■三国志キャラ伝>孔明より功名を志す死将!姜維伝(1)
■姜維の正体は、死士の将 タイトルの「死将」というのは造語です。 「死士」という言葉がある。目的のために命を捨てた者。危険よりも、目的が達せられないことを怖れる者。そんな感じかな。刺客なんて、その最たるもの。姜維を魅力的にたっぷり描いた作品だと柴田錬三郎『英雄』です。姜維は釣りをしている諸葛亮の刺客として登場した。そこはイメージ通り! 姜維は、死士を率いる思想と器量を持つから「死将」です。   「姜維伝」の注で『傅子』に言う。姜維は功名を樹立することを好む人物で、ひそかに決死の士を養い、庶民の生業には携わらなかった。これを読んだとき、びっくりした。姜維の人柄を言い当ててしまった。ぼくが付け足すことなんてあるのか笑 『傅子』が言っているのは、姜維の少年時代だ。ちくま訳に「庶民の生業には携わらず」とあるが、原典は「不修布衣之業」だ。文字通り読めば「お洗濯もできず」かな。きっと布衣之業は慣用句で、ぼくのは誤訳です。でも感じが伝わるじゃん笑 少年の性質は、60歳になっても同じだったんじゃないか。戦争にかまけて、身を調える根本=国土も臣民も蔑ろにしちゃうんだから。   姜維は諸葛亮の後継者と言われる。諸葛亮なき後の蜀漢を背負い、劉備の悲願を達成しようとしたイメージがある。『演義』でそう描かれているし、正史もそう読める。 『涼西戦記』さん(リンク集参照)が「姜維の権力確立過程」で「無双の魏延と演義の呂布を足して割ったような人物」と書かれていましたが、共感します。ぼくもそんなイメージです。 孔明の遺志よりも、功名を重んじた。第二の孔明になりたくもない。だから、タイトルは韻を踏ませてあんな感じにした。
  ■諸葛亮の打算 よく知られているから、さらっと書く。姜維が諸葛亮に帰順したことに『演義』のような心温まる理由はない。なりゆきだ。 姜維は涼州天水郡冀県の人。ここは魏の西の外れだ。彼の父が羌族との戦いで早く死んでいるように、扱いにくい辺境の地。分断されれば、魏から離反しやすいフロンティア。 姜維は生まれた冀県の中郎として軍事に参与した。※所属勢力は魏。   228年、天水太守・馬遵の巡察に随行していた。諸葛亮が祁山に向かった。第一次北伐だ。本伝と『魏略』を合わせて、経過を見る。 馬遵は蜀の侵攻を聞き、天水を放棄した。姜維は「逃げちゃダメ」と言ったが、馬遵は無視。姜維の異心を疑い、夜半に単身逃亡した。姜維は上官に捨てられ、諸葛亮に帰順した。   なぜ馬遵は逃げたか。 涼州の治安はとても不安定だから。西に行くほど危ない。 これでいい。『魏略』で馬遵は、雍州刺史・郭淮に随行してたことになってる。郭淮といえば、大物だよ。その郭淮が「こりゃ無理っぽい!」と言ったのだから、逃げた馬遵に責任はない。 姜維が戻るべきだと言ったのは、天水郡の政庁がある冀県。西方にある冀県は危険。上官の制止を振り切ってまで死にに行く理由は、馬遵にはない。 オレに死を勧める姜維には異心あり!となる。   姜維が逃げるなと言った理由は3つ。 (1)太守たる者は、敵の侵攻は食い止めるべし。正論ではある。 (2)大好きな死地が、オラを呼んでいる。 (3)お母さんを助けに行かなくちゃ。+地盤は大切だ。 姜維にしてみれば「臆病」な馬遵が「逃げ」た。姜維は冀県に戻った。 冀県は混乱していたんだろう。本伝は姜維をブロックしたというし、『魏略』は姜維の帰還を喜び、諸葛亮と会う役目を押し付けたとある。したたかだ。ぼくが思うに、姜維が民衆を取りまとめ、諸葛亮との交渉に行ったというくらいだろう。 当時の戦果で重要なのは、人口の獲得である。マンパワーを持った国が勝つのだ。曹操は、長江下流や漢中の民を強制移住させている。劉備は荊州の民を連れ出した。諸葛亮だって、人口が欲しくて仕方がない。だから姜維を喜んで迎えた。姜維自身が云々というより、県単位で人口を手に入れたのが嬉しかったのだ。と思う。要は、打算だ。  諸葛亮は千余軒の住民を拉致ったが、馬謖のせいで早々に退散。姜維の母は取り残され、魏の人質収容所へ。   ■姜維の心を考える 第一次北伐の中での出来事だから、姜維の意思で運命を切り開いたということはないだろう。その場その場で一生懸命やった、というくらいか。 姜維の行動基準は、血の匂い。 徹底抗戦をしない馬遵のもとを去ったことに、後腐れはない。むしろ逆心を勘繰られたんだから、尽くす義理はない。諸葛亮は戦争をしようとしているから、好き。面白そうな所に流れ着けたな、くらいの気持ちだろう。 気になるのは、姜維が故郷で養った、死士たち。おそらく魏から蜀への投降にも従ったんじゃないか。姜維がまずは故郷に帰った目的は、死士たちとの合流かも知れない。家にデスノートが置いてきちゃったから、車の中じゃ殺せない、分かるだろ、みたいな笑   母と離れたが、まあ、しゃあない笑 後世は姜維の孝についてあれこれ言うけど、本人の中では優先順位が低かったのではないか。そりゃ母への愛着はあるだろうけど、何しろ状況が状況なんだ。 『雑記』に言う。母からの手紙を、蜀で受け取った姜維。母は、家に帰れと言う。姜維の返信がすごい。「こっちで厚遇されてるから、実家の財産とか興味ない。ひたすら将来の希望を追うものは、故郷に帰る気持ちは持たないものである」と。 敵の計略(優秀な人材を蜀から引き抜く)の手紙と判断して、こんな風に返したのかも知れない。でも、思ってもいないことは書けないものだよ。姜維の本心が、ぼくには含まれてるように思える。※真似したらダメだね
  ■馬謖の代わり 姜維を迎えた諸葛亮は、最大級の可愛がり方をした。 「仕事を忠実に勤め、思慮精密だ。李邵・馬良の才能も姜維には及ばない」 「涼州における最高の人物である」 「軍事にはなはだ敏達し、度胸があり、兵士の心を深く理解する」 すごい褒め方だね。 よく物語で言われるけど、馬謖を失った後の心理的な穴埋めもあったんじゃないかな。義兄弟とされる馬良の弟で、息子のように可愛がった馬謖を斬った。街亭での敗戦、第一次北伐を失敗させた罪で。   失恋した。絶望した。そこに、良さげな人が現れた。これは運命か。次の恋こそは、今までで最高のものにするぞ。そう思うと、新しい恋に気合がどんどん入っていく。そういう心境かな笑 そして盲目になって見誤る。 「姜維は漢室に心を寄せている」 「軍事の教練が終わったら、宮中に参内させ、陛下にも会わせたい」 おおっと!姜維くんはそんなんじゃないぞ。諸葛亮先生、気をつけてね。 好きなのは、戦闘。きちんとマニュアル読んで下さいよ。   ■姜維の関心事 姜維が漢室に心を寄せている「ふり」をしていた可能性は高い。 漢室復興が、蜀が軍事行動を起こす根拠だからだ。これに同調したように見せることで、信頼を得て出世する。大きな軍を動かせる。 素の姜維は、漢室をどう思っていたか。おそらく何とも思っていない。漢なんて、好きでも嫌いでもない。 姜維の生まれ育った涼州は辺境だ。世が乱れて長い。異民族との関わりが深い。漢の実質的な支配を、姜維は見ていない。関わりの薄い王朝が、魏に代わられようが、姜維は関知しない。 蜀漢の正統性もドーデモイーだろう。劉備は幽州の出身。涼州とは正反対の辺境出身者じゃないか。劉備が国を作ったのは、これまた正反対の益州だ。そんなエリア的に散漫な志など、追いきれない。心底同調しろという方が無理だ。まるで姜維には関係がない。 また、魏に対しても、愛着はない。敵意もない。生まれた場所が魏だった。だから仕えていた。それだけだ。魏から蜀への「寝返り」も、彼の中では大きな意味を持たないだろう。   姜維は別の目で、魏と蜀の対立を見ていたはずだ。  ○益州は独立勢力を保つのに最適の地だ。  ○益州を奪って根拠地とした劉備は、上手くやったもんだ。  彼の観察眼は、そこを捉えていたと思う。 弱小の勢力であっても、天険を活かして強大な魏と張り合える。ここに国を建てた劉備は成功者だ。野心家の先輩として見習うべき点が多い。 劉備は漢室復興という名分で幻惑?して功名を立て、皇帝を自称した。その即位を一定数の人が支持した。これは羨ましいぞ! これが後に、鍾会とにわかコンビを組めた伏線になってると思う。   次回の冒頭で、諸葛亮が死にます。お楽しみに笑
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