■三国志雑感>三国志の魅力は「手の届かぬ天意」
■こんな読後感の『三国志』を書きたい トップページに書きましたが、ぼくは自前の『三国志』を書いてみたいと考えてます。この目標には、二つの意味があります。 まずは一つには、文字通りの意味。 もう一つは、思考実験。「自分ならどう書くか」という仮定で三国志に関するメディアに触れれば、神経が研ぎ澄まされます。大好きな三国志への理解が深まります。本を書く・書かないに関わらず、有益です。 今回は「自分ならどんなスタンスで三国志を書くか」という仮定のもと、三国志の時代や魅力について書いてみました。     ■名著に必ずあるもの いろんな『三国志』には、読んだ後に印象に残るものがあります。同じ歴史事実に取材した本が氾濫している中で、その作品がもっている特徴や設定があります。「ああ、この本はこうだったんだな」というやつです。   例を挙げましょう。 陳寿の『三国志』は、私撰ながら史実を厳密に取捨選択した。裴注は散逸する文献を集めた。『全相三国平話』では庶民の愛した因果応報物語。『三国演義』は文化の集大成で、知識人への普及版。 『通俗三国志』は日本の通俗物の嚆矢。『絵本通俗三国志』は、美術史に残る挿絵本。吉川英治は日本版の「演義」でスタンダード。横山『三国志』は、吉川『三国志』のビジュアル化。柴錬は講談のごとく躍動する合戦描写。『秘本三国志』は宗教と劉備曹操の秘密同盟を描く。北方『三国志』は漢の滅びの美学と、呂布・張飛。宮城谷『三国志』は、まだ完結してないし難しいし説教臭いけど「四知」が印象的。 『蒼天航路』は超人的な曹操と、劉備と董卓と孔明と吃音ドレッド笑   自分が無謀にも『三国志』を手がけるなら、こういうテーマみたいなものが欲しい。決めた。 いくら手を伸ばしても届かない天意 これで行きます。ぼくが日々の生活で感じていることを託します。      ■天意って何だろう 天意というのは天の意思。別にここは「天」じゃなくてもいい。「真理」「神」「普遍則」「因果律」など何でもいいのです。要するに、きっとどこかにある、絶対に正しいもの。それを指したい。 ここで「天」という語を選ぶのは、同じ言葉を三国時代の人も使っていたから。『三国志』の文に馴染み、雰囲気がしっくりくるでしょ。当時の用法例として曹操の「秋胡行」の一節を引きます。   大人は天に先んずあるも しかも天は違わず 大人(たいじん)は、人徳と道理を弁えた人物。大人は、天の意思が示されるのを待たずに思いを巡らし、それを行動に移しても、結果として天の意思とズレることがない。天命を先取りできる。そういう意味だそうです。 参考:竹田晃『三国志の英傑』講談社現代新書1990年   「天」とは、物理的に地表面から距離がある場所のことを言うのでしょう。そこは見上げるばかりで、手が届かない。天候は思い通りにならない。その性質を借りてきて、比喩的に「天」はこんな意味を持ったんだね。 日本でも「天道思想」という学問用語で、似たような考え方が昔からあるとされてます。それが現代まで伝わっていて、ぼくらにも抵抗なくイメージできてる。嬉しいし、便利だね。  余談だけど、天候を自在に操ることが出来たら、天意すらも操ることが出来るということになる。恐るべし、演義諸葛亮。それから、書きたいテーマは典韋じゃない。あれは曹操が手に入れてしまった笑     ■いかに天は遠いか 現代社会で持てはやされているウソがある。努力すれば報われる、と。子供の頃からそれを教え込まれて、おそらくそうに違いないと思い描いて生きる。しかし、年齢を重ねて経験が増えると、ある日ふと気づくんじゃないかな。努力しても報われない。努力は成功の必要条件ではあるが、充分条件じゃない。それを勘違いしていたよ!と。 このギャップは絶望的。しかしそれを克服するのは、さらなる努力でしかなくて。拗ねていても、天意は遠ざかるばかりで。 結果が確約されていない努力を続けるのは、かなり拷問。その拷問に耐えながら生きる日々の営みが、上に書いたテーマの中身です。   全てを悲観で塗りつぶしてしまおうというのではない。でも、自分が願うとおりになったことが、今までどれだけあっただろう。100のことを願ったとして、いくつ叶えられただろう。 そもそも自分が生まれた日を思い出せない。生まれた理由も分からない。こうやって文章を打っている手を、どうやって手に入れるのかも知らない。親に頼んだって、もう同じ物を作ってくれない。彼らは、作り方を知らないと言うだろう。性教育の話じゃなくてね笑 老いも病いも止めることもできない。死亡率は100%だ。 自分のものであるということになってる身体でさえ、自分のものではない。そんな無力な己が、いったい何をどれだけ為しえようか。   人は、よく生きたいと思う。どんな状態が「よい」のか分からないけど、思考回路をすっ飛ばして、心が快だと感じられる状態のことだとする。 狙いどおりに、自分の心に快を感じさせることが出来るか。出来ない。人が出来るのは、行動だけ。自分の心が喜ぶであろうと推測した行動を選び、積極的にこなすだけ。 それが人生を豊かにするかどうかは、それこそ天のみぞ知る。   人は一人では生きられない。どれだけの反論を用意しても、これを覆すことは出来ないと思う。万物は、人との関係の中から生まれてくる。 良好な人間関係は、人生を快くしてくれる。だから、人の気持ちを知りたいと思う。あわよくば自分の願うとおりに操作したいと思う。しかし、それは無理。自分の心ですら、完璧に制御することは不可能。そんな自分が、なぜ他人まで自在に動かせようか。その他人でさえ、彼や彼女自身が底の見えない深遠な心を持った存在なのだし。 この圧倒的にのしかかる不解決の重さが、天とぼくらの距離だと思う。     ■天と付き合う方法 このような天と、ぼくらはどうやったら上手に付き合えるか。 ずばり皇帝を立てることだと思う。  ※歴史の話をしてますw   皇帝の起源は秦王政。姓の漢字は邪魔くさいから書きません笑 彼は、武力で他の群雄を叩き伏せ、始皇帝を名乗った。度量衡の統一とか焚書坑儒とか、世界史で習った諸々の政策は置いておきます。顔見世行幸はご苦労なことだったし、巨大な陵墓はご迷惑でした。   重要なのは、皇帝が天子と呼ばれたこと。 始皇帝の空回りにも見える努力から生まれた「皇帝」というフィクションが清末まで続いたのは、天意を一手に引き受けるポジションという設定が人々にウケたからなんだと思う。 人は、そもそも天とは何かも解らないから、具体的な天子に置き換えて、それを敬ったんじゃないか。皇帝こそ、古代中国が発明した、天と付き合う方法なんじゃないか。 後漢の殤帝なんかは、生後百日の乳児であったけど、漢の人々は皇帝という存在を消してしまおうとはしなかった。叩き殺すことなんて、まさに赤子の手を捻るが如くだが、それを行う人間など現れなかった。下手なことをして、天への拠り所を失うほうが、よほど恐かったはず。 ※でも殤帝はすぐ死んじゃった。だから追号もこんなに痛々しい。。   皇帝は絶対権力者だけど、同時に中華大陸の民にとって心理的な腫れ物だったと思う。 皇帝に近いというだけの理由で、外戚も宦官も権力を握った。まるで天でも畏れるが如く扱われたんだと思う。彼らは、自分が奉られる本当の理由を忘れ、奢侈をきわめ、目先の欲望の成就に没頭しちゃったけど。 後漢の豪族は、劉氏の天子(食事も排泄もする人間)や洛陽の都(自分の足で踏破できる城)と自分との関係を確認することで、自分や一族の存在を規定できた。天との対峙を、避けることができた。 民にしても同じ。大自然の猛威で肉親を失っても、皇帝やその側近を恨むことで心をやりくりした。役所を襲えば、為政者がクビになれば、焼け石に水には違いないが報われた。     ■『三国志』と天意 秦王政が作った皇帝ルール。これには、本人すら気づかない条文が1つ追加されてた。デスノートの裏表紙のルールみたい笑 中原を武力で制覇した一族が皇帝になれる。簒奪できる。 始皇帝は武力を背景に即位したんだから、この規則が付くのは当然かも知れない。だけど始皇帝としては、他氏に天子を譲る気はなかったのに。不可避なジレンマだよ。   初めにこれを実践したのは劉邦の漢朝。その漢は400年続き、どれだけ腐敗しても倒れなかった。 後漢の皇位は、何度も揺らいだ。その気になれば、皇統を簒奪も出来たでしょう。でも簒奪すると、自分や自分の子孫が天と向き合う孤独を背負わなきゃダメ。そんな気概は湧いてこない。だから劉氏にお任せ。哀れな劉氏は、子供が出来ないし若死にするし。だから皇帝は、傍系から引っ張ってくる。しんどいなあ。 劉氏から王朝を奪えないという神話を強化したのは、王莽だろう。外戚である彼は帝位を乗っ取ったが、すぐに劉氏が奪還した。諸侯は支持をした。劉氏の王朝は奇跡的な復活を遂げ、簒奪ルールはご破算になったかに見えた。   しかしルールを読み返し、自ら天との闘争を望んだ人たちが現れたんだね。それが『三国志』の時代。天との対峙を代行していない王朝を、彼らは許さなかった。  ぼくの物語は、霊帝即位から始めたい。司馬炎の統一で終えたい。 霊帝は中国大陸を統一していた時期の最後の漢の皇帝。司馬炎は分裂と混乱を(一旦は)収束させた皇帝。西暦にすると168年から280年。統一王朝の皇帝が不在だったから、それぞれが自分の足で地に立って、天と向き合うしかなかった時代。 結果的に、いわゆる三国の魏呉蜀はどれも全土を統一できず、司馬炎の晋ですら八王の乱ですぐに潰れる。きっと君主と呼ばれた多くの人が、統一の夢を描いたのにも関わらず、ダメだった。この「夢の叶わない」度合いが、いかにも天意と向き合う人間を象徴してくれる。天を前にした人間は、誰もが圧倒的に劣勢のまま孤軍奮闘するしかないのだ。 彼らは天との争いに負けた。天意は計り知れない。負けて当然だ。何人もの英傑が人生を賭けて、天に叶わないことを証明して見せた。失意に死んだ。   ただ彼らの闘いざまは、それ自体に価値がある。 なぜなら、ぼくらも彼らと同じ眼の高さで、天と向き合うことを運命づけられているからだ。 自然科学は発達した。今日の技術なら、陳倉城は余裕で落ちる笑。三国時代の人が培った文化は、たくさんの時代と地域のフィルターを経て、現代日本でその発展形を見せている。龍じゃないけど、天を飛べる。 しかし、人が天と向き合うとき、その過酷さは全く変わっていない。   人が天と向き合うとき、自分で仮説を立てる。 「きっと天意とは、こういうものだ。それに呼応して、よき生を歩むには、こういう努力が必要なんだ」と。そして行動する。だいたい失敗して、天意は別にあると知る。仮説を洗い直す。その繰り返しの中で、脱落もする。これらの営みの過程で、無数の人が大小の煌きを見せることもある。 それを見てみたい。表現したい。   テーマは、いくら手を伸ばしても届かない天意 これで行きます。ぼくが日々の生活で感じていることを託します。
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