■兗州刺史、曹操。
青州の黄巾が、兗州に流れてきた。
鮑信が籠城を主張したが、劉岱は攻めて討死。がーん。192年。
曹操が兗州刺史として登場し、自分の知行を得る。
この人事をやったのは、袁紹だろうね。曹操は、徐栄と私兵で決戦して、散々に打ち砕かれた。いじけた曹操を飼っていたんだが、能力がありそうなのは袁紹も分かっていることで。活躍の場を与えるために、機会を待っていたんだ。
折りしも兗州は、黄巾の侵入と公孫瓉との軋轢という、とても采配が難しいお土地柄。曹操を試すには絶好だし、これで敗死するようなら、それまでだ。値踏みする意味で、高めの目標を与えてみた、という感じだろう。
■泰山の夢
程昱は、若い頃から、泰山で太陽を両手で奉げ持つ夢を、よく見た。『魏書』では、若いころに見たとだけ書いてあるが、少しふくらませて、手を加えてみよう笑
理想を描く青年の頃は、太陽の夢をよく見たが、25を越えたくらいから、さっぱりこの夢を見なくなった。党錮ノ禁やら異民族侵入やらで、世は荒れて、救いようがないと思われた。
かつての青年は、諦めてしまった。
49歳のとき、劉岱が死に、混乱を治めるために州の役所に来ていた。多忙を極め、疲労し、朝寝坊した。すると、久しぶりにこの夢を見た。
表通りが騒がしいので、目を覚まし、戸を空けた。ちょうど目の前を、新しい刺史が馬上で通り過ぎるところだった。曹操は朝日を背にして、輝いていた。
程昱は長身だから、曹操が見止めた。曹操の取り巻きが、程昱が有力豪族の一員であることを、耳打ちした。曹操は、一目見て、程昱を彼を口説こうと決めたんだろう。
曹操「オレが曹刺史だ。キミは何というのか」
程昱「程立だ」
曹操「黄巾は、オレが破る。兗州は、オレが鎮める」
程昱「日を奉げ持つ夢を、久しぶりに見た。好き日に、あんたが現れた」
曹操「オレに従え」
程昱「宜しい」
曹操「キミは、正夢を忘れてはいけない。程昱と名乗れ」
程昱「宜しい」
曹操「程昱よ、オレを支えよ」
程昱「御意」
郷里の人は、程昱に言った。「どうして劉岱には従わなかったのに、曹操に従うのか。先と今で、なんと矛盾することか」と言ったが、程昱は笑って取り合わなかったという。
太陽の夢は、青臭い素志に密接に関連した、心の最も柔らかい部分なんだ。そこを刺激されて、程昱が拒むはずがない。天の意志を感じてしまったんだろうね。信じてしまったんだ。
■張邈と呂布の離反
曹操が徐州に行っているうちに、兗州は3城を残すのみになった。荀彧は、程昱に言った。
「陳宮が来たとき、3城に結束がないと、動揺が抑えられない。程昱さんは民に人望がある。程昱さんが帰って説得をすれば、だいたい大丈夫だ」
このあたりから、外から乗り込んできた曹操たちが、在地の有力者である程昱を頼り、結びついていたことが分かりますね。
笵県令の靳允を、程昱は説得した。
「呂布が、君の母弟妻子を捕えているらしいな。孝子としては、居た堪れないだろう。だが知恵者なら、天下の動乱を治める人物を見極めなければならない。呂布は粗雑で剛情無礼、陳宮は成り行きで一緒にいるだけだ。曹操は不世出の知略を持ち、天の下された人物だ。忠節を誤り(呂布や陳宮を味方して)母子ともに滅亡するのと、田単(燕から斉を固守した)の功績を挙げるのと、どっちがいいか」
めちゃめちゃな2択を突きつけているじゃないか!
議論をするとき、曹操が素晴らしいことは前提になっているし、靳允の母を見捨てることも前提になっている。さすが、人と折り合わない程昱さんです。大事は成せるが、嫌われそう。
しかし、190センチ以上の大男が、目を吊り上げて大声で、卓を砕かんばかりに説得してこれば、涙を流して「曹刺史に二心を抱くことはしません」と答えるしかなかっただろう。
靳允は、陳宮が説得に寄越していた笵嶷をだまして呼び寄せ、刺し殺した。
このことを、徐衆『三国評』で批判し、曹操は靳允を母のところに返すべきだったと言っている。裴松之の注にあることなんだけど。
『演義』で程昱が、徐庶の母の筆を真似て、投降を誘う。「兗州危機のとき、靳允が真っ青だった。母を人質に取られるのは、すごくしんどいのだと知った。だから、徐庶を騙すアイディアも出せた」というストーリも成り立つよね。まあ、虚構の上に話を積み上げてますが笑
程昱の故郷である東阿は、陳宮が攻めた。
まず別隊に倉亭の渡しを断ち切らせた(舟を全壊させたのか)ので、陳宮は渡れなかった。東阿県令の棗祗は防御を固め、兗州従事の薛悌は程昱と相談して、曹操の帰りを待った。
黄巾の乱のときに程昱と協力したのが、豪族の薛房だった。薛姓が、東阿で力を持っていて、程昱と近かったのかも知れないね。
帰ってきた曹操は、程昱の手を取って言った。
「君の力がなければ、オレは帰る場所がなかった」
程昱は東平ノ相として、笵に駐屯した。良かったね。
■曹操の弱気
呂布と戦って濮陽で破れ、曹操は蝗害で撤退した。
袁紹は、曹操に兗州を任せておいたものの、どうも経過が思わしくないと思った。曹操だって、自分が兗州刺史にしてもらえた理由を分かっている。袁紹から「曹操よ、家族を鄴に移さないか。キミが呂布に勝てなかったのは残念だけど、頑張りは評価している。再出発しないか」みたいな内容の通達が来たのかも。
程昱「ひそかに聞きましたが、袁紹に家族を預けるとか。そんな話が本当にありますか」
曹操「そうだ。兗州は危うく、兵糧は尽きた」
程昱「斉の田横は諸侯を称したのに、劉邦が天下を取ると、囚われました。このときの田横は平然としておれたでしょうか」
曹操「男子最大の恥辱だっただろう」
程昱「田横は一壮士に過ぎないのに、劉邦の下に付くことを恥じました。私がバカだからでしょうが、曹刺史の望みが、田横よりちっぽけに見えます。あなたは聡明で勇武をお持ちなのに、袁紹なんかの下風に立っても平気なんですね。曹刺史のために、私はひそかに恥じます」
うまくまとめられないんだが、、
程昱が言うには、「劉邦>袁紹」で、「曹操>田横」だ。田横のような小さな男が、劉邦のような大きな男に屈しても、恥じていた。まして、曹操のような大きな男が、袁紹のような小さな男に屈したなら、その恥は田横のときの数百倍でしょうね!ということ。
徴発気味に、励ましたんだね。
程昱「こちらには、曹孟徳と荀文若と程仲徳がいます。兗州の3城は、こちらの味方です。覇王の事業は、きっと成就できるでしょう」
曹操「わかった。袁紹は頼らん」
程昱が東阿で人肉を拾い、3日分の兵糧を集めたのは、どこにも書いてないが、このときだろう。曹操を心理からも物資からも励ますために、ちょっと無理をしたんだ。
『世語』は、「程昱が人の乾肉なんて集めるから、人望を失い、公になれなかったんだ」と言っているが、それは当たらないだろう。
このときの人肉がなければ曹操は潰れていた。公どころか、侯にすら、登れていなかったのが実際なんだ。
程昱は80歳まで生きているから「夭折」なんかじゃないし、赤壁の後くらいに引退しているから、政治的な位に執着していたとも思えない。
次回最終回、曹操が安定勢力に育ちます。