■三国志雑感>袁術が事件解決!怪奇190年代の謎(7)■劉備のメインキャラ昇格
呂布と曹操。
もう意思確認も終わったから、親交を温める段階へと入る。
呂布は達成感で、気を緩めた。曹操の横にいる劉備は顔見知りだから、話しかけた。「玄徳よ、あなたは(曹操の)賓客だし、オレは捕虜だ。ちょっと一言いって縄を緩めてはもらえないか」と。
曹操はそれを見て、和みモード。新しい有能な将軍に「どうしてこちらに話しかけずに、玄徳殿に訴えるのだ笑」という感じ。しかし、このウサ耳は呂布を突っ放す。
劉備曰く「曹操殿は、呂布が丁建陽と董太師に仕えた事実をお忘れか」
曹操は、呂布がこれまでの主君を裏切ってきたことを思い返した。曹操個人はその前歴は問わなくても、それが場で話題に上がったからには、それへの回答をせねばならない。まさか、裏切りOKなんて言えない。臣下の目がある。放たれた言葉も矢も、取り戻せない。
友好ムードが、やっと最近サブキャラの扱いを脱してきた劉備に壊された。呂布は激怒と焦燥で叫んだ。
呂布曰く「この男こそ、いちばん信用できないのだぞ」
呂布は縊り殺された。盟友でも何でもない陳宮と、セットで首を晒された。
劉備はなんでこんなこと言ったのだろう。劉備が呂布にされてきたことを確認する。
敗戦して着の身着のままの呂布を匿った。呂布は恩を忘れて下邳城を乗っ取った。本当は主の自分が、小沛に押し込まれた。紀霊が攻めてきたのに、味方してくれない。呂布は「オレは争いが嫌い」なんて見え見えの嘘を、目の前でしゃあしゃあと吐いた。劉備は「オレの城を奪っておいて何を言うか」という気持ちになる。小沛で我慢してたのに、攻め落とされた。それだけ。それだけ。それだけ笑
呂布には、陳宮とか陳珪とか、袁術とか袁紹とか曹操とか、複雑な事情があった。でもサブキャラ劉備にしてみれば、そんなことは関知しない。「袁氏相克」なんて知らん。ただ呂布がウザいだけ。その呂布が曹操にまんまと売り込んでいるんだから、ぶち壊してやっただけだね。
もっとも、劉備が時代の流れを読み始めたゆえの発言かも知れない。時代の流れを読みながら動くのは、メインキャラの条件です笑
今後「袁紹vs曹操」という時代に入るとき、劉備が支持するのはチーム袁紹のイデオロギーだ。献帝を否定して、別の有徳の劉氏を立てましょうというやつ。劉備が帝位を狙ってるかは、また別の機会になりますが笑
チーム袁紹のため、曹操の補強の邪魔をしてやった。呂布を殺すしかない状況を作り出した。
この月、劉備は献帝に拝謁した。劉備は、董承の曹操暗殺計画に連名させられる。しかし劉備はどちらにも肩入れしなかった。袁紹シンパだから、献帝を支持しない。曹操と董承の献帝争奪戦なんて、そもそも興味がない。どっちも潰れてしまえ!という感じ。それが本音。
■チーム袁術の最期
199年、袁術と公孫瓉が死ぬ。190年代の中原で重きをなしたチーム袁術の、象徴的な壊滅です。同じ年に死んだなんてすごい。
曹操に敗れた袁術は、呂布とも連携できない。配下の雷薄・陳蘭のところに逃げたが、受け容れてもらえなかった。呂布が片付いてしまった。時代が「袁紹vs曹操」に移っていることを感づいた。どちらに味方せねば生きられない。これまでリーダーを務めてきた袁術としては、苦渋の決断だろう。
どちらに付くかは悩むまでもない。曹操は先日、自分を痛めつけただけの宦官の孫。唾棄すべき変態。袁紹は、いくら対立したとは言え、血を分けた兄弟。崇高な袁氏の血を引いている。
もちろん、袁紹側へ。
皇帝の称号を袁紹に譲り、合流を試みた。曹操に対抗するために、袁氏合体をぶちかます。青州を任されている袁紹の長男・袁譚のところへと向かう。
これを受けた曹操は、劉備の真意を測りきらずに、討伐軍を北上している袁術に差し向けた。劉備は曹操のところを離脱した。
でも劉備が袁術と戦うことはなかった。袁術は病気になって、死んじゃった。何が飲みたいと言って死んだかは、けっこう大喜利のテーマになったりする。そんなことないか。
一斗あまりの血を吐いた。さようなら袁術。
もし会戦に及んでいたら、劉備はどうやって振舞ったのだろうか。劉備率いる討伐軍の実態は、曹操軍なのだ。劉備子飼いの兵士なんて、ほんの少ししか含まれてない。
劉備は、チーム袁紹の味方だ。袁紹を頼る袁術を本気で討つとは思えないのだけど。ああ、知りたい!
劉備は徐州でチーム曹操の徐州牧・車冑を斬って「独立」した。袁紹に連絡を取り、チームへの参加意思を明確にしたのでした。190年代はこうして暮れていく。除夜の鐘が聞こえる。
■孫策のこと
これまで丸っきり無視していた。孫策である。
彼の位置づけは、チーム袁術から独立を目論む若者です。
チーム袁術の孫堅は早々と死んだ。その軍隊は袁術が吸収した。バラバラに配置されて、「旧孫堅軍」みたいなものは雲散霧消。どっか行った。血縁の呉景と孫賁が、袁術の部将として頑張ってた。孫策が成長して軍を再編成し、即位した袁術に離縁状を叩き付けた。
そういう意味では、袁紹の下の曹操と似てるね。かなり省略しまくってるけど、また別の機会に考えます。
■おわりに
長いことお付き合い頂きましてありがとうございました。
190年代のストーリーが掴みにくい動乱を、少しでも系統だてて理解する助けになればと思います。袁術と袁紹の対立という話にインスパイアされて、正史を読みながら出来事を組みなおしてみたら、意外にも整合性が高くて驚いてます笑
何事も二項対立に単純化して捉えてはいけないとは分かっているものの、やっぱりこの思考は便利です。
意図せず、陶謙・張邈・呂布・劉備の人物像を考えることになり、文章が長くなりました。でも納得のいく解釈が出来たのだと思います。
ありがとうございました。
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