日本の三国文化と、三国志の人名の間に起きるジレンマ。
けっこう多くのファンが薄々「間違ってるよなあ」と気づいていながらも、日本人が「劉備玄徳」と呼んでしまう理由を考えます。
■劉備玄徳と諸葛孔明の違い
あまり歴史に興味がない人に、「劉備玄徳」と諸葛孔明の違いを説明するのは難しい。どっかの本で読みました。どの本だったか確認でき次第、加筆します。けっこう有名な学者さんが書かれてました。
まあ歴史に興味がなければ、「劉備玄徳」と諸葛孔明がどんな人しか知らないので、確かに違いが分からない。「中国の昔の人」くらいの括りで、どっちが君主なのかも、どーでもいいこと。でも、今回のテーマはそうじゃなくて笑。名前の話です。
ご存知の通り、三国志の登場人物の名前は、姓+名+字(あざな)で構成されてます。
「劉備玄徳」を分解します。劉が姓、備が名、玄徳が字。
諸葛孔明を分解します。諸葛が姓で、孔明が字。
こういうわけで、「劉備玄徳」と諸葛孔明は違う。どっちも漢字4文字だし、同じようなアクセントで読むから同じように思えるけど、違う。諸葛孔明スタンダードに合わせたければ、劉玄徳。「劉備玄徳」スタンダードに沿うなら「諸葛亮孔明」です。
■三国時代の名前の呼び方
論者によってニュアンスは違いますが、当時の名前の呼び方は以下の通り。
まず「姓」。これは、生家のファミリーネイム。※女性が嫁いでも、現代日本みたいに変わったりはしない。
「名」は生まれたときに親から与えられるもの。ただし名を呼ぶのは無礼や不吉とされたから、親や皇帝くらいしか呼んではいけない。曹操が献帝からもらった特典に、賛拝不名というのがありました。あれで曹操は、皇帝からも名前で呼ばれなくなった。これは、曹操が献帝の、単なる一臣下じゃなくなったことの証でした。こうやって大騒ぎするほどに、名を呼ぶことは特別なことなのです。
「字」は成人するときに付けるもの。通常は名を口に出せないものだから、代わりにこっちで呼んだ。※ただし字を呼ぶのも遠慮するのがマナーで、普通は役職のみ、もしくは姓+役職で呼んだ。
百歩譲って劉備を好きに呼んでもいいとして、劉備もしくは劉玄徳。
さっきから劉備玄徳と書くときは括弧を付けてますが、こんな呼び方は根本的におかしい。名を呼べないから、字があるんだもん。字は名の代わりなんだもん。2回も呼ぶなー!みたいな。
『蒼天航路』では、連載開始からしばらくは「曹操孟徳」でしたが、途中から「曹孟徳」になりました。
でもこうやって露骨に間違った呼び方が日本で定着するには、それなりの理由があるはずだと考えました。以下、4つほど推測してみました。
■日本人が「劉備玄徳」と呼ぶ理由(1)
日本人は姓2文字、名2文字の名前を呼びやすいから。
サンプルは誰でもいいんですが、例えば織田信長や豊臣秀吉。別に歴史上の人物じゃなくて、身の回りの現代人の名前でも同じです。フルネイムで呼ぶならば、この文字数が座りがいい。日本では、(正確な統計は取ってないけど)多数派なので。
諸葛亮が、諸葛亮ではなくて諸葛孔明として親しまれているのは、この辺りに理由があるんだと思います。劉備、だけだと何か物足りない。フルネイムを呼び切った感じがしない。劉玄徳でも、何だかつんのめったような感じが残る。だから「劉備玄徳」。語感もいい。
■日本人が「劉備玄徳」と呼ぶ理由(2)
覚えやすいから。
2文字の姓+名だけだと、似たような名前ばかり出てきたら覚えられない。呂布と呂蒙の違いもよく分からなくなる笑。そこで「リョフホーセン」「リョモーシメー」とやれば、覚えやすくなる。区別がつく。
しかし兄弟で共通した漢字を使う風習から、逆効果の場合もあります。「曹丕子桓」「曹彰子文」「曹植子建」なんて並べられても、覚える気力が湧いてこない。事実、これを書きながら間違っていないか確認しました。。
■日本人が「劉備玄徳」と呼ぶ理由(3)
後漢の役職なんて、知っている人が少ないから。
本当は役職で呼んでほしい。姓+役職で呼んだら、呼び名が3文字以上になって充分に長い。まだ姓+名のみよりは覚えやすいかも知れない。
だけど、これは定着しない。役職は時系列によってコロコロ変わるし、そもそもポスト名に親しみがないから。「劉豫州」とか「孫討虜」とか言われても、仲良くなれないオーラが出まくってる。むしろ覚えにくい。
『三国演義』以来、大衆化がテーマだった三国志において、これはボツですね。
■日本人が「劉備玄徳」と呼ぶ理由(4)
物語で、人間関係を活写したいから。
別に歴史物に限った話ではありませんが、物語でよく使われる手法として、親しい間柄でしか呼び合わない「あだ名」を設定します。
幼い頃のあだ名で呼ぶのは、あいつだけだ、みたいな。湘南乃風というアーティストの「純恋歌」という歌で、「変なあだ名で呼ぶなよ、皆バカップルだと思うだろ」という一節がありますが、あれも同じ仕組みです。特別な呼び方は、強い連帯感の表現だと思います。
日本の三国文化では、字(あざな)があだ名みたいな扱いをします。ダジャレみたいは話ですが、そういう雰囲気がある。
時代考証度外視で言うと、あまり親しくない臣下は「劉備様」と呼び、股肱の臣になると「玄徳様」となる。曹操を「孟徳」の名で呼んでいいのは、夏侯惇と夏侯淵だけ、みたいな根拠があんまりない先入観もある(笑)
劉備を親しみを込めて「玄徳様」「玄徳公」と呼ぶのは、きっと吉川英治氏が定着させました。吉川『三国志』では、あんまり劉備は劉備って呼ばれてないから。あれ以来、仁徳に溢れる尊敬すべき名君、というニュアンスで呼ぶならば「玄徳様」になったと思います。
派生して、字が特別な親近感を持つあだ名になったんだと思います。
この表現を可能にするには、ある前提が必要となる。読み手に、その人物の字を知っていてもらわねば、誰が呼ばれているのか分からない!
正統派の小説では、字で呼ばせた後に注記がつく。「孟起よ!」と書いて、次の行に「孟起とは馬超の字である」となる。これでは二度手間だし、あんまりこれを繰り返すと、読み手にストレスが溜まる。かと言って、万人に「馬超よ!」と呼ばせていては、アクセントがない。
だから初めから「馬超孟起は」という書き方をしておく。そうすれば、いきなり韓遂が「孟起」と呼びかけてきても、脳内ですんなりと馬超が返事をしてくれる笑
■ぼくの意見
時代背景や文化の違う日本で三国志を楽しむんだから、細かいことに目くじらを立てるのは、まあ褒められたことではないと思います。
妥協点としては、地の文では「劉備玄徳」と書いてもらっても良いけど、台詞の中くらいは、せめて「劉玄徳」で。自分から名乗るときは、せめて「劉備、字は玄徳と申します」と。ああ、でもやっぱ気持ち悪い。
■おまけ:書き言葉は別のルール
こうやって、日本独特の呼び方を、どっちかと言うと批判しかねない姿勢で書いちゃいましたが、中国の歴史書の記述には面食らいます。なぜなら、名の1文字だけが主語になってるから。口に出すのは憚られても、文語ではその限りにあらずなので。
いきなり「飛曰」と言われても、張飛が発言したんじゃなくて、ジャンプしながら喋ったのかと思いたくなる。さすがにそれはないにしても、長文になると、どれが名前なのか分かりません。