■三国志キャラ伝>曹操の覇業放棄を阻止、程昱伝(1)
寝る前に「魏武アンド程昱」という言葉が脳内に灯りました。グーグルで検索してみたら、同じ啓示を受けた人が、02年に1人いたみたいで。先を越されていたのが、ちょっと残念だったです笑 そんな動機でナンですが、程昱伝を作ってみようと思います。   ■東阿を曹操に治めさせたい! 程昱の行動を見ていると、一貫しているのは、故郷である東郡東阿県の平和です。程昱が火事場の馬鹿力を発揮するのは、故郷がピンチになったときだけだ。 中原は袁紹が強く、初平年間には、袁紹の与党である兗州刺史の劉岱が治めていた。しかし劉岱は、程昱から見て不足だった。黄巾に劉岱が殺されると、袁紹は曹操を配置した。この曹操に充分な力量を見出し、程昱は協力した。 初期の曹操は袁紹の一将軍だから、いつ兗州から「お国替え」になるか分からない。それを防ぐには、曹操が袁紹を圧倒して、立場を逆転せねばならない。そういうわけで、程昱は官渡までは頑張る。『演義』では十面埋伏ノ計をぶちかますんだが、それくらいの馬鹿強さを描きたい。 だって、袁紹を破ることは、すなわち程昱の人生目標の達成だからね。 曹操が中原を平定したら、安心して引退します。   ■強情で他人と衝突する 141年生まれで、曹操よりも14歳も年長です。 周囲と折り合うことをせず、自分が正しいと思ったことを通した。おそらく、愛想を振りまくというコストもかけなかった。 身長が190センチ超で、そこらの武将よりもデカいもんだから、周囲には脅威を与えていたのでしょう。「程昱が謀反を企んでいる」という人もいた。曹操が相手にしなかったから良かったものの、中途半端な立場だったら、性格のせいで失脚していたかも知れない。   ただ、変に周囲に合わせたり媚びたりしない人って、目的を持って邁進できたら、余人には真似の出来ない強さを発揮するからね。 程昱はそういう人だと思うのです。
  ■黄巾の乱対応 張角が決起したとき、すでに41歳。 アゴとホオに立派な髭を生やした、190センチ超の巨人だった。さすがに武将ではないから痩せていたんだろうけど。この身長からすると、面長でアゴが四角く張っていたんじゃないかな。 こんな大男にビンタされたら、気絶しそうだね笑   県丞の王度が、黄巾になびいて倉庫を焼き払った。官吏も県民も、東方に逃げた。王度は、東阿の城を守ることをせず、西方2キロに駐屯していた。 それを偵察した程昱は、県内豪族の薛房に言った。 「王度め、城郭を守らないのは、兵力不足だからだ。財物を掠め取るのが叛乱の目的で、鎧や鉾で攻防するような、マジモノの戦さをやる気はないぞ。城のどこかに、県令が監禁されているはずだ。城に入り、県令を探し出して一緒に守れば、王度に勝てる。城は頑丈だし、穀物の蓄えもある」   黄巾の乱は、中原の民にとって、初めての戦争だ。 それまでは、いくら政治が腐敗していも、とりあえずは泰平だった。王度という人も、きっと基礎的な兵法を踏まえた戦い方なんて、知らなかったんだろう。 知識ある程昱には、勝機があった。   逃げた民の方も、恐慌をきたして、何の見通しもなく、東に避難している。防戦には人数があった方がいい。薛房が「城に戻って、王度と戦おう」と言っても、聞こうとしない。「賊は西にいる。だからワシらには東しかない」なんて、ビジョンゼロのことを言っている。 程昱は「馬鹿な県民と、正面から相談しても、しょうがない」と言って、こっそり数騎を東の山上に登らせ、「賊が来てるぞ!」と叫び、城に駆けさせた。民は怖いもんだから、何も分からずに、騎兵の後を着いて、城に戻った。パニックを利用したんだね。 まるで、羊飼いのようですが、他人の心を利用した汚い策謀を巡らす『演義』程昱像は、このあたりから生まれたのかも知れません。   ■東阿の主導権争い 影の薄い県令は、きっと中央から寄越されたんでしょう。 そして、県丞の王度、程昱と組んだ薛房、そして薛房が協力相手として認めている程昱は、3人とも在地の有力者なのでしょう。 乱世の到来をきっかけに、王度は豪族の中で1つ頭を抜けようとして、薛房と程昱に片付けられた。そういう構図なんじゃないかと思います。   程昱は県令を探し当てて、城を守備した。王度は城に戻って攻撃してきたが、ビクともせず。王度が去ろうとしたところを、城門を開けて追撃した。 追撃までしたんだから、親方の単なる暴発ではなくて、対等な政敵同士の争いと判断できると、ぼくは思います。
  ■劉岱を無視る 190年ごろ、兗州刺史の劉岱は、袁紹・公孫瓉と手を組んでいた。袁紹は妻子を劉岱に預けた。公孫瓉は、笵方に騎兵を率いさせ、劉岱を助けていた。というか、公孫瓉は、劉岱の身中に笵方を送り込んで、操ろうとしていたんだろう。 袁紹が妻子を他人に預けるなんて、意外だね。冀州への定着がまだ心もとなく、周囲の協力で辛うじて成り立っていたんだろう。   袁紹と公孫瓉が決裂すると、公孫瓉は笵方を戻し、劉岱を脅した。「袁紹の妻子を寄越せ。もしオレに従わないなら、袁紹の次は劉岱を滅ぼす」と。 瓉と紹はお隣さん同士だから、利害が対立するのは時間の問題で。公孫瓉は袁紹と対抗するために、袁術と結んだ。 公孫瓉はこのとき、調子付いていたんだね。まあ毎度のことで、公孫瓉は人の協力を引き出すのが下手なんです。脅したり見捨てたり、人と接するにおいて、ムチしか持っていない笑   決められない劉岱たち。別駕の王彧が「程昱は策謀があり、大事を定める奴です。アドバイスをもらいましょう」と言い出した。 これより先に、程昱は劉岱の召し出しを拒んでる。まあ、袁紹と公孫瓉の衝突に際して、何も決められないような劉岱を、程昱はますます見限っていくだろうが。 程昱は言った。 「袁紹は近く、公孫瓉は遠い。公孫瓉と組むというのは、目の前で子供が溺れているのに、越の人を呼びに行って助けてもらおうというのと同じです」つまり、緊急時に間に合わないということだね。 「公孫瓉は袁紹軍にさっき勝ちましたが、けっきょくは袁紹が勝つでしょう。目先だけで将来の計画を立てようとすると、劉岱さんは失敗しますよ」   笵方は「覚えてろよ」と恫喝して言ったが、ほどなく袁紹は公孫瓉を破った。これって、界橋ノ戦のことかなあ? 劉岱は「ありがとう、程昱を騎都尉に推挙するよ」と言ったが、程昱はまた断った。   ■なぜ袁紹を薦めたか? まだこのとき程昱の頭には、東阿県を治められる、具体的な人の名前はないと思う。 劉岱は皇族で、親族は立派なのだが、董卓戦で橋瑁殺害をやってる。仲間割れを起こす上に、決断力がないなんて論外だ。冀州の南北で競っている袁紹と公孫瓉のどっちがマシか?という選択肢しかない。 公孫瓉は、きっと傍若無人な笵方を兗州に潜り込ませ、兗州を思いどおりに運ぼうとしていた。まあ、領土拡大という行為すら、人々には数百年ぶりだ。ノウハウは、書物にしか残ってない。だから、公孫瓉の手法が拙くても、彼だけを責められないよね。 程昱から見たら落第だったんだけれども。   袁紹は血筋からして安定志向だろうし、劉虞の推戴とかで秩序回復を狙っているようだから、暫定的に兗州を属させておくのもありじゃないか。 程昱は、その程度で、劉岱に袁紹を薦めたんだろう。
  次回、曹操が兗州に入ります。
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