■三国志キャラ伝>「真・三國無双」やり過ぎ注意、韋曜伝(2)
■『呉書』プロジェクト開始! せっかくゲームについて熱く語ったのに、孫和は皇太子から廃された。二宮の変ですね。韋曜は、黄門侍郎。 2世皇帝の孫亮が即位し、諸葛恪が政治を牛耳った。 諸葛恪は「韋曜さんを太史令にして、歴史書を作らせよう」と命じた。 「本当はボクが書いたほうが上手なんだけど、なにせ多忙なんだ」とか、諸葛恪は余計なことを言ったに違いない笑   華覈・薛瑩も手伝って『呉書』を作り始めた。   3世の孫休が即位すると、孫休は「韋曜に講義をさせて、彼から学びたい」と言ったが、張布がブロックをした。張布は、孫休の寵愛をかさに着て、だらしなかった。韋曜が出てきて「張布さん、あきまへん」と指摘されることを怖れたという。自覚があるなら、改めろよ笑 韋曜は、儒者として頭がカチカチだったんだね。ということは、『博奕論』を書いたときも、本当に本当に真剣だったんだろう。   4世の孫皓が即位したとき、「実務はしない」という約束で侍中になり、左国史として『呉書』を作り続けた。専任だったんですね。   ■孫皓との決裂 ワガママな孫皓が「いいこと無いかなー」と言うから、呉のあちこちで、祥瑞が起きた笑 韋曜のコメントとしては「これらの瑞兆は、そこらの家の倉庫から生まれたものです」と冷たく突き放した。書物を参考にでっち上げられたと、喝破してしまった。孫皓は、グヌヌヌと言ったに違いない。   孫皓と韋曜を決定的に別ったのは、「孫和本紀」作成を断ったこと。 孫皓「皇帝であるオレの父を、『呉書』で皇帝として扱え」 韋曜「偽りは書けません」 孫皓「オレは父を敬っているんだ。また父は、あらぬ迫害を受けて非業の死を遂げた。名誉回復をすることが、オレの役目だと自認している」 韋曜「正史の構成には、関係ないことです」 孫皓「皇帝の言うことが聞けないか」 韋曜「私は、史家の道徳に従う人間です」   大してヒートアップした議論には、ならなかっただろう。 韋曜は、ダメなことはダメ、とスパッと切る人間だから。よく言えば倫理観が高いが、悪く言えば、人の気持ちを汲まないんだ。韋曜の頭の中には、人情なんて文字はない。感情など、立志を惑わすだけの、邪魔物だ。代わりに、うなりをあげる汗牛充棟の竹簡がある。それのみに従う。   まあ話が長引くとしたら、韋曜が故事を引いて、いかに「孫和本紀」を立てることが不適切かを、述べ立てたときだけだ。 孫皓の怒りのボルテージは、上がるだけなんだ。   かつて韋曜は、孫皓の父・孫和が皇太子だったとき、仕えていた。あのゲームの話をした相手が、孫和だ。 孫皓は「韋曜なら、父の長所も無念も、よく理解してくれるはずだ。ちょっとくらい配慮して、皇帝扱いしてくれるに違いない」という期待があったのかも。ひょっとすると、子供の孫皓は、屋敷に出入りしていた韋曜のことを覚えていたかも知れない。 その肉親の情を踏み躙られたのだから、孫皓はキレるしかない。孫皓にしてみたら「裏切り」に映ったとしても不自然じゃない。   ■孫皓の確信 韋曜は馬鹿じゃないので、孫皓との関係がヤバいことを勘付いている。   「陛下、私は老齢で、身体も弱りました。侍中と左国史を辞退して、『呉書』プロジェクトからも外して頂きたいと思います。後進に委ねます。個人で作っている書物を完成させてから、死にたいのです」と、韋曜。 「許さない。医薬と看護なら、いくらでも送る。韋曜には、仕事を続けてほしい」と、孫皓。   これだけを読むと、孫皓が韋曜を敬っているように思える。だが、違うんだ。 「父と親しんだ韋曜なら、いつか心を入れ替えて、孫和本紀を書いてくれるはずだ」と思っている。もし韋曜が退いてしまうと、孫和について詳しい人物が減り、本紀が立てられる可能性が減る。 韋曜にしてみれば、何年経とうが変節する気などないが、孫皓は韋曜の「更正」を確信している。何でも自分の思いどおりにしてきた男だから。現在の韋曜は「おかしい」状態でしかなくて、いつか本来あるべき姿に戻り、孫和本紀を書かせてくれ、と額をこすり付けるはずなんだ。
  ■書き足りないこと 陳寿とか韋曜とか、歴史の本を作った人の生き方・考え方に、ぼくはすごく興味があります。 陳寿が『呉書』をパクって作った『三国志』では、韋曜は最後から2人目に列伝がある。いかにも「元ネタに載ってないから、追加した」という雰囲気で、苦笑いをしてしまいます。 ※韋曜は自分の本に列伝を立てるほど、自意識過剰じゃない。   「韋曜伝」は珍しくて、裴松之の注が少ない。1つしかない。 たった1つの裴注とは、すでに書いた「司馬昭に遠慮して、名前表記を変えたのでは」という指摘だけ。それ以外の、肉声が伝わるようなエピソードが書いていない。 陳寿の記述だけじゃ、やっぱり簡潔すぎて、どうも韋曜が分からん。単なる杓子定規の儒者!というだけじゃ、あまりにつまらん。   今後は、陳寿のことを『晋書』で勉強して、陳寿が「同業者」の韋曜をどう捉えていたかを想像したいね。そして、韋曜像を再び描いてみたい。
  次回、韋曜が捕えられ、獄中で吼えます。 韋曜と孫皓の遣り取りを見てると『蒼天航路』の華佗と曹操を思い出しました。牢獄に繋がれながら、背筋を伸ばして直言する老文化人です。
トップ>「真・三國無双」やり過ぎ注意、韋曜伝(2) (3)へ