■三国志雑感>袁術配下は人ナシか?
いっぱしの群雄で、仮にも即位をしたのに、袁術さんのところの人材に有名な人があまりいない。紀霊が綺麗と同音だから話題になるくらい? 本当にそんなに貧困なのか。どんな人がいたのか整理する。
  ■袁術の一族 袁氏一門は名族なわけです。 袁術さんのところの一族の顔ぶれを見てみましょう。袁紹さんのところは、袁譚・袁煕・袁紹・高幹と、わりに有名どころの親戚がいるもんね。   袁術:司空袁逢の子、仲王朝の初代皇帝! 袁燿:術の子で、皇太子?孫呉の郎中。娘が孫権の子、孫奮の室。 袁氏:術の娘。孫権の後宮に入る。 袁胤:術の甥。術が丹揚太守に任じたが、孫策に追放され、劉勲を頼る。 馮氏:馮方の娘で、袁術を恋煩いにした女。後宮の女達に殺される。   孫権政権は、袁術政権の下剋上みたいなものです。 中央政権へのコネが皆無の孫堅は袁術を頼ったし、孫策も袁術の武将として活躍していた。孫権政権は寄り合い所帯で集権が苦手だったから、その正当性を袁術政権の継承に頼った部分もあるんじゃないか。袁術の子孫と血縁関係を積極的に結ぶことでさあ。 曹操の娘2人が献帝に嫁ぎ、献帝の娘2人が曹丕に嫁いでいるけど、構図としては同じだね。孫権の即位は(かなり婉曲だし限定的なものだが)袁術の仲王朝から禅譲を受けたみたいなもので。※強がり。   ■地方官クラス 陳瑀:陳球の子、陳珪の従弟。袁術が揚州刺史に任じたが裏切った。    南陽から転戦した袁術は、陳瑀を追い出して寿春に入城。 陳紀:袁術が孫策との約束を破り、彼を九江太守(仲では淮南尹)に。    陳寔の子で、陳羣の父。父も子も有名すぎるYO! 陳珪:徐州にあって、袁術を策謀で邪魔をするイヤな人。    ※袁術旗下じゃないけど。 劉勲:孫策との約束を破り、袁術が陸康の後釜に廬江太守にしてやった。    袁術の遺族を養い、張勲の兵を吸収。劉曄を従えた。曹操を頼る。 陸績:蜜柑の人。ハムの人じゃない。 袁氏に勝るとも劣らない名門が揃っています。仲王朝の藩屏たれ!
  ■袁術の一級武将 兪渉:武力随一、華雄に一騎打ちで敗れる(演義) 孫堅:南陽で指揮下に入れた天才。洛陽に迫る功は大だが、荊州で横死。 橋蕤:袁術が大将軍に任ず。徐州に侵攻し、曹操に斬られた。 張勲:袁術が大将軍に任ず。徐州で破れ孫策へ向うが、劉勲に斬られた。 紀霊:三尖矛の使い手。劉備を攻め、呂布の仲裁を喰らって撤退。   兪渉は初期袁術軍団の筆頭顔役です。 『演義』の人物だから半分以上ジョークだけどね、戦場で鬼神のごときカリスマ性を発揮して、腕一本で乱世仕様に組織され始めた袁術軍団を支えた武将がいてもいいじゃないか。 袁術が洛陽で宦官を切りまくったとき、すぐ側に無言で侍る朴訥な男がいた。いくら名門でも、袁術や袁紹が単騎で突っ込んでいったら、返り討ちに遭うかも知れない。宦官には蹇碩みたいに力が強いのもいたしね。だから、卑しい者が立ち入り禁止のはずの宮中まで、袁術の護衛としてピタッと兪渉に寄り添っていてほしいです。 袁術と袁紹が、何進の下で次代のホープとして洛陽に詰めているころ、顔良・文醜・兪渉が酒を酌み交わしていたり。   橋蕤と張勲は、兪渉亡き後の二枚看板ですね。 顔良と文醜であり、張遼と高順であり、関羽と張飛ですよ。 袁術が揚州刺史の陳温を追い出して群雄としての本拠地を得たとき、2人とも大将軍に任命されている。なぜ大将軍が2人いるのか分からんが。まさか「大ナル将軍」という意味じゃなかろうな笑 袁術の命運をかけた197年の曹操戦で敗れて、散り散りに。 橋蕤と張勲は、ともに「孫策くんはすごいね」という発言が記録されていて、その一事を以っても有能ってイメージを醸し出してる。   ■袁術の二級将軍 孫策:10代のくせに不思議と強い子。早く太守になりたいらしい。 雷薄:部将。零落した袁術を拒んだ裏切者。 陳蘭:部将。零落した袁術を拒んだ裏切者。張遼に斬られた。 転戦に付き合って勲功も大だが、裏切りは良くないよね!   李豊:橋・李・梁・楽で寿春を守る。斬られ役。正史に名前なし? 梁剛:橋・李・梁・楽で寿春を守る。斬られ役。正史に名前なし? 楽就:橋・李・梁・楽で寿春を守る。斬られ役。正史に名前なし? 袁術の子飼いって感じがしますね。   楊奉:献帝を失って部将に。呂布に帰順して袁術を攻める。 韓暹:献帝を失って部将に。呂布に帰順して袁術を攻める。 関中から流れてきたから、仕方なく配下に加えてやったのに。
  ■袁術を支えた文官 閻象:主簿。即位はどうかと思います、と諌めた人。 張烱:河内の人。「漢に代わるのは当塗高」で横車を押した太鼓持ち。 韓胤:呂布の娘と袁術の子の婚姻を進める使者。ミスって、許で晒し首。 文官の人不足をとみに感じます。ここが人ナシだ!   例えば曹操さんのところで、文官って何をしてたっけ。 戸籍作成、租税徴発や徴兵、宮廷や都市の管理、兵站の確保や維持、人材登用、外交交渉、地方行政委任。 袁術さんのところでは、どれもやってない笑! 道理で行き当たりばったり!戦が続かない!根拠地がなくなる!弱い!   ■まとめ ということで、袁術さんにはちゃんと家族もいれば、名門の支持者?も付いていて、武将はむしろ蜀漢より充実している笑 でも文官を活かすという発想そのものが(おそらく)欠落しているので、かくも早期退場を迫られたようです。袁紹のところで、名士たちがいがみ合いをして右にも左にも行けなくなってるのとは対照的ですね。袁術は文官を重用しないから、一人で後ろに進んでいたという。。おしまい。
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