■生きざまを数値化>漢の本紀
諸葛亮の言い分を信じて笑、洛陽から成都に移った漢朝の正統を見ます。
劉 宏(??) 三公ノ位、一億銭ニテ出血大奉仕。
大略●
政務●●
弁舌●

将器●
武闘●
自尊●●
交際●●
忠孝●

耐性●●
好み●●●
霊帝。傍流で、ド貧村から引っ張り出されて即位。
十常侍の跋扈、第二次党錮ノ禁、周辺地域の叛乱、模擬市場、売位売官、黄巾ノ乱。何も快事がないのかよ!という世紀末の皇帝。追号が「霊」なんて、存在自体が評価されてない!
王朝宿念の最強近衛軍、西園八校尉を創設して自ら無上将軍になった。将器・武闘としては認められないが、政務をマル2つにしといた笑

劉 弁(??) 董卓ニ廃セラレ、李儒ニ弑逆サル。
大略●
政務●
弁舌●

将器●
武闘●
自尊●
交際● 
忠孝●

耐性●
好み●●
少帝。霊帝と何皇后の子。17歳で即位、5ヶ月で董卓により廃位。長安で李儒に毒殺された。
吉川英治か『演義』か忘れたけど、彼が不幸な境遇を詠ったのを李儒に聞かれ、それを口実に殺されたという話がありました。青年が世を儚んで口ずさみ、そのせいで美貌の母と一緒に殺される。その物語的な美しさに心惹かれるので(存在感ゼロの彼だけど)好みにマル2つ付けておきました。

劉 協(伯和) 朕ニ、悔ヒ無シ。曹丕ヨ、天ヲ負フベシ。
大略●
政務●
弁舌●

将器●
武闘●
自尊●
交際●
忠孝●

耐性●●●●
好み●
献帝。漢朝四百年の最後の皇帝。董卓に擁立され、董卓の死後は李傕と郭氾のパス回しに翻弄され、死亡、、するかと思いきや、曹操が拾ったおかげで奇跡的に一命を取りとめた。
でも後漢の皇帝としての命脈は、董卓の後ろ盾を失った段階で尽きていると思う。曹操が天下に号令するための便宜的なカード。曹操の娘を2人娶り、娘2人を曹丕に遣った。有史上初の禅譲劇の喜劇役者に、曹丕と一緒になって取り組んだ。
生没年が諸葛亮と同じなのは有名。

劉 備(玄徳) 弘毅寛厚、アル意味、高祖劉邦ナリ。
大略●●
政務●●
弁舌●●

将器●●●
武闘●●
自尊●●
交際●●●● 
忠孝●

耐性●●●
好み●●●
すごく評価を付けにくい。いろんな劉備が、ぼくの頭の中で戦っています。
文句がないのが、交際(他人に死力を尽くさせるのが巧みだ)と耐性(大陸を数十年放浪した)だね。
それ以外は、分からん。なかなか死なないから、決してどの能力もB級ではないのだが、どこまでが創作ないしは側近の力なのか判定できない。
唯一低い評価を付けたのは忠孝。母親孝行は吉川英治一流の演出だし、献帝への思慕は見せ掛けや成り行きだろうし、世話になった公孫瓉・陶謙・呂布・曹操・袁紹・劉表・孫権・劉璋には、漏らすことなくオンアダですから。

劉 封(??) 蜀ヲ棄テ、魏ニ降ラザリケルヲ恨ム。
大略●
政務●
弁舌●

将器●●
武闘●●●
自尊●●
交際●
忠孝●●

耐性●
好み●
生家は寇氏で、長沙の劉氏の甥。
益州攻略の功で副軍中郎将。副軍将軍として孟達と上庸を守る。関羽の急援要請を容れず、上庸を失った後に成都に帰った。諸葛亮が「将来の禍根です」とか言うから、自殺に追い込まれた。
子供のいない劉備に迎えられ、劉禅が生まれ育ったので殺す。英断だが、振り回される方はたまらん。死ぬ前に「孟達と一緒に魏に行っていればなあ」と言ったそうだ。蜀と魏は不倶戴天の国家だが、劉封には自身の命の方が重かっただろう。
劉邦と紛らわしく(字形まで似てて)ちょっと不遜。

劉 亮(伯明) 若シ斗星暗ナレバ、月亮此ニ代ルベシ。
大略●
政務●
弁舌●●

将器●
武闘●
自尊●●●
交際●
忠孝●

耐性●
好み●●
これは冗談です。架空の人物です。
劉備が青州で黄巾討伐に敗れて気絶したとき(史実)介抱された家で子供を作る。それを諸葛亮が放浪中に偶然拾って養育し、成都に著作郎(歴史官)として仕えさせたら後継者問題はどうなるんだろう、というぼくの個人的な妄想の産物で笑
後から知ったけど、『蒼天航路』の劉冀と同種の設定でした。劉備は家族をよく失うから、ご落胤はあり得る話だよね。 ※能力はぼくの分身(笑)

劉 禅(公嗣) 饗宴甚ダ楽シク、蜀ヲ想起スルナシ。
大略●●
政務●
弁舌●●

将器●
武闘●
自尊●
交際●●●
忠孝●

耐性●●●
好み●●
劉備、諸葛亮、五虎将軍、姜維らが心血を注いできた蜀漢帝国。それを無抵抗に明け渡したんだから暗君であり、黄皓に骨抜きにされ、洛陽では司馬昭に馬鹿にされた無能漢という評価が一般的。
逆に、乱世の終息と巧みな保身に長けていたという評価も、また根強い。 今回は、どちらかと言うと後者寄りに評価してみました。
長坂坡で劉備に投げ捨てられて頭を打ったかどうかは知らんけど、父親に戦場に置き去りにされたという事実は、深いトラウマと恨みとして劉禅の人生を、薄暗く規定したと思います。

劉 諶(??) 昭列皇帝、我ヲ、我ガ父ヲ許シ給ヘ。
大略●
政務●
弁舌●

将器●
武闘●●
自尊●●●
交際●
忠孝●●●

耐性●
好み●●
劉禅の五男。皇太子劉璿の弟。 『漢晋春秋』曰く、劉禅が譙周の説得で鄧艾に降伏したことに、劉諶は激怒した。劉諶は劉備の墓の前で慟哭し、妻子を自ら手にかけてから、壮烈に自刃して果てた。
劉諶について歴史書が残していることはそれだけです。蜀漢帝国の最後を飾って、読者をスカッとさせるために出てきたような人物で。
もし彼が3世皇帝として君臨していたら、果たして国をより長く保っていたかも謎。姜維と一緒に出撃して、成都に二度と帰ってこないかも知れない笑

以上、漢朝の嫡流を見てきました。おしまいです。
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