いつか書きたい三国志

『戦国策』燕策(燕王喜)を読む

『戦国策』燕策 燕王喜

燕王喜は、孝王の子。燕国43代目、戦国に入っての10代目。燕は前222年、秦に滅ぼされるが、そのときの君主が燕王喜。荊軻との逸話を残した太子丹は、燕王喜の子。在位前254~222年。

燕王喜使栗腹

燕王喜使栗腹以百金為趙孝成王壽,酒三日,反報曰:「趙民其狀者睫死於長平,其孤未狀,可伐也。」王乃召昌國君樂間而問曰:「何如?」對曰:「趙,四達之國也,其民皆習於兵,不可與戰。」王曰:「吾以倍攻之,可乎?」曰:「不可。」曰:「以三,可乎?」曰:「不可。」王大怒。左右皆以為趙可伐,遽起六十萬以攻趙。令栗腹以四十萬攻鄗,使慶秦以二十萬攻代。趙使廉頗以八萬遇栗腹於鄗,使樂乘以五萬遇慶秦於代。燕人大敗。樂間入趙。

燕王喜は、栗腹(燕臣)に百金を持たせて、趙の孝成王の長寿を祝いに行かせた。栗腹は帰ってきて、燕王に報告した。「趙は、壮健なものは長平の戦いで死に、孤児は成長していない。趙を攻撃するのがよい」と。燕王は、昌国君の楽間に質問した。楽間「趙は、四方に交通が開け、軍事に習熟している。戦ってはいけません。こちらの兵力が二倍でも、三倍でも勝てません」と。
燕王喜は大いに怒り、六十万で趙を攻めた。栗腹は四十万を率いて鄗を攻め、慶秦に二十万で代を攻撃させた。趙は、廉頗が八万で鄗で栗腹を防ぎ、楽乗が五万で代で慶秦を防いだ。燕軍は大敗し、楽間は趙に亡命した。

燕王以書且謝焉,曰:「寡人不佞,不能奉順君意,故君捐國而去,則寡人之不肖明矣。敢端其愿,而君不肯聽,故使使者陳愚意,君試論之。語曰:『仁不輕絕,智不輕怨。』君之於先王也,世之所明知也。寡人望有非則君掩蓋之,不虞君之明罪之也;望有過則君教誨之,不虞君之明罪之也。且寡人之罪,國人莫不知,天下莫不聞,君微出明怨以棄寡人,寡人必有罪矣。雖然,恐君之未盡厚也。諺曰:『厚者不毀人以自益也,仁者不危人以要名。』以故掩人之邪者,厚任之行也;救人之過者,仁者之道也。世有掩寡人之邪,救寡人之過,非君心所望之?今君厚受位於先王以成尊,輕棄寡人以快心,則掩邪救過,難得於君矣。且世有薄於故厚施,行有失而故惠用。今使寡人任不肖之罪,而君有失厚之累,於為君擇之也,無所取之。國之有封疆,猶家之有垣墻,所以合好掩惡也。室不能相和,出語鄰家,未為通計也。怨惡未見而明棄之,未盡厚也。寡人雖不肖乎,未如殷紂之亂也;君雖不得意乎,未如商容、箕左之累也。然則不內蓋寡人,而明怨於外,恐其遇足以傷於高而薄於行也,非然也。
「茍可以明君之義,成君之高,雖任惡名,不難受也。本欲以為明寡人之薄,而君不得厚;揚寡人之辱,而君不得榮,此一舉而兩失也。義者不虧人以自益,況傷人以自損乎!愿君無以寡人不肖,累往事之美。昔者,柳下惠吏於魯,三黜而不去。或謂之曰:『可以去。』柳下惠曰:『茍與人之異,惡往而不黜乎?猶且黜乎,寧於國外國爾。』柳下惠不以三黜自累,故前業不忘;不以去為心,故遠近無議。今寡人之罪,國人未知,而語寡人者邊天下。語曰:『論不修心,議不累物,仁不輕絕,智不簡功。』棄大功者,輟也;輕絕厚利者,怨也。輟而棄之,怨而累之,宜在遠者,不望之乎君也。今以寡人無罪,君豈怨之乎?愿君捐怨,追惟先王,復以教寡人!意君曰,餘且慝心以成而過,不顧先王以明而惡,使寡人進不得修功,退不得改過,君之所揣也,唯君圖之!此寡人之愚意也。敬以書謁之。」

間、樂乘怨不用其計二人卒留趙,不報。

燕王が長文を費やして楽間に詫びたが(はぶく)、楽間・楽乗は、意見を採用してくれない燕に帰ることはなかった。

469秦并趙北向迎燕

秦并趙,北向迎燕。燕王聞之,使人賀秦王。使者過趙,趙王系之。使者曰:「秦、趙為一,而天下服矣。茲之所以受命於趙者,為秦也。今臣使秦,而趙系之,是秦、趙有隙。秦、趙有隙,天下必不服,而燕不受命矣。且臣之使秦,無妨趙之伐燕也。」趙王以為然,而遣之。

秦が趙を併呑すると、北上して燕を迎え撃とうとした。燕王は人を派遣し、秦王(の燕平定)を祝賀しようとした。使者が趙を通り過ぎるとき、趙王に繋留された。使者が趙王に、「わが燕があなた趙の命令を聞くのは、秦が背後にいるから。いま趙王が、秦への使者となった私を繋留すると、秦と趙の関係が悪化します(あるいは、趙と秦の不仲が諸侯に示され、天下は趙の命令に従わない)。しかも、私が秦に行くことは、趙が燕を撃つことの妨害にはなりません」と。

使者見秦王曰:「燕王竊聞秦并趙,燕王使使者賀千金。」秦王曰:「一夫無道,吾使趙有之,子何賀?」使者曰:「臣聞全趙之時,南鄰為秦,北下曲陽為燕,趙廣三百里,而與秦相距五十餘年矣,所以不能反勝秦者,國小而地無所取。今王使趙北并燕,燕、趙同力,必不復受於秦矣。臣切為王患之。」秦王以為然,起兵而救燕。

使者は秦王政に会った。使者「秦王の趙併合をお祝いします」。秦王政「わが秦は、趙に命じて、無道な燕を討伐させるつもりだ。燕王が、わが趙併合を祝福するのはおかしい」と。
使者「趙が自立していたころでも、南に秦がおり、北は下曲陽から燕でした。趙は三百里四方の小国であり、たいした土地がないが、秦に五十年あまりも抵抗できました。(強大な)わが燕が、もしも趙と結んで秦に対抗したら、秦はどうするのですか(趙が再び独立し、燕の平定には五十年以上かかります)」と。
秦王政は、軍を動かして燕を救った。

470燕太子丹質於秦亡歸

燕太子丹質於秦,亡歸。見秦且滅六國,兵以臨易水,恐其禍至。太子丹患之,謂其太傅鞫武曰:「燕秦不兩立,愿太傅幸而圖之。」武對曰:「秦地邊天下,威脅韓、魏、趙氏,則易水以北,為有所定也。奈何以見陵之怨,欲排其逆鱗哉?」太子曰:「然則何由?」太傅曰:「請入,圖之。」

燕の太子丹が、秦に人質になっていたが、燕に帰国した。秦が六国を撃破し、易水に迫っていた。太子丹は、太傅の麹武に方策をたずねた。麹武「秦の威勢は、韓・魏・趙を圧しています。それでも秦王の逆鱗に触れようというのですか」。

居之有間,樊將軍亡秦之燕,太子容之。太傅鞫武諫曰:「不可。夫秦王之暴,而積怨於燕,足為寒心,又況聞樊將軍之在乎!是以委肉當餓虎之蹊,禍必不振矣!雖有管、晏,不能為謀。愿太子急遣樊將軍入匈奴以滅口。請西約三晉,南連齊、楚,北講於單於,然後乃可圖也。」

樊将軍が秦から亡命してきた。太子丹が客人として接遇すると、太傅の麹武が諫めた。麹武「樊将軍を匈奴に使わして、秦からの言い掛かりを逸らしなさい。北は匈奴と結んで、秦に対抗しなさい」。

太子丹曰:「太傅之計,曠日彌久,心昏然,恐不能須臾。且非獨於此也。夫樊將軍困窮於天下,歸身於丹,丹終不迫於強秦,二棄所哀戀之交置之匈奴,是丹命固卒之時也。愿太傅更慮之。」鞫武曰:「燕有田光先生者,其智深,其勇沉,可與之謀也。」太子曰:「愿因太傅交於田先生,可乎?」鞫武曰:「敬諾。」出見田光,道太子曰:「愿圖國事於先生。」田光曰:「敬奉教。」乃造焉。

太子丹「太傅の計略では、時間がかかりすぎる。樊将軍は、天下に行き先がなく、燕にきた。強国の秦を恐れ、匈奴に放逐するなど、できません」。麹武「わが燕に、田光先生がいます」。麹武は田光を招いて、太子丹に引きあわせた。

太子跪而逢迎,卻行為道,跪而拂席。田先生坐定,左右無人,太子避席而且曰:「燕、秦不兩立,愿先生留意也。」田光曰:「臣聞騏驥盛壯之時,一日而馳千里。至其衰也,駑馬先之。今太子聞光壯盛之時,不知吾精已消亡矣。雖然,光不敢以乏國事也。所善荊軻,可使也。」太子曰:「愿因先生得愿交於荊軻,可乎?」田光曰:「敬諾。」即起趨出。太子送之至門,曰:「丹所報,先生所言者,國大事也,愿先生勿泄也。」田光俯而笑曰:「諾。」

田光「私はもう年老いました。荊軻なら、太子丹のお役に立てるでしょう」と。

大したことは言っていないが、やたら「文学」めいている。太子丹、荊軻の暗殺劇はひとつの「演目」として完成されていたのだろう。


僂行見荊軻,曰:「光與子相善,燕國莫不知。今太子聞光壯盛之時,不知吾形已不逮也,幸而教之曰:『燕、秦不兩立,愿先生留意也。』光竊不自外,言足下於太子,愿足下過太子於宮。」荊軻曰:「謹奉教。」田光曰:「光聞長者之行,不使人疑之,今太子約光曰:『所言者,國之大事也,愿先生勿泄也。』是太子疑光也。夫為行使人疑之,非節俠士也。」於自殺以激荊軻,曰:「愿足下急過太子,言光已死,明不言也。」遂自剄而死。

田光は荊軻に会い、「燕は秦と両立できない。太子丹に頼られた。太子を助けてやってくれ」と。荊軻が引き受けた。田光は覚悟を示し、機密保持のために自殺した。

軻見太子,言田光已死,明不言也。太子再拜而跪,膝下行流涕,有頃而後言曰:「單所請田先生無言者,欲以生大事之謀,今田先生以死明不泄言,豈丹之心哉?」荊軻坐定,太子避席頓首曰:「田先生不致丹不肖,使得至前,愿有所道,此天所以哀燕不棄其孤也。今秦有貪饕之心,而欲不可足也。非盡天下之地,臣海內之王者,其意不饜。

荊軻が太子丹に会った。田光の死を哀しんだ。

今秦已虜韓王,盡納其地,又舉兵南伐楚,北臨趙。王翦將數十萬之眾臨漳、鄴,而李信出太原,云中。趙不能支秦,必入臣。入臣,則禍至燕。燕小弱,數困於兵,今計舉國不足以當秦。諸侯服秦,莫敢合從。

太子「秦は韓王を捕虜にし、韓の全土を併合しました。南の楚、北の趙と戦おうとしています。王翦は数十万の軍で、漳・鄴まで至り、李信太原・雲中に出てきています。趙が秦に負ければ、禍いは燕にまで及ぶでしょう。しかし燕は小国。合従すべき諸侯も残っていません」と。

丹之私計,愚以為誠得天下之勇士,使於秦,窺以重利,秦王貪其贄,必得所愿矣。誠得劫秦王,使悉反諸侯之侵地,若曹沫之與齊桓公,則大善矣;則不可,因而刺殺之。彼大將擅兵與外,而內有大亂,則君臣相疑。以其間諸侯,諸侯得合從,其償破秦必矣。此丹之上愿,而不知所以委命,唯荊卿留意焉。」
太子前頓首,固請無讓。然後許諾。於是尊荊軻為上卿,舍上舍,太子日日造問,供太牢異物,間進車騎美女,恣荊軻所欲,以順適其意。

太子丹「私の考えでは、天下の勇士が秦への使者となり、大きな利益で誘えば、秦王が礼物を貪り取ろうとする。その場で脅迫することができ、曹沫が斉の桓公を脅したように、諸侯の土地を返還させることができます。失敗すれば、秦王を刺殺するまで。秦の将軍は国外で動いているので、秦王政が死ねば、秦の軍内で混乱が生じるでしょう」と。
荊軻がしぶると、太子丹が頓首し、受諾してくれと頼んだ。荊軻を上卿とし、欲望を満足させてやった。

久之,荊卿未有行意。秦將王翦破趙,虜趙王,盡收其地,進兵北略地,至燕南界。太子丹恐懼,乃請荊卿曰:「秦兵旦暮渡易水,則雖欲長侍足下,可豈可得哉?」荊卿曰:「微太子言,臣愿得謁之。今行而無信,則秦未可親也。夫今樊將軍,秦王購之金千斤,邑萬家。誠能得樊將軍首,與燕督之地圖獻秦王秦王必說見臣,臣乃得有以報太子。」太子曰:「樊將軍以窮困來歸丹,丹不忍以己之私,而傷長者之意,愿足下更慮之。」

秦将の王翦が、趙王遷を生け捕りにした。太子丹は荊軻にせっついた。荊軻「このタイミングで私が秦に行っても、信用されません。(秦から亡命した)樊将軍の首と、燕の地図を秦王に献上するということにすれば、秦王に会いに行けるでしょう」と。
太子丹は「樊将軍を引き渡すのはいやだ」と言った。

荊軻知太子不忍,乃遂私見樊於期曰:「秦之遇將軍,可謂深矣。父母宗族,皆為戮沒。今聞購將軍之首,金千斤,邑萬家,將奈何?」樊將軍仰天太息流涕曰:「吾每念,常痛於骨髓,顧計不知所出耳。」軻曰:「今有一言,可以解燕國之患,而報將軍之讎者,何如?」樊於期乃前曰:「為之奈何?」荊軻曰:「愿得將軍之首以獻秦,秦王必喜而善見臣,臣左受拔其袖,而右手揕抗其胸,然則將軍之仇報,而燕國見陵之恥除矣。將軍豈有意輿?」樊於期偏袒扼腕而進曰:「此臣日夜切齒拊心也,乃今得聞教。」遂自刎。太子聞之馳往,伏尸而哭,極哀。既已,無可奈何,乃遂收盛樊於期之首,函封之。

荊軻は、樊将軍(樊於期)を説得した。荊軻「太子丹は同意してくれないが、秦に報復する計画がある。あなたの首を秦王に届ければ、秦王を殺すチャンスが生まれるのだが」と。樊於期は、みずから首をはねた。太子丹は悲しんだが、死んでしまったものは仕方がない。樊於期の首を箱に入れて封印した。

於是,太子預求天下之利匕首,得趙人徐夫人之匕首,取之百金,使工以藥淬之,以試人,血汝縷,人無不立死者。乃為裝遣荊軻。
燕國有勇士秦武陽,年十二,殺人,人不敢與忤視。乃令秦武陽為副。荊軻有所待,欲俱,其人居遠未來,而為留待。頃之未發,太子遲之,疑其有改悔,乃復請之曰:「日以盡矣,荊卿豈無意哉?丹請先遣秦武陽。」荊軻怒,叱太子曰:「近日往而不反者,豎子也!今提一匕首入不測之強秦,仆所以留者,待吾客與俱。今太子遲之,請辭決矣!」。遂發。

太子丹は、徐夫人の匕首を買い求め、毒を塗った。燕の国に、秦武陽という勇士がいた。これを荊軻の添え役とした。荊軻の出発が遅れたので、太子丹は心配した。出発を催促されると、荊軻は逆ギレした。

太子及賓客知其事者,皆白衣冠以送之。至易水上,既祖,取道。高漸離擊筑,荊軻和而歌,為變徵之聲,士皆垂淚涕泣。又前而為歌曰:「風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還!」復為慷慨羽聲,士皆瞋目,發盡上指冠。於是荊軻遂就車而去,終已不顧。

太子と賓客に見送られ、荊軻は出発した。

既至秦,持千金之資幣物,厚遺秦王寵臣中庶子蒙嘉。嘉為先言於秦王曰:「燕王誠振畏慕大王之威,不敢興兵以拒大王,愿舉國為內臣,比諸侯之列,給貢職如郡縣,而得奉守先王之宗廟。恐懼不敢自陳,謹斬樊於期頭,及獻燕之督亢之地圖,函封,燕王拜送於庭,使使以聞大王。唯大王命之。」

荊軻は秦に到着し、千金の贈り物を、中庶子の蒙嘉に贈った。蒙嘉が取り次いでくれた。

秦王聞之,大喜。乃朝服,設九賓,見燕使者咸陽宮。荊軻奉樊於期頭函,而秦武陽奉地圖匣,以次進至陛下。秦武陽色變振恐,群臣怪之,荊軻顧笑武陽,前為謝曰:「北蠻夷之鄙人,未嘗見天子,國外振懾,愿大王少假借之,使畢使於前。」

秦王との接見のとき、(暗殺の実行者の)秦武陽は顔色が変わって震えだした。荊軻「北の蛮夷なので、緊張しているのです」と。

秦王謂軻曰:「取武陽所持圖。」軻既取圖奉之,發圖,圖窮而匕首見。因左手拔秦王之袖,右持匕首揕抗之。未至身,秦王驚,自引而起,絕袖。拔劍,劍長,摻其室。時怨急,劍堅,故不可立拔。

秦王が荊軻に「秦武陽が持っている地図を持ってこい」と。秦王が地図を開くと、匕首が現れた。匕首は届かず、剣は抜けなかった。

荊軻逐秦王,秦王還柱而走。群臣驚愕,卒起不意,盡失其度。而秦法,群臣侍殿上者,不得持尺兵。諸郎中執兵,皆陳殿下,非有詔不得上。方急時,不及召下兵,以故荊軻逐秦王,而卒惶急無以擊軻,而乃以手共搏之。是時,侍醫夏無且,以其所奉藥曩體軻。秦王之方還柱走,卒惶急不知所為。

荊軻が秦王を追い回した。荊軻に、素手で打ちかかる臣下もいた。医師の夏無且が、薬箱を荊軻になげた。

左右乃曰:『王負劍!王負劍!』遂拔以擊荊軻,斷其左股。荊軻廢,乃引其匕首,提秦王,不中,中柱。秦王復擊軻,被八創。軻自知事不就,倚柱而笑,箕踞以罵曰:「事所以不成者,乃欲以生劫之,必得約契以報太子也。」左右既前斬荊軻,秦王目眩良久。而論功賞群臣及當坐者,各有差。而賜夏無且黃金二百鎰,曰:「無且愛我,乃以藥曩提軻也。」

秦王が剣を背負い、荊軻を斬った。荊軻は匕首を投げた。柱に当たった。薬箱を投げた夏無且が、黄金を賜った。

於是,秦大怒燕,益發兵詣趙,詔王翦軍以伐燕。十月而拔燕薊城。燕王喜、太子丹等,皆率其精兵東保於遼東。秦將李信追擊燕王,王急,用代王嘉計,殺太子丹,欲獻之秦。秦復進兵攻之。五歲而卒滅燕國,而虜燕王喜。秦兼天下。

秦は王翦に命じ、燕国を撃たせた。十ヵ月後、燕の国都の薊城がおちた。燕王喜・太子丹は、遼東に立て籠もった。秦将の李信が、燕王を追撃した。五年かかって、燕王喜を捕虜にした。天下は統一された。220308

仙台にいく飛行機に乗ります。出かける準備しないと。