■生きざまを数値化>魏の本紀
曹操の祖父まで遡って、陳寿が正統とした曹魏の嫡流を見てみます。
曹 騰(季興) 皇帝ノ腹心ノ鑑。贅閹ニアラズ。
大略●●
政務●●●
弁舌●●

将器●
武闘●
自尊●
交際●●
忠孝●●●●

耐性●●●
好み●●
順帝や桓帝の即位に大きくコミットした宦官。4代の皇帝に仕えて、過失が1つもなかったというのだから、素晴らしい。権謀の臭いを、誰より早く感じて立ち回ったのでしょう。
この功績で宦官の養子取りが認められ、「曹」操登場の舞台が整うわけで。少年時代の曹操との絡みに興味あり。コンプレックスの源流だよね。後輩たる十常侍たちを、どう見ていたんだろう。
『後漢書』の人物だが、一応収録してみました。

曹 嵩(巨高) 夏侯ノ養子。弑セラル迄、無名ナリ涙。
大略●
政務●●
弁舌●●

将器●
武闘●
自尊●
交際●●
忠孝●●

耐性●●
好み●
貧しくして夏侯氏に生まれ、曹騰に拾い子同然で育てられたのでしょう。前例のない宦官の養子になんて、よほどの事情がないとならないよ。
司隷校尉・大司農・大鴻臚を経て、一億銭で太尉を購入。曹騰は勇気と気配りで皇帝を支え、曹嵩は銅銭で皇帝を支えたんですね。
死して初めて「三国志」読者が存在に気づくという変なポジションですね。

曹 操(孟徳) 治世ノ能臣、乱世ノ姦雄。即チ超世ノ傑。
大略●●●●
政務●●●●
弁舌●●●●

将器●●●●
武闘●●●
自尊●●●●
交際●●●
忠孝●●●●

耐性●●●●
好み●●●
宦官の孫として丸腰でデビューし、魏朝の基礎を作った曹操は、他者の追随を全く許さないはず。乱世後の姿をいち早く描き、呂布や袁紹ら強敵を討ち、詩文をよく行い、兵法を修めた。
忠孝には疑問符が付くかもだけど、ヒステリックな徐州復讐やストイックな献帝の擁護からマル4つ。
背が短小で一騎打ちには弱そうだから、武闘は普通めで笑。大陸に敵をいっぱい作ったから交際を下げたけど、先駆者の宿命です。

曹 丕(子桓) 文学ハ経国ノ大業、不朽ノ盛事ナリ。
大略●●
政務●●
弁舌●●●●

将器●
武闘●●
自尊●●●
交際●
忠孝

耐性●
好み●●
簒奪者、弟殺し、戦下手。Sっ気たっぷりで、仲が良いのは四友だけ?『典論』を読めば、曹丕が文武に優れた皇帝だったことが窺い知れて、文才は見事。しかし、全て自己申告だからねえ笑
他のあらゆる評価は低くてもいいから、「耐性」だけは頑張って欲しかった。禅譲の前の押し問答を読むと、同情の涙を誘われます。
藩屏を築かなかったことは、結果論で責めちゃダメなので、大略はマル2つ。

曹 植(子建) 洛神ニ焦ガルルヲ、豆殻ヲ以ッテス笑
大略●●
政務●
弁舌●●●●

将器●
武闘●
自尊●●●
交際●●
忠孝●

耐性●
好み●●●●
曹丕の同母弟、陳思王(反省してます)、詩聖。
陳舜臣さんの小説『曹操』と『曹操残夢』で生き様が見れますね。曹操が「全土平定したら子建、乱世が続くなら子桓」と後継者を決める基準を語ってたのが良かった。曹植は悪くないもん。
途中から、保身だか自暴自棄だか分からないけど、道を踏み外してしまった。彼が真っ当に将軍や大臣をやってる様子を見たかったな。きっと面白い上表(もしや詔勅も?)を後世に残してくれたでしょうに。

曹 叡(元仲) 秦始皇・漢武ノ風ナレド、僅カニ及バズ。
大略●
政務●●●
弁舌●●

将器●●
武闘●
自尊●●●●
交際●●
忠孝●●●

耐性●
好み●●●
三国鼎立を無視して、帝王の業(建設ラッシュ)を始めたのはNGだが好き。軍事・政治は人任せだから、判定が難しい。死床での振り回されぶりを見ると、采配不備が心配になる。
父親が袁煕か曹丕か分からなかったり、母鹿仔鹿の泣けるエピソードだったり、家族歴は不幸ですね。そして、後継者をきちんと残さずに死んだのは、家族歴のトラウマのせいか。
そして、曹丕と一緒だけど、早く死にすぎだから!

曹 芳(蘭卿) 芳ノ血脈、宮中ノ秘事ニシテ誰モ知ラズ。
大略●
政務●
弁舌●

将器●
武闘●
自尊●●
交際●
忠孝●

耐性●
好み●
8歳から23歳まで皇帝をしていたけど、皇帝としての号はなし。不名誉にも厲公。
治世は曹爽と司馬懿の二頭政治でスタートして、司馬懿の息子に追い落とされた。見方によっては、司馬師が曹芳が一人前に成長するのを警戒したとも言える。しかし、23歳で人心を掴めなければ、おそらく30歳になっても同じはずで。「親政には無能だが、傀儡とするには煩い」という扱いだろうか。

曹 髦(彦士) 司馬昭ノ心、道行ク人モ皆知ル。
大略●
政務●
弁舌●●

将器●●
武闘●
自尊●●●
交際●
忠孝●

耐性●
好み●●
明らかに推戴する魏朝の期待を背負った、英邁児。即位のとき13歳。荀彧の六男・荀顗と論争して勝ったというから、弁舌は立ったのでしょう。
司馬昭への逆クーデターを敢行して斬られたのを、どう評価するかが難しい。若気の暴発ながら、久しぶりに皇帝として兵を率いたから、贔屓目に将器を評価。あっさり殺されてしまったから、武闘はダメで、王氏が司馬氏に奔ったから交際もダメ。

曹 奐(景明) 魏ノ天恵ハ永遠ニ去リ、晋ニ移レリ。
大略●
政務●
弁舌●

将器●
武闘●
自尊●
交際●
忠孝●

耐性●●
好み●
司馬昭が禅譲のため便宜的に即位させた人物なので、何とも言えません。後世人は、歴史書の事績からしか能力を判定できないので。
唯一認めてあげられるのなら、よく耐えたなあ、ということだけ。15歳から20歳まで即位していたはずだけど、与えられたお人形さん役を粛々とこなしたのでしょう。おつかれさまでした。
司馬炎よりも長生きで、八王ノ乱下58歳で死去。

以上、曹操の嫡流を見てきました。おしまいです。
トップ>三国志雑感>生きざまを数値化>魏の本紀