之烏,可乎?」曰:「不可。」曰:「今王之國有柱國、令尹、司馬、典令,其任官置吏,必曰廉潔勝任。今盜賊公行,而弗能禁也,此烏不為烏,鵲不為鵲也。」

史疾(韓臣か)が、韓のために楚への使者となった。楚王(未詳)は、「史疾はどんな学問を修めているか」と聞いた。史疾「列子圉寇の学です。『正』を尊びます」。楚王「『正』で盗賊を取り締まれるか」と。史疾「できます」と。 カササギをカラスと呼べないように、名と実態は異なることがないはず。しかし楚では、高位高官の肩書きをもった、実態は盗賊がたくさんいると。王に反省を促した。220308

『戦国策』では、つぎの幽王は記事がない。これで終わり。