■本稿の目的
マイナー級の曹真に、目鼻を付けること。
曹丕が心理的に最も親しんだ義兄弟として、キャラを色づけします。
司馬懿との目先の勲功争いも、正史に矛盾しない範囲で取り込めたらいいなあ。曹真の息子は曹爽。司馬懿のクーデターで滅びてるから、若干は伏線みたいなのが作れたらベスト。
■曹真の出自
曹真は字を子丹という。曹操の族子とされる。父は邵。
『魏略』にいう。曹真はものと姓を秦氏という。父の秦伯南(伯南は字か)は、曹操と親しかった。興平末期、袁術配下の一党が曹操を圧迫した。曹操は家を出たが、追跡された。
秦伯南は門を開いて、曹操を迎え入れた。敵が曹操の居場所を尋ねた。秦伯南は「私が曹操だ」と言って、身代わりに殺された。
おお、ええ話。
時期を確定しよう。興平は194年~195年の年号。末期というか、2年しかないやん。195年の1月に曹操は、呂布を定陶に破った。徐州虐殺に出張している内に、陳宮に兗州をぶったくられた、あの頃です。兗州奪還に、兵を返した。しかし戦果ままならず、根拠地に入れない。野営が急襲された。曹操は宿舎から、裸足で逃げ出した。いかにもタイミング的に、ありそうな話だ。
この時期の曹操は、袁紹の部将だ。袁紹と敵対する袁術に、命を狙われても自然だ。
初期の曹操は、動員兵力を持たなかった。兗州牧の地位を得るまで、私財で兵を養っていたんだ。一緒に兵集めをして、苦労を共にしたのが秦伯南だ。何かそれらしいエピソードが要るね!
■曹操と秦真の出会い
以下、想像ですが。
曹操は秦伯南の野営で、厩に押し込まれた。門前で「曹操の首級をあげたり」という兵の声が上がった。何事かと這い出してみると、首のない秦伯南が倒れているんだ。曹操は抱き起こして、死体の胸に顔をうずめて泣く。すぐ後ろに子供が立って、目の光を失っている。7歳か8歳の男子だ。
「名は?」「…真」「伯南の子息だな」その子は無言で頷いた。そこまで無表情だったが、曹操の口から父の名を聞いた途端、緊張が途切れて大泣き。曹操はその子を抱きしめて「お前はオレの子だ。オレの子だ」と言って一緒に泣くんだ。
「曹操を名乗って死んでしまった。伯南は曹操だ。伯南の子は曹操の子だ」と、秦真が痛いくらいに肩を抱くんだ。曹操が何度も「伯南、伯南」と言うものだから、父の名が出るたびに、秦真は泣き声が高くなる。波が打ち寄せるようにね。その泣き声を聞いて、さらに曹操が取り乱して友の名を呼ぶんだ。人生で最もピンチの時期だから、曹操だってかなり情緒不安定だ。
典韋あたりが、迎えに来た。真と、弟の彬と。曹操は2児を両脇に抱えて、新たに場所を変えて作った野営に戻った。
秦真は、曹姓を与えられて曹真となった。
■曹丕との出会い
194年末の曹操の息子事情。
長男の曹昂は成人している。次男の曹丕は7歳。四男の曹植は3歳。3歳と言っても、数えだから、現代人の感覚でいけば2歳。まだ赤ちゃんだ。三男の曹彰の年齢は分からないけど、母が同じなので、おそらく5歳。
曹真の年齢は不詳だ。でもぼくは、曹丕と同じ年にしたい。曹丕より1ヶ月くらい遅く生まれただけ、とか。二人には孫策と周瑜のような連帯感が芽生える。そういう設定にしよう(笑)
曹丕は基本的にクールだ。曹昂には懐いてない。曹彰は粗暴なだけで落ち着きがないから、曹丕は相手にしていない。曹植はまだ喋らない。いや、曹植のことだから喋ったかもね笑。でも赤ちゃんには変わりない。
曹真が来て、曹丕が一緒に遊べる仲間ができた。
曹操が拾ってきて息子同様に扱ったんだから、彼らは義兄弟だ。本人同士も意気投合して一緒に育って(三国志にありがちな)義兄弟にもなるんだ。
見てきたように兄弟仲の話をしてるけど、これは「曹真伝」の曹丕と曹真は起居を共にしたという記述から膨らませただけね。
■曹丕と一緒に大人になった
「曹真伝」にある。狩猟に出かけて、虎に追いかけられた。振り返って虎を射ると、虎は弦の響きに応じて倒れた。すっげー!曹真は胆力があり、弓の名人なんだね。
曹丕が書いた『典論』の「自叙」にいう「父の曹操は、早くから私に武術を教えた。私は6歳で射術をマスターした。騎乗して弓射できるようになったのは8歳だった」と。まあ自己申告だから、誇張があるかもだけどね。「曹丕伝」では、彼が8歳にして立派な文章を書いたとある。
二人の生い立ち、似てるよね。曹丕と曹真が、競い合いながら文武を高めている図が想像できる気がする。曹操は二人の成長を、目を細めて見てる。
弟の曹彰は荒くれて、ほぼ留守なんだ。野生的に武術を身に付けた。組討とか、荒々しいことを好みそう。曹丕は、将としての素養を身に付けることに関心がある。兵の鍛錬みたいなことが好きな曹彰とは、関わりたくないのだろう、きっと笑
この義兄弟は、本当にべったりだったんだろう。双子みたいな。
次回は曹丕が皇帝になります。そのとき曹真は?