■三国志キャラ伝>ドM仲達の長男はドS。司馬師伝(2)
■皇帝の大火傷 翌254年。正月早々、皇帝・曹芳が余計な出来心を抱いた。 皇帝は、中書令の李豊、后父で光祿大夫の張緝らに命じて、兄を除こうと企んでいるらしい。   これを知った兄。穏便にやればいいんだが、またSっ気を発揮してしまう。どうやら父がMだったので、兄はSになったらしい。よせばいいのに、舍人の王羨さんを、李豊の家までやった。 王羨「こんにちは、李中書令。お迎えに上がりました」 李豊「はて、どなたか。こんにちは」 王羨「私めは、司馬大将軍に仕える者です」 李豊「ほ、ほお(やべっ!極めつけの政敵からの使者?)」 王羨「わが主の館まで、お越し頂きたい」 李豊「はて。どのようなご用件か?(できれば避けたい!)」 王羨「お分かりでいらっしゃるはずです」 李豊「何のことやら。存ぜぬな」 王羨「お分かりでいらっしゃるはずです」 李豊「さて?」 王羨「お分かりでいらっしゃるはずです」 李豊「(ああ、ことは成らなかったか。がびん)」   ■兄の怒り 兄は李豊を悪罵して、勇士に命じて刺し殺させた。 後に、皇帝・曹髦を殺してしまった成済といい、司馬家はこのような乱暴をする頑強なロボットをたくさん飼っているようだ。大軍勢を率いるわけじゃなく、雅の洛陽で、こうした寝技に使う走狗ですね。おお怖! 兄が李豊を怒鳴りつけながら、政敵の横腹から、ずぶずぶと剣を刺し入れさせたんだ。妄想ですが笑   怒った兄は、李豊と張緝を三族皆殺しにして、「皇后を代えろ」と恫喝した。張緝の娘だったもんね。 可哀想に皇帝は「李豊らが、悪いことを勝手に企んだんだ。これを阻んでくれた司馬師は、正義の味方だ。九千戸を増すから、受け取ってくれ。論功行賞だよん」とせっついた。 兄はおそらく青筋を立てて「受け取れるか!サルめが」と言ったんだ笑 首謀者は、他の誰でもない皇帝だからね。曹操と献帝の図が浮かびますね!
  ■去り際の誅殺 まだ兄の気は収まらないらしく、皇太后に圧力をかけて「曹芳は淫行が過ぎて、皇帝に不適任だ」という詔勅を出させた。 これを見た皇帝は泣きながら「みなはどう思うか?」と聞いた。   諸臣「(名臣である)殷の伊尹・漢の霍光は、王を切り捨てて国を安定させました。魏も同じようにするのがいいと思います」 皇帝「もう朕に、挽回のチャンスはないのか?」 諸臣「救いようがありません。学問も政治も孝行もせず、性欲に走っています。青カン然り。張皇后を亡くされたときも、恚望してた(めっちゃ怒り狂ってた)じゃないですか。どれだけ女好きなんですか」 ※独断で、かなり意訳。 ちなみに、この皇帝から皇后を剥奪したのは、兄(司馬師)でしたね笑   皇帝は泣き「曹叡様から後を頼むと言われたのに、ナンテコトになってしまったんだ!」と言った。 そして、洛陽を去りつつ、重門にいた郭懷・袁信を殺した。 ちなみにこの2人は、風紀を乱す小間使いとして、弾劾文に名前が入っていた。自分のことならともかく、部下の淫乱が「皇帝不適任」の理由の1つに混ぜられてしまったので、とても腹が立ったんだろうね。 廃位という、歴史的な非常事態にあっても、忘れずに処置したんだ。こういう、曹芳の人間的なエピソードが、好き笑   ■皇太后の壁 兄は「忠誠心のない」曹芳を片付け、後釜を物色した。どっちが臣下なのか分からないよ。   兄「彭城王、曹拠様がいい。曹操様の御子で、年上で、皇室之長だ」 ちなみに曹拠とは、曹丕・曹植の異母弟。曹植同様に8回も国替えをさせられた。郡王から県王レベルに落とすという、曹丕の弟イジメを味わっている。兄に好都合な、イジメラレ慣れした、老年者なんだろう。 いじけているから逆らわないし、じきに死んでくれるはずだ笑 しかし、さすがに全てはうまくいかない。   皇太后「曹拠様では、曹叡様の1世代上だ。おかしなことになる。ここは、曹叡様の1世代下がいい。曹髦様にしましょう」 皇太后が押し切ってしまい(弟に殺される運命の)皇帝が誕生した。父のクーデターのときに名前を借りたもんだから、兄弟は皇太后には頭が上がらないのでしょう。 兄の意向が通らなかったから、弟としては面白くなく、後の凶行に繋がって行くのかも、とぼくは邪推してしまうのです。   ■頭頂部の圧力 曹髦は兄に遠慮して、また九千戸を加増を申し出た。曹芳がやりそこねた行賞ですね。入朝不趨、参拝不名、劍履上殿もOKし、相國になるように勅命があったが、兄は固辞した。 遠慮してると言うよりは、「時期が悪い」ということだろう。   曹髦としては、兄に借りを作りたくない。「司馬師が曹芳を責めたおかげで、即位できました。お返しがまだです」なんて、ゴメンなんだ。 だから、どんどん昇進させてしまいたい。そして、閑職にまで持ち上げてしまいたい。心ある人に、兄への反感を買わせて、除かせたい。 兄は、そうはさせまいと、額を床にこすりつけて謙遜する。 「いえいえ私など。天子様は上にあって輝き、私たち下々の者は、従うのみなんです」という具合だ。 冠を載せた頭頂部を見せながら、逆に皇帝にプレッシャーをかけるんだ。変な図だ。この時代、頭頂部をさらすのは恥の中の恥で、頭を見せるのも、いい気分じゃないはずだ。それなのに、兄は頭を見せびらかすんだ。ドSだ。
  次回、毌丘倹と文欽が、馬鹿なことをします。
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