■三国志キャラ伝>皇帝になるつもりのおじさん劉表伝(1)
■儒教官僚のかがみ
劉表は若いころから有名だった。慎重は8尺以上(184センチ以上)あって、容姿は立派だった。有望株の若手儒教官僚をセットにするのが流行していた。劉表は、八俊・八交(八顧)・八友に数えられた。
ちょっと前のモー娘。たちみたいに、人気があるからいくつものユニットに所属できる仕組みだろう笑
 
十七歳の劉表の逸話が『後漢書』にある。劉表の師は、同じ山陽郡出身の王暢だ。王暢は過度の倹約をした。劉表は諌めた。要約すると「倹約のし過ぎは意味ないよ」と言ってる。
劉表曰く「『論語』にあります。子曰く、奢なれば則ち不遜、倹なれば固(陋)なりと。中庸が大切です。孔子の教えの意味を理解せず、ただ切り詰めるだけでは、伯夷・叔斉と同じです。伯夷・叔斉は、諫言を聞いてもらえないからスネて山籠りし、餓死した古人ですよね。彼らの二の舞で、あっさりと世間を捨てたことになりませんか」。王暢は「倹約のために身を滅ぼした者は稀である。オレが倹約して見せることで世を正すんだ」と返した。
劉表は、飲み食いの量についてコメントしてるんじゃない。師に「もっと積極的なアクションで世直ししましょうよ」と言ってるんだと思う。でも王暢は、劉表が引いた例え話をあげつらってジョークに変えた。
劉表は志あふれる有能な若者、師匠は理屈を弄ぶスネ者に見えるね。劉表が優秀に思える。だから「劉表伝」に書いてあるんだろうが笑
 
■荊州赴任と殺しイリュージョン
荊州刺史王叡が、よく分からん新興武将・孫堅に殺された。劉表はその後任に抜擢された。董卓討伐軍が起こると、襄陽に陣を敷いた。
司馬彪『戦略』にいう。
劉表が赴任した荊州には、従わない勢力が多かった。南陽は袁術が占拠し、在地の蘇代・貝羽・張虎・陳生などが逆らってる。
 
劉表は単身馬で宜城に乗り込み、蒯良・蒯越・蔡瑁に「荊州を一元支配したいんだけど、どーしよ?」と相談した。

蒯良くんの答え「仁愛っすよ。仁愛があればみんな自然と従います」
蒯越くんの答え「乱世には、仁愛より策謀っすよ。外道を処刑すれば治まります」
劉表は、蒯良と蒯越を二人とも褒め(でも蒯越案を採用して笑)在地の豪族を五十五人、一同に呼び寄せた。蒯越の言うとおり、利をチラ付かせたんだろう。「オレが新顔の劉表です。でもキミらの実力は分かってるから、是非とも仲良くさせて頂きたい」なんて言えば、在地勢力は裏読みして、ヨダレを垂らして集まったんだと思う。
『戦略』では「斬り殺した」とのみある。でもぼくの勝手なイメージでは、トゲトゲの吊り天井を落っことして、一網打尽にドカーンという感じ。宴会場の客席がまるまるブッつぶれて、台上の劉表は大喜び!みたいな。宇都宮じゃないんだけど笑
蒯越らを単独の使者としてやり、張虎・陳生を説得して降伏させた。
 
袁術の命を受けた孫堅が、殴り込みをかけてきた。孫堅的には、荊州刺史・王叡を殺した自分が、荊州刺史だ!くらいの気持ちだったんだろう。この泥棒ネコめ。それはちょっと違うかもだけど、劉表は大苦戦した。孫堅は王叡を殺してるんだから、劉表を殺すことも充分ありそうな話。孫堅は刺史殺害に躊躇がないし、実際にそれだけの戦力がある。だがほんのアクシデントで、孫堅が死んだ。
似て汗握るような攻防戦があったけど(襄陽包囲とか)それは「孫堅伝」で盛り上がればいいこと。「劉表伝」では、たかって来た小バエを払いのけた、くらいの扱いにするのがスタイリッシュ。9行も割いちまった笑

 ■袁紹との同盟成立
孫堅が死んだのが191年7月。
半年前の正月に、袁紹は劉虞を皇帝に即けようとして断られてる。
このとき洛陽にいるのは、董卓が立てた献帝。前の少帝は董卓が殺してしまった。董卓と対立する袁紹は、献帝を正式な皇帝として認めるない。そこで、自分たちが擁立する皇帝の候補を探していたんだ。
袁紹が用意したガラスの靴を履けるのは、2つの条件を満たした男性。帝室の血縁であることと、人徳があること。前者はけっこう緩いんだ。少帝の父親の霊帝も、吹けば飛びそうな傍流から迎えられている。まあ極論、劉姓なら誰でもいいっちゃ、いい。後者も主観的な問題だから、目くじらを立てることじゃない。実力を付けつつある袁紹が「この人が皇帝です」って言って、会場から大ブーイングが起こらない範囲ならOKだ。第一候補が劉虞だったんだけど、ご本人の意向でご辞退された。他に誰かいないか。
 
そうだ、劉表を皇帝にしよう。
劉表には、劉氏の正式な系譜がある。『三国志』には書いてないけど(今気づいたよ。なぜだ?)『後漢書』に書いてある。
劉表は、魯の恭王の後裔だ。恭王は景帝の子で、名を余という。劉表は、人徳面でも申し分がない。人気ユニットに複数入ってるくらいの、清流派アイドルだからね。
袁紹にとって劉表は、単なるクラスメイトだった。でも劉虞に袖にされた途端に、みるみる恋しくなったんだ。
 
劉虞擁立失敗は、袁術のせいでもある(と袁紹は思っている)。袁紹は袁術に「劉虞がいいよね」と同意を求めた。しかし袁術は否定した。それらしい理屈を付けているが、本音は違う。「この袁術さまが皇帝になるんじゃ。中途半端に余計な皇帝を立てるなや、ボケ」だろう。これで袁紹と袁術は、決裂した。
中原は、袁氏兄弟という二大巨頭が争う体制に移行した。
袁紹は、袁術を潰したい。そのとき、遠交近攻の戦略に照らしても、劉表との同盟は適っている。袁紹の愛は、ますます深まったはずだ。
劉表を脅かした孫堅の侵入は、袁術の差し金だ。袁術が荊州に勢力を拡大しようとして、孫堅をけしかけた。(孫堅自身は認めないだろうけど)袁氏の代理戦争だったんだ。劉表の側でも、袁紹と結ぶことは理に適っている。領土保全の役に立つ。
※袁紹と袁術の対立は、当サイト内「三国志雑感」の「袁術が事件解決!怪奇190年代の謎」で詳しく書いています。
 
■ここまでのまとめ
桃園みたいな風情はないけど、決定しました!
袁紹が劉表を皇帝にする。そうすれば、董卓が立てた献帝は「普通の男の子」に戻る。関中で群れている、董卓の残存勢力を駆逐できる。袁紹は漢朝を立て直した功臣として、王朝史に名を残す。
目の前の反対勢力は、袁術だ。袁術を倒すために、南北から圧力をかける。冀州の袁紹・荊州の劉表は、共同戦線を張りましょう。
よっしゃ!できたよ。天下を治めるプラン。
 
領土が離れているから、劉表と袁紹は、一緒にお酒が飲めない。せめてスカイプでもして、志を確認し合ったに違いない。
劉表は十七歳で「もっと積極的に天下に貢献しないと」と師匠に噛み付いた男だから、袁紹との同盟が嬉しかった。将来への見通しが付いた。強力な協力者を得られた。
劉表はたびたび天子しかできない政(=祭りごと)をやらかす。お前は袁術と同じ穴のムジナか?と思うが、そうなのかも知れない。劉表は皇帝になるべき男なんだ。

 次回は、このプランの邪魔者が躍進してくれちゃいます。


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