■三国志キャラ伝>病欠で冴えわたる頭脳。郭淮伝(1)
「今日は体調が悪いので、会社を休みます」   なんて朝一に、暗い声で電話することがあるけど、けっこう仮病だったりするんだよね笑 まあ、確かに健康状態は100%というわけじゃないけれど、かと言って、自宅のベッドから立ち上がれないというほど酷くはない。少し眠いとか、どことなくダルいとか、やや気分が塞ぐとか、そういう程度のものなんだ。   病欠したときは、もちろん健康だから、好き放題に遊べる。時計を見つつ、会社で働いている人たちの絵が浮かぶから、ますます優越から悦に入っちゃって、リフレッシュできる。 翌日、かなり元気で仕事も好調なんだが、それはあまりアピールできない。あくまで「病み上がりです」というオーラを放って、控えめに過ごすんだ。せっかく頭が冴えてるのに、惜しいなあ、と思う。
  ■曹丕からの逃亡 郭淮、字は伯済、太原郡陽曲県の人。太原と言えば、并州だよ。建安年間に孝廉にあげられ、平原府の丞。故郷も、初めての任官も、北方の異民族対応が必要な場所でした。これが、後々の氐や羌との絡みに生かされると、短絡的に考えたくなってしまう笑   211年、五官将になった曹丕の下に、郭淮がつく。 ちょうどこの頃、曹丕は正式に、曹操の後継としての立場を固めたとされるね。曹植とのドロドロした争いが、軽く決着したことになる。 きっと郭淮は、鄴に呼ばれたとき、曹丕の冷酷そのものの性格を見聞きしたんだろう。曹丕さんは非情なんだよ、とか、手段を選らばずに何でもやるよ、とか、ドSだよ、とか。   郭淮は田舎モノだからね、都会的な騙しあいに面食らったんでしょう。曹丕から逃げるように、夏侯淵の司馬として漢中に従ったのが、戦場デビュー。 『蒼天航路』では、郭淮はこのとき初登場。小石を算盤の珠代わりにして、行軍距離や会戦場所を計算し、夏侯淵に伝えている。夏侯淵は「三日で五百里、六日で千里」という「疾い」武将だったので、それを引き立てるための演出なんだろうね。 でも、疑問だね。「三日で五百里、五日で千里」だったら、こうやって対句にする価値がある。でも「六日で千里」って、速度としては当たり前じゃん。むしろ夏侯淵の、スタミナを強調してるのか?「4日目~6日目の後半戦も、スタート直後と同じパフォーマンスですよ」という。   ■1回目の「病欠」 この夏侯淵は、ご存知のとおり、劉備に討たれてしまう。 曹操の義兄弟の最後に、司馬の郭淮は何をしていたかと言うと…   病気のため、出陣せず。 いいのか、これで。   夏侯淵の死の翌日。 劉備が、漢水を渡って攻めんとしたとき、郭淮は諸将の提案を退けた。 「オレら漢中組は、ピンチなのです。あなたたちは、漢水沿いに、陣を布けという。水際で、ギリギリ踏ん張ろうという構えですね。でも、ちょっと冷静になりませんか。弱い側が、弱そうな陣を組んで、弱く見せかける。これって、策略でも何でもない。マンマじゃないですか笑」 郭淮は、代替案を出した。 「漢水から退いて、後方に陣取る。劉備たちの半数が渡り終えたら、そこを撃ちましょう」まあ、孫子に書いてあること、そのまんまなんですけどね、これが曹洪(奏功)した。 劉備はリスクを選択せず、漢水を渡ってこなかった。 巧みに張郃を軍主に押し上げ、漢中を収拾した。郭淮の采配は見事。   でも、すごく怪しいんじゃないか。 本当に病気なら、夏侯淵が死んだ翌日に、さっさと名副官ぶりを発揮できるだろうか。かなあり、疑問です。 きっと、夏侯淵の最期の出陣を前に、郭淮は思ったんだ。 「なんかヤバそうだな、イヤな予感がするなあ。そう言えば、身体のどっかが悪い気がしてきたぞ。休んじゃえ」という、賢さを(よくも悪くも)発揮したんだろう。 「ダルいと思ったら、ますますダルいぞ」という、自己暗示が発動して笑
  次回は、また郭淮が「病気」になります。
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