■黄巾の乱のまとめ
ぼく自身がこの文章を書きながら理解したので、それをまとめてみようと思います。
地図にしました。
洛陽に霊帝がいて、漢朝の本拠地。鉅鹿が張角の故郷。黄巾は全土に広がっていたけど、ボスの張角たちは洛陽から見て北東にいる。
黄巾の将は黄色で名前を書いた。でも「白地に黄色じゃ見えねえよ!」となったので、ダークグリンの枠をつけてみました。漢の将軍の枠は「蒼天」にちなんでおります。蒼い矢印が、官軍の動きです。
黄巾としては、洛陽を落とせば勝ちなわけ。
だから、まず洛陽を内側から揺さぶる!馬元義くんの役目ね。
南側から洛陽を伺うのは、張曼成くんの役目ね。
正面を進軍して攻めるのは波才くんの役目ね。※責任が一番重い。
張宝は根拠地に残って、張角は張梁を連れてちょっとだけ出張ってる。
対する官軍の動きを時系列で書きます。図を見ながら読んでください。
※自分で表示してみたら、文章が縦長だから、図を見ながら読めないよ!ってことに気づいた。っていうか、このツッコミもまた、図と下の記述を遠ざける原因なんだ。はあ。
2月、馬元義がミスったので、急かされて黄巾の乱スタート。
3月、張曼成が南陽を奪った。朝廷は討伐を開始。
3月、洛陽を守るために何進を大将軍に任命して、郊外に駐屯させた。波才を討つために、皇甫嵩と朱儁が別ルートで出発。盧植は黄巾の本拠地を討つために北上。※総大将なのに何もしてない何進。図に入れ忘れたことを後になってから気づいた笑
4月、朱儁が波才に負ける。皇甫嵩も、出張ってきたものはいいものの、長社で波才の包囲を受けた。
5月くらいかなあ、皇甫嵩が波才を押し返して撃破。朱儁も追撃に加わった。黄巾の攻め手の主力を片付けたので、皇甫嵩は北へ、朱儁は南へ。
6月、盧植が広宗で城攻めを開始。冀州は遠いから、開戦が遅れたね。朱儁が南陽郡で攻撃を開始。
8月、皇甫嵩が東郡で黄巾を破る。
9月くらいかなあ、盧植が罷免、董卓もお役御免、皇甫嵩が広宗を攻める。
10月、皇甫嵩が張角(の死体)と張梁を討つ。
11月、皇甫嵩が張宝を破り、朱儁が南陽郡を平定。
12月、おつかれパーティー。
あくまで張角を中心とした、統御された黄巾軍と官軍との戦いを見てきたわけで、この後も黄巾の乱やらそれに便乗した反乱は群発するわけです。
でも「黄巾の乱のタイムテーブルを作る」という本稿の目的は果たされたのでおしまいです。ありがとうございました。