■三国志キャラ伝>君主が重宝する、怒りの太守。賈逵伝(2)
■獄は慣れている 晩年の曹操が、呉を討とうとした。しかし、呉方面は長雨で、みなが倦んだ。 曹操は「遠征の準備をしているものの、まだどこを攻めるか決めたわけじゃない。相手が、呉とも限らんぞ(苦しい言い訳)。反対を口にするヤツがいたら、死刑だ」なんて、横車を押した。   しかし、理不尽や曖昧には目ざといのは、賈逵さんの常。賈逵は「お辞めなさい」と起草し、主簿仲間にサインをさせて提出した。 曹操は「約束どおり、死刑!」と言った。賈逵たちは逮捕され、曹操は「誰が言い出したことか」と詰めた。賈逵は「発案者は、私です」と開き直り、走って自ら獄に入った。郭援のおかげで、監禁は慣れている笑   ■獄吏の受難 曹操を諌めた罪で、逮捕された賈逵。彼がやって来ると、獄吏は賈逵にビビり、ゴクリと生唾を飲んだ。 賈逵「早くオレに、枷を付けろ。さもなくば曹操様は、オレを疑う。さあ」 獄吏「し、しかしですね」 賈逵「オレは高官で、権力を持っている。お前のような獄吏を、不正に手なずけるぐらい、たやすい」 獄吏「は、はあ」 賈逵「オレが縛られていなければ、曹操様は思うだろう。賈逵は獄吏を買収したから、贔屓されているのだ、と。オレ様は、お前が躊躇したせいで、あらぬ疑いをかけられる」 獄吏「…」 賈逵「いまに曹操様は、様子見のために人を寄越すぞ。さあ、分かったら早くオレを縛れ、拘束しろ、くそ馬鹿」 すごい自意識だ。   小さな邑を治めていたときも同じだが、賈逵は自分の職位に誇りを持つ人間だ。権力を鼻にかける人間だ。 こういうヤツが、やはり君主にはとても使いやすい。位さえ与えれば、勝手に働く。「世の太守が、誰も彼も賈逵のようであったらなあ」とは、至言だ。小気味よく、皮肉も効いている笑   曹操は家人を遣って、賈逵が縛られていることを確認した。曹操は賈逵を許した。このあたりは、臣も君も同様に厭らしい。
  ■曹彰を怒鳴りつける! 賈逵は、曹操の葬儀を取り仕切った。 匹夫の勇で名高い(笑)の曹彰が長安から駆けつけ、「先王の璽綬はどこか」と賈逵に聞いた。賈逵は怒り、「曹丕様は鄴におわします。魏王の璽綬の在り処など、曹彰様が質問すべきことじゃありません」と言った。 これは『演義』にも取り上げられた、賈逵の生涯で、一番有名なシーンじゃないかなあ。曹彰のいびられ人生は、この怒声でスタートする。。   有名な「曹操が死ぬと、青州兵は太鼓を鳴らして、帰っていった」という話は、賈逵伝の所注『魏略』です。 このとき賈逵は「曹丕様は、まだ即位されていない。混乱を避けるため、青州兵は追わず、彼らには道中で官米を支給せよ」と采配した。きっと、騒いでる周囲を怒鳴っただけだろうが、見事な判断でございます。 このとき賈逵は、47歳でした。   ■賈豫州のタイムカード 曹丕が王位に就くと、賈逵は鄴ノ令となり、1ヶ月して魏郡太守に。 鄴は袁紹の根拠地で、曹操後期の都。魏郡は鄴を含み、言うまでもなく、魏帝国の名前の由来になった場所。 曹丕が、いかに賈逵を地方官として重宝していたかが分かる。不正は許さず、上下かまわず怒鳴り散らす。プライドの拠り所が職位だからね。   曹丕は賈逵を讃えて、丞相ノ主簿祭酒にした。 賈逵は曹丕に従って、黎陽の津まで来た。渡河のとき、列が乱れたので、賈逵は斬り捨てた。譙まできて、豫州刺史になった。 賈逵は「地方行政は、ゆるゆるで腐っています。天下が、このままで良いワケがないですよ。もっと縛りましょう」と進言し、豫州で仕事に甘い者を捕まえて、免職にした。曹丕はもちろん喜んだ笑   賈逵は、時間厳守の人だった。公的な任務で、集合時間に遅れた人があると、厳しく咎めた。 賈逵が魏郡に着任したとき、官吏たちが門前に時間ピッタリに勢ぞろいして挨拶した。賈逵は「どこの役所も、こんな感じだったら良いな」と言った。逆に豫州では、休暇をとっていた役人が、賈逵が着任してから、数ヵ月後に出仕してきた。首になった。。 「悠久の黄河がたゆたい~」なんて三国志の世界をイメージするが、賈逵みたいに現代人顔負けの徹底管理をしたがる人もいたんだね。こういう「オレが早く来ているんだから、お前たちも早く来い」というわがままな人は、窮屈だよ。でも、君主には好かれるんだろうなあ。   いわゆる「忠」とは違う、使いやすさだ笑
  次回最終回、賈逵が曹休を助けます。 死んでからも怒り続け、司馬懿を呪い殺します笑
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