■三国志キャラ伝>再び貂蝉ありせば。王淩伝(3)
■曹彪の登場 王淩が挙兵するときのスローガンは、 陛下(曹芳)は若年で、天子の位を担えぬ。 楚王(曹彪)は年長で才能を備えていらっしゃるので、 即位して頂いて、許昌に都を置きたく存ずる。 ということです。 まず王淩の言い分に年齢が含まれているから、曹彪への接触を開始した249年時点の2人の年齢を見なきゃね。曹芳は父親不明で笑、このとき18歳。曹彪は曹操の息子で、55歳。曹芳は若年と言えば若年だが、もう成人しているんだけどね。   曹彪というと曹豹が頭をかすめるけど、呂布と劉備が同居してるときに張飛に殺されちゃった(能力が最低だとして)有名なおじさんとは非同一人物です。当たり前すぎて、注記するのも憚られるが。   ■曹彪の年齢のこと 諸葛亮が死んで、曹操の孫の曹叡ですら死んで、今さら曹操の息子が出てくると驚くよね。けっこう晩年の子なのか?いいえ! 曹彪が生まれた前年に、曹操は兗州を呂布に乗っ取られて滅亡しかけている。まだ駆け出しの頃じゃん。   曹操の息子のうち、天性の才能を愛された曹沖って子がいた。夭折したときに曹操が曹丕に対して「わしにとっては悲劇だが、お前にとっては吉報だね」と言ってた人。あの曹沖は、曹彪の1つ下だ。あのちょい役だった曹沖が健在だったら、司馬懿が寝技を使ってる頃にも、一家言ある皇族として王に封じられていたんだね。 曹彪は曹丕より8つ年下で、曹芳は曹植のたった3つ下でしかなくて。曹丕と曹叡が40歳くらいで死んじゃったから魏朝の皇帝は世代交代が頻繁だけど、そんなに時間は経ってないんだね。   216年、呉との国境に接する寿春侯。223年、呉王。232年、楚王。地縁的には、淮南地方でがんばっている王淩と共通点が多いよね。だんだん、舞台が整っていたよ!
  ■令孤愚の登場 曹彪を推戴しようと言い出したのは、令孤愚だ。 令孤愚って賊っぽい名前なんだが、そうでもない。王淩の姉妹の子(=甥)です。令孤が姓だね。名は元々は浚でした。すなわちレイコグじゃなくてレイコシュンだった。 曹丕のときに田豫を誤って取り締まり、「令孤浚はなんと愚かなことか」と詔勅が出されたので、令孤愚に改名しちゃった。曹丕はSだから!Sの本能を満足させるには、「愚(わたし)は」と発話するのがベストだね。   令孤愚は、司馬懿に討たれた曹爽の長吏で、兗州刺史。 曹爽と仲良しなんだから、司馬懿は政敵&仇敵。 『魏略』に曰く、東郡に「白馬河に巨大な馬が出現して、群馬が応じて鳴いた」「白馬には朱虎が乗っていた」という噂が流れた。朱虎とは、曹彪の字です。これは曹彪が即位する、ありがちな兆しだよ。 249年9月、令孤愚は張式を遣わし、曹彪に挨拶をした。「使君(王淩)をよろしく」という感じで、王淩と曹彪とのコネクション作りを始めた。曹彪もまんざらではなく「わかったよ」と。   ■令孤愚のプラン 令孤愚としては、司馬懿を除きたい。 曹芳から司馬懿を引き剥がすのは、ちょっと難しい。もし実現しようとしたら、近衛軍と淮南軍が洛陽の周辺で大激突をする。そんなことしたら、まず呉が淮南の空隙を突いて、国境を侵入してくる。姜維もまた、適当な口実を作って突っ込んでくる。 だったら、曹芳に代わる皇帝を立てて、正統性を奪い取ってしまえばいい。そうしたら、曹芳を手のひらで転がしている司馬懿は無力化される。司馬懿は、手のひらで転がしていたのが皇帝ではなくて石コロだったことに気づき、悔しがって石コロを地面に叩きつけてを吐いて死ぬ笑 すごく三国志っぽい展開だよね。期待してしまうよ!   王淩は計画のスタートに興奮して、洛陽にいる息子の王広に「やるよ!」と連絡した。そしたら王広さんは、水を差した。 裴松之は偽物だと言ってるけど『漢晋春秋』に曰く「お父上よ、天子の廃立は大問題です。めったなことを言ってはダメです。曹爽は驕慢奢侈で、人心の離れぶりは大概なものでした。司馬懿はよく抑えが利いていて、まともなもんです。司馬懿を滅ぼすのは難しいでしょうね」と。   2ヵ月後の249年11月に、令孤愚はまた張式を曹彪のところへ行かせた。お返事を待っている間に、なんと令孤愚さん、死亡。無責任!
  ■王淩の発動 『魏略』曰く、王淩は250年、星占いをする浩詳に質問した。 浩詳は王淩のギラついた目を察して、「呉に王者の勃興がありますわ」と言いたいのをボカして、「呉とか楚あたりに王者の勃興がありますわ」と言った。もし浩詳の星占いが当たっているとしたら、孫権が死んで孫亮が新しく立つということです。でも、楚まで範囲を広げることで、淮南に王者が立つという解釈も可能になるわけで。 王淩は、やるっきゃない!と決心を固めたのでした。ちなみに、孫権は251年7月に死ぬ予定になっております笑    251年春、すなわち孫権が死ぬ半年くらい前、呉が涂水を堰き止めた。 王淩は洛陽に「討伐軍を起こしたいんだけど」と申請を出したが、握りつぶされた。っていうか、王淩さんは節鉞を持っていたんじゃないのか?追加で兵を仕送りしてほしかったんだろうね。それを自分のものにして、叛乱に使うという魂胆で。お前は劉備か!と言いたい笑   このときの王淩の頭の中には、叔父の王允がいたんじゃないか。 王允は、幼弱な献帝を推戴して、暴虐に権力を振るう董卓を滅ぼした。いま司馬懿は、若い曹芳を蔑ろにして、魏を仕切っている。そういう思い上がった奴を滅ぼすのは、いつだって我ら王氏なんだYO!という。 曹爽は為政者としては落ち度があったかも知れないけれど、藩屏には変わりなくて。でもその曹爽を滅ぼした司馬懿は異姓だから、許すことはできん!となるわけです。厳密に言えば曹爽は曹操と血縁はないけどさ、まあ曹真が曹操の息子同然だったから、藩屏ということでいいじゃん笑 小説的(というか小説)ですが、王允が貂蝉を使ったように、王淩も効果抜群の秘密兵器を使いたかったはずで。しかし、養女たちの顔ぶれを見回す前に、賽は投げられてしまったのです。   ■司馬懿にバレた! 王淩は自分の将軍の楊弘を遣わして、兗州刺史の黄華に「曹芳を廃して、曹彪殿を立てようと思うんだ。一緒にどうですか」と聞いた。兗州刺史は令孤愚がやってたから、黄華は令孤愚の後任だろう。だから考えも共通しているし、手足になって動いてくれると期待した。 しかし楊弘と黄華は、司馬懿に暴露してしまった。「王淩が叛逆するつもりです。誘われましたが、天子を廃すなんて論外なので、この国の正義のためにお耳に入れます」なんて言って(適当に書いたけど)チクった。
  司馬懿VS王淩。 曹操以来、ずっと魏に仕えてきた功臣が激突。そして最終回。
トップ>三国志キャラ伝>再び貂蝉ありせば。王淩伝(3) (4)へ