いつか書きたい三国志

2024年の春に考えたこと

Twitter @Hiro_Satohより

経学と史学

むかしの人(孔子)が何を言ったか、どんな意図でいったか、内容と意図を誰が正しく引き継いだか(道統)、というのが学問(儒学)で論じられるが、自分の主張の材料に過ぎない。
実際の人物・学問系統などの「歴史」は、それら説明手段としての下位概念、補助学問に過ぎないのでしょう。
経>>史

実際に何が起こったか(歴史学)、それを史書の編者がどんな意図で記録したか(史料批判)、それをいかに理解し論じるか(史学史)というのが、史学の主要テーマに思われがちですが、
「経>>史」の世界では、主張したい歴史像がより強く先にあり、史学それ自体は目的にならない??

小島毅『朱子学と陽明学』を読んで考えました。

『三国志演義』の史学

『三国志演義』って、たった1冊で楽しく分かる正史『三国志』という本。正史が「史学」で、『演義』が「文学」という対立構図は意味がない。
『演義』は「史学」から見たらぜんぜんダメ、というのもおかしな見方。
正史『三国志』も『三国志演義』も中国における「史」です。ただしこれは、中国が非科学的という意味でもない。
そういう意味で、『世説新語』も『捜神記』ももちろん「史」であり、それらを吸収した正史『晋書』ももちろん「史」です。むしろ、「史」の典型例。
『晋書』をたくさん読むと、「史」の手触り?が感じ取れるようになり、『三国志演義』も「史」だな、って感触が定まってくるのです。

近代西洋の歴史学(科学としての史学)を分析対象とした「歴史哲学」は、「実際にどうであったか」を歴史学の本流とし、関連する諸学を「補助科学」も位置づけることがあります。経済学とか、天文学とか、考古学すらも「補助科学」のようになる。
学問のあいだに優劣はなくて、どこに着目(対象)し、何を目指すか(目的)というの問題であって、ある学問をつまんだら、他が「補助」に見えるという、相対的な立場(見え方の順序)の違いでしかないと思います。
中国における本流は経学であり、史学は代表的な「補助」学問なんでしょう。四部分類の「子」「集」もまた「補助」学問と見れば、どれかを過剰に持ち上げすぎることはなく、また自分の問題意識を押し付けすぎて、学問がワケが分からなくなることが少ないのではないか。

おかしなこと言ってるなーって感じになるのは自覚があるんですが、正史『三国志』と『三国志演義』って、現代日本人が第一印象で感じるほどは質的な差異がなくて、それがどんなふうに、どんな観点で、どの程度が同じなのか?違うのか?っていうのを言語化していくのが、ぼくの問題関心なんだと思います。
具体的には、「正史なんて国家に忖度・迎合した本だから信用できないぞ」とまるごと退けるのではなく。「中国における歴史なんて何でもありなんだ。いわば文学だ。事実と虚構の区別がついてない。歴史学の史料として使い道が乏しい(史料批判をするとほとんど内容がなくなる)」でもなく。ただし、「三国志演義がかれらにとっての歴史なんだ。正史と演義を同格に見ていた」でもなく。「裴松之より以後、演義にむかって情報の精度が落ちた、目が曇った」でもなく。
順番に解き明かしたいことが多いので、お時間をください(=博士課程)みたいな感じです。

儒教史を学び始める

南宋の朱子学は「性即理」、明代の陽明学は「心即理」で対立的
固有名詞の「タグ」は高校で付けたが、学問の時代背景と文脈、朱子と王陽明のプロフ、両者の学問のどこが同じでどこが違うか(何をめぐる批判か)、評価や継承の系譜などを知り、はじめて朱子学・陽明学をおもしろく感じ始めた←イマココ

高校の日本史・世界史は、固有名詞を「タグ付け」できれば成功。記憶力は人生最高潮だが、考えたり面白さを感じとるには若すぎる。 自分がどんな分野・切り口におもしろさや意味を感じるのか自分自身でも分からない。「若さという資源」に任せたトライ&エラーの期間なんでしょう

日本の三国志の受容史(文化史)に並行し、中国における三国志の受容史(文化史)がある。※むしろ日本の受容史が支流
その前提に巨大な地盤として、儒教史・史学史(学問史)がある。これも中国の本流、日本の支流がありつつ、合流と分岐をくり返す。ぼくはカバーできませんが、仏教史も

複数の翻訳との付き合い方

古い本や外国の本は、「1つも翻訳がない」より「1つ以上翻訳がある」ほうが良いことは、全員が同意するでしょう。
では同じ本(資料)に、何種類も翻訳(や注釈)が必要なのか?
翻訳者の目的や強み、時期(利用できる参考文献、時代に要請された問題意識)が違うので、多ければ多いほどよい?

ていねいに読まれてきた古い本(資料)は、翻訳や注釈の層が厚い。
見通しをもった先生が、「その観点からこの本を読みたいなら、だれだれの翻訳を見よ」とガイドしてくれるなら、翻訳や注釈は多ければ多いほどよい(のではないか)
※すべての翻訳には、個々の目的、長所・短所がある

王安石の位置

王莽がしくじり、曹丕が見切り発車した「禅譲」は、魏で事後的に鄭玄説(五行、感生帝説、緯書)で裏打ちさせ、魏晋革命で完成。
標準化された手順は「だれでも」手早くできる。南朝(宋斉梁陳)で加速し、唐末の「五代十国」であまりに手軽になりすぎたので、北宋の王安石の儒学(新法)が理論をくずした。

唐と宋のあいだで中国史が区切れる(唐宋変革)という説があります。
三国志ファンが好き?な王朝交替は、北宋まで。北宋は(曹丕以来の)禅譲という方法で帝国を始め、北宋には火徳の感生帝の祭祀があった。
五代十国の反省→北宋で改革(王安石の儒学)→金に敗北を反省(靖康の変)→南宋(程頤・朱子の儒学)

文献を研究する2つの入口

すべて過去の文献は、
①後世の受容、変化や展開の一例
②われわれの研究の先達
という2つの側面をもつ。前から見るか、後ろから見るか。たとえば『三国志演義』を日本語訳した『通俗三国志』は、①『三国志演義』の後世・他地域での展開例ですが、②ぼくたち日本人の三国志受容の大先輩でもある。

①後世の受容例(研究対象)と見るか、②われわれの先輩読者(先行研究)と見るか。
『通俗三国志』だけでなく、
「三国時代の歴史と陳寿『三国志』」
「漢代儒教から見た朱子学」
「朱子学から見た伊藤仁斎」
「『三国志演義』李卓吾本と毛宗崗本」
「『水滸伝』版本の書き入れ」
何でもいける。

①後世このような差異が生じた(単純な比較)、これほど歪んで受容された(あげつらい)と言うのは研究ではない。②尊重すべき先例だ(崇拝)、曲解による妄説だ(批判)と言うのも研究ではない。
対象に埋没し教説を練ることや、対象を愛でることは、研究じゃない。後知恵を振り回したり、近代知で論評することも研究ではない。

①後世の受容事例を、②先輩読者が文献と格闘した事例だと捉えると、がぜん興味が大きくなる(研究をしたい気持ちが強くなる)。

それならば、古い文献(経典・史書や作品)を研究するって何?という疑問に行き当たる。240430

「日本近世の仏教界では、版本に書き入れをしながら教理学習がされており…………無名の僧侶たちが……講義を聴くなどして書いたものですから、それ自体の思想的価値は得てして高くありません。……仏教が師匠から弟子に伝わるものだとするならば、師匠から弟子に仏教が伝わる現場、テキストが読まれていくその瞬間が書かれている一次資料だとは言えないでしょうか」(一色大悟先生、『なぜ古い本を網羅的に調べる必要があるのか』128p)


北宋の濮議

後漢献帝が劉備を「皇叔」と呼ぶのは、正史になくて『三国志演義』にある。どこから来たか
北宋と明代に「自分は皇帝ではないが、皇帝の父になった人」を、「皇伯」「皇叔」と呼ぶべきという説があった(濮議、嘉靖大礼の議)240426

司馬と牛の話

司馬叡(東晋の初代皇帝)を、曹魏の牛金の子孫とするのは「北魏書」に見える悪口ですけど、
北宋で『資治通鑑』をつくった司馬光の性格を嫌って、蘇東坡(蘇軾)は、「司馬牛!司馬牛!」ってけなしてる(蘇轍『龍川別志』、宋蔡絛『鐵圍山叢談』)

漢にかえれ

劉備は「漢室復興」を叫び、いまだに中国の人は「漢字」「漢服」「漢民族」と言いますが、
「漢にかえれ」は生命力の強いスローガンで、
・中唐の韓愈・柳宗元(漢代の文、古文復興)
・明末清初、清代の考証学(漢学)
などセーブポイントにされがち。他にもありそう

四部分類と大学の専攻

大学の専攻「文史哲」と前近代中国「経史子集」は噛み合わなくて、12通りの組み合わせがある。先行研究・自分の研究がどの枠に入るのか位置感覚がほしい
大学の「史」学は四部分類「史」と違う。同じ文字だから混乱する。Philosophyを「理学」と翻訳していたら悲劇だった(経学とさらに混乱する)


春秋は過去の記録で、史部に近しい(史部の設定は魏晋期なので、春秋の成立より遅いが)。春秋を経部の書(経書)にするのは儒学の作為でしょうが、春秋の伝の学問(経学)を、近代の史学で退けるのも違和感。
中華の食材をフランスのシェフに調理させ「和食として不味い」と評するデタラメ感?

朱子学・陽明学は、学問のなかで「理」という語を使うから「理学」と言われます。「宋明理学」という言い方もある
近代日本でPhilosophyの訳語を定めるとき「理学」案もあったが「哲学」で落ち着いた。でも、「物理学」「心理学」などで生き残りました(物の理学、心の理学)

別の背景(時代・土地・文化)の概念を翻訳するとき、既存の言葉と同じにすると、連想しやすく分かりやすいが混同される。既存の言葉と分けると、なじみづらいが厳密性と異質性は保たれる。
「文学」「史学」は連想・混同されやすい
「哲学」はなじめないが、厳密性が残った