■三国志雑感>亡国の実体験
日記からの転載でお送りします。
  タイトル:亡国の実体験 08年01月15日   ■素晴らしき職場環境  ぼくが勤めている会社の、経営成績が思わしくないようです。 例えるならば、後漢王朝の末期ですよ。もしくは、官渡あたりの支離滅裂で弱々しい袁紹軍ですよ。 4月という区切りを控えて、いろんな根回しが見え隠れしています。腹の探り合いが渦巻いています。   ありえないくらい面白い!   三国志には、いろんな人間の生き様が描かれています。 血文字で遺された、叙事詩です。 衰退する国の無惨、経営に失敗したかつての帝王、付き従う君主を誤った臣下の悲劇、腐敗した組織の断末魔、組織を正そうとして、逆に讒言されて散って行った人たちの恨み言。 これらを、給与をもらいながら観察することができます。1人の当事者として、リアルに悲憤慷慨することができます!なんてステキなんだ。三国志を味わうのに、なんていい会社に勤めているんだ笑   ●袁紹さん 臣下全員の幸せを願い、全員の顔を立てることを何よりも重んじる君主。それゆえ、1人として切り捨てることが出来ないため、優柔不断となり、対応が遅れまくって勢力を崩壊に導いてしまう「袁紹さん」。 彼を慕う人は多く、人格的にもよくできていると思われるんだが、いかんせん自尊心が強く、助言を聞かず、大局を見失う。千載一遇の好機すら、「子供が病気で」と同レベルの、個人の趣味としか思えない理由で見逃す。 名士たちとの交流を重視して、カッコばかりつける。見栄をはることに労力を割きすぎて、すでにヘトヘトである。本業に手が回っていない。   ●郭図さん 君主「袁紹さん」に取り入って、自分の保身と部下の潰しあいに享楽を求め、自分の懐具合くらいしか心配せず、当事者意識ゼロで「逃げ切る」ことばかり考えて君主の目を曇らせる「郭図さん」。 この人については、前回の日記で書きました。この人の提案を採用すれば、どんどん組織全体は滅亡に近づいていく。しかし「郭図さん」の振る舞いがそこそこ優雅なため、君主は気づけない。   ●沮授さん 決断がどうしても遅れる君主「袁紹さん」に対して、危機感をもって情報提供をし、打開のアイディアを次から次へと献策する。人望が厚いので、与党も多い。頭脳明晰の「沮授さん」。 かつては自ら軍を率いることも経験し、単なる頭でっかちの文官ではない。「袁紹さん」の軍全体の統帥権を与えられていたが、妬んだ周囲により、権限を分割して複数で分け合わされた。 しかし「郭図さん」の保身工作と感情論に阻まれ、その正しさと急進性ゆえに受け容れられない。能力とは裏腹に遠ざけられ、虐げられ、発言力を奪われていく。   ●田豊さん 君主「袁紹さん」を中心とした首脳部の人格を知り尽くしている。 問題解決というテーマに関心が深く、部下を集めて研修まで開いてしまうほどで、コミュニケーションのあり方について造詣が深い。勘所を抑えた提案や指揮が出来る。 しかし主流派になれず、やがて追放される「田豊さん」。年齢を重ねていて仙人然としているが、「理屈っぽい」と敬遠されがち。 「袁紹さん」の短期決戦論に反対して獄に入った。短期決戦に「袁紹さん」が敗れたため、周囲は「これであなたの提言の正しさが証明されましたね」と祝ったが、「田豊さん」は首を横に振った。首脳部は、判断の誤りを恥に思い、失敗を誤魔化すために私を殺すだろう、と。   ●張譲さん この人は袁紹軍ではありませんが、 人格的には最低レベルで、不正を働いて、私服を肥やすことにしか関心がない。でも皇帝のお気に入りゆえに、その不正行為も当面は咎められず、ただ正しい政治家を陥れまくる「張譲さん」。 男根を切り取られたせいか、妙にぶくぶく脂肪を蓄える。色気づいて爪をピカピカに磨き、不正に貯めた金を着飾ることに投資し、非常にキモい。 宦官になることは「腐刑」とも称され、切り取ったところの臭いがひどいらしいので、キツいコロンは必需品ですね。   ●淳于瓊さん それなりに出世して、勢力にとって重要な拠点を任されているにも関わらず、自覚ゼロ。 酒ばかり飲んでろくに守備を行わず、不精勤ぶりを指摘されると、居直って逆切れする「淳于瓊さん」。   ●曹操さん 謀反を企んでる「曹操さん」という奴がいる。 「曹操さん」は今は「袁紹さん」の臣下を演じている。彼は「袁紹さん」の財産を使って自分の覇業を大きくすることに専心し、「袁紹さん」から有能な人材を引き抜いて自立する機会を伺い、自分の領土からは第三者を排除しまくっている。 裏切って、「袁紹さん」を倒しにくるのは時間の問題だ。   ●許攸さん 「袁紹さん」の創業から支えてきた人物が、「曹操さん」の離反に手を差し伸べたら、「許攸さん」に認定できますね。 具体的な話は聞いていませんが、許攸の投降だって突然だったのだし。ここまで袁紹軍をなぞっているならば、もしかしたら、出現するかも笑   ●伍長殿 歴史書に名を残すような人物ではない。際立った正義でも悪でもなく、ただ無能ぶりをさらけ出して、自隊を弱く弱くしていくだけの老害。戦略に基づいた指示を理解する能力はなく、戦術に基づいた指示を伝達するコミュニケーション能力もない。 そんなちっぽけな伍長殿に、ぼくは今は属しています。   この老害との闘争に、半年ほどエネルギーを使ってしまった。 実際に仕事の邪魔ばかりして、みるみる兵士のモチベーションが奪われていくもんだから、必死に戦った。やっと追放に近づいてます。実務上、切実だったから仕方ない。 しかしその間、視野が狭くなり、ついつい「郭図さん」の邪悪さに目が行かなかった。半年ほど、大きな問題に気づくのが遅れた。あろうことか、「郭図さん」を、どちらかと言えば味方だと思っていた。 まんまと「郭図さん」の術中ですよ。恥ずかしい笑
  ■さながら黄巾前夜 後漢に例えるなら、そもそも鮮卑や氐などの異民族の侵入で国土が縮小し、網羅的に租税する国家機構も崩れて、国自体が小さくなっている。袁紹軍に例えるなら、曹操が黄河を越えた侵攻を開始し、冀州が踏み荒らされ始めた時期。 しかしその現実に眼を向けず、小さくなるパイをひたすら醜く奪い合ってるのは、悲しいね。 ぼくは一介の書記官なんだが、重臣たちの議事録を見ても、「何でもいいから国を大きくしろ。ただし、オレは何もやらんから、宜しくな」という発言しか載っていない。どうすんねん。   こんなありさまで、何をどう頑張れというのか笑 いやあ、本当に面白い。面白い。 もう1回言うけど、面白い。そして、面白い。はっはっは。   と、まあ、まるで救いがないわけですが笑 清流である陳蕃の命がけの諫言が、痛いほど分かるんです。国の行く末を案じて、リスクを犯してまでも上奏をしたんだね。そして、馬鹿な皇帝と、ずる賢い宦官のせいで、悲劇の死を迎えるのです。 党錮の禁を「杓子定規の学者官僚の先走り」と位置づけることも出来るんですが、ひどい奴らがのさばっているのを自分の問題として目の当たりにすると、義憤がちゃんと込み上げてきて、軽く涙が出てくるんです。   袁紹軍の兵士は、けっきょく何を信じて、どこに拠り所を求めていいか分からぬまま、上層部の対立と保身に振り回されて、官渡で焼き払われて行ったのでしょう。 争うべき、領土も兵力も生産力も権益も縮小しているのに気づかず、袁譚派と袁尚派は泥沼を演じたのでしょう。   願わくは、自分は実力をつけて、張郃とならんことを。
トップ>三国志雑感>亡国の実体験