「陸凱伝」では、陳寿が珍しく筆者注をつけている。
私は荊州・揚州から来た者から、しばしば「陸凱が孫皓を諌めた20項目がある」と聞かされた。旧呉の人々に真偽を確かめたが、そんなものは知らんと言われた。
文書を見れば、歯に衣を着せぬ物言いで、孫皓にそのまま見せたとは思えない。ある人は「陸凱は20項目を文箱に入れていたが、病に倒れた。孫皓が見舞いに寄越した董朝に、託したものだ」という。
「陸凱伝」には真実だけを書きたかったから、20項目を本文に載せるのは辞めた。でも、孫皓の所業をよく表しているので、附載しようと思う。
いいねえ。
ほぼ同時代人として『三国志』を編んだ陳寿の、肉声が聞こえてくる。そして、彼の史家としてのこだわりが見えてくる。
陳寿は、彼が言うように「真実だけを書く」というスタンスだから、怪しい逸話を切り捨てることはもちろん、あんまり彼の意見を書くことはしない。それぞれの巻末に軽くコメントするが、せいぜい複数人を一巻にまとめた根拠を語るだけ。編纂の迷い・苦悩なんて、決して書きたがらないんだ。
今回は、20項目を中心に読んでいきます。
■名族の名将の仕事は、諫言。
陸凱、あざなは敬風。
呉郡呉県の人で、陸遜の族子。孫皓のとき、大将軍・左丞相。
晋と和議を結んだときの使者・丁忠が「逆にいま晋を攻めれば、手に入りますよ」と言ったが、陸凱は「そんな不義理はやるな」と言った。
孫皓が視線恐怖症だというと「君臣が顔を知らぬという法はありません。不慮が起きたとき、どこに馳せ参ずべきか、分からんじゃないですか」と言った。孫皓は、陸凱に直視を許した。まあ、晋が攻めてきたリアル不慮のときは、誰も馳せ参じなかったんだが笑
国家戦略を策定するじゃなく、単に皇帝に対して諌めまくるのが、陸凱様のライフワークになってしまった。主君が無惨だと、素晴らしい人材を、諫言業に勤しませ、大切な人生を浪費させてしまう。陸凱を見てると、そんな気がします。
孫皓が武昌に遷都したとき、陸凱が諌めた。
●民を楽しませよ
有道の君主は、民衆を楽しませることを、自分の楽しみとします。
無道の君主は、自分だけを楽しませ、民を苦しませ、滅びます。
民は国家の根本なのに、陛下が贅沢をしたため、民は飢えています。
四方との戦は起きていないので、国力を蓄えることに専心すべきです。
●この国は滅ぶのが道理
カゲは、カタチのとおり変化します。カゲの動静も、カタチに倣います。
因果の法則は、絶対なのです。
秦の悪政は国を早く滅ぼし、漢の良政は国を強めました。
魏は統治を混乱させたので、晋に代わられました。
蜀は与奪の権を使いこなせず(姜維の暴走)君臣は晋の捕虜です。
民を苦しめる、この呉に用意された未来は、どんなでしょうか?
●遷都はミスだ
武昌は危険で、土地が痩せています。
江に船を浮かべても流され、陸は山がちで都市が拡大できません。
童謡曰く「建業で水を飲んで暮す方が、武昌の魚を食うよりマシだ」
「建業に戻れば死ぬことになろうと、武昌で止まるよりマシだ」
●国家じゃない
3年分の備蓄がないと、国家とは呼べないと申します。
この呉には、1年分の備蓄もありません。
地方官は威張り散らし、下らない人物が中央でのさばっているからです。
民は、資材と権力のダブルの締め付けを食らっています。
民は、淵で毒蛇と同居している亀のようです。逃げるのも当然です。
●皇帝の贅沢禁止
複雑な音階は人の耳を鈍らせ、煌びやかな技芸は人の目を鈍らせます。
音楽・技芸は、政治にデメリットばかり及ぼします。
後宮の美女・綿織の女官だけで数千人おり、生産に携わっていません。
彼女らを下げ渡し、未婚の民に与えて下さい。
●人材登用
陛下が可愛がっておられる者たちは、
官位の高さと人格が合っておらず、任務の重さが器量に合っていません。
国家を導く力がないくせに、党派争いに精を出し、賢者を押さえています。
地方長官、軍の司令官、藩鎮となった異民族首長らの再査定を。
いま用いられている何定などは、国政を傾ける代表例です。
■孫皓の反論
これだけ陸凱に言われたら(ほぼ全否定)さすがに言い返す。
側近の趙欽を遣って、口頭で陸凱に返事をした。
陳寿が「口頭」のコメントについて資料を手に入れたということは、孫皓側ではきちんと文書で推敲し、趙欽が暗記して陸凱を訪問したということかな。ウカツなことを言っても、証拠を残しても、また諫言の材料にされる。だから、こんなスタイルなんだろうか。
君臣の心が通わぬこと、かくの如し!という感じですね笑
孫皓の代役、趙欽曰く、「朕は、大皇帝で祖父の孫権様を、真似ているだけである。どこに不穏当があるのか。陸凱の諌めは、根本的に間違っているのだ。建業の宮殿は不吉だから、武昌に移るのだ。武昌の宮殿は、建物が破損しているから、修復の計画も要るのだ(浪費ではない)。陸凱は、どこに反対をするのか」
■君臣、千里ノ隔絶
まるで噛みあってない!君臣の隔たり、かくの如し!
遷都にかこつけて、陸凱は一切合財を批判した。
したんだが、孫皓はほとんどを、東から西へと受け流した。そして、遷都問題という要点だけをピックアップして、陸凱にとって検討違いなコメントだけを返した。お見事に、すれ違った。
陸凱にとって、孫皓に次に伝えるべきは、孫権と孫皓の治世の異同とか、建業と武昌の地政学的考察とか、そういう話じゃないんだ。
孫皓の回答はただ「朕は、陸凱の話なんか聞かないもん。っていうか、聞いてたまるかよ」という意味だったので、「もっとしっかり説いて、分かって頂かなければならない、分かって頂いて王朝を改善し、民を救わねばならない」という正義心が暴発したんだ。
孫皓にしてみれば、陸凱の諫言が足りないから無視したのでも、難しかったから忌避したのでもない。何を言われようがイケ好かず、並べられた言葉の数だけ、態度が硬化していくんだ。
かと言って、陸凱にすれば、このまま放置することも出来なくて、諌める以外に孫皓に改めてもらう手段が思いつかない。全身全霊をかけて、本来の皇帝のあるべき姿を説くしかない。
もう負の連鎖なんだ。
お互いにとって(特に陸凱にとって)人生の空費なんだ。でも、それが自分の、大将軍・左丞相の仕事だと思い定めているので、考え方に遊びがないんだ。退路がないんだ。
陸凱は自室で、小刻みに震えながら、半泣きになりながら、奥歯をかみ締めて、燃えたぎるハラワタと、妙に冷たい胸を抱えながら、ついに筆を執った。並べるべき言葉が頭に溢れて、断片的に口から漏れる。1つ残さず書き留めるために、急いで右手を動かす。
臣の不幸な憤りから、20項目の諫言が生まれようとしています!