■本稿の目的
諸葛恪がなぜ破滅したか明らかにする。
やっぱり結論からだよね。
諸葛恪は、1人で3役をやろうとした。孫権と周瑜と張昭。孫呉の君主と元勲たちが3人で分担していた仕事を、全て1人でやろうとしたんだ。当然だけど、そんなことは出来るわけがなく、失敗しちゃったんだ。
ドラゴンボールで声優の野沢雅子さんは、1人でたくさんの役をこなした。孫悟空、悟飯、悟天、バーダック、ターレス。孫悟空を基準にすると、長男、次男、父親、敵役を1人で演じ切ったことになる。よくパニクらなかったよな。
あれはアフレコだから出来たことで、リアルタイムでやってくれ!と言ったら、混乱すると思う。1人の人物でも、時間が経てば成長するじゃん。幼少期の悟空と悟飯は(野沢さん曰く)演じ分けていたらしい。やはり、リアルでやろうとしたら、キャパを越えたはず。
■『志林』の卓見
「諸葛恪が3役をやろうとした」
ぼくがこれに思い到ったヒントは、虞喜『志林』にある。
虞喜『志林』は、諸葛恪伝に注で引かれている本。虞喜曰く、
「天下を託されることは最高に重い任務だ。臣下でありながら主君に代わって権力を行使することは、最高に困難なわざである。この2つの最高のことを兼任し、しかも日常業務も裁くなど、並大抵じゃ無理だ」と。
これは、呂岱の忠言を聞かなかった諸葛恪を非難する言葉だ。
なんとなれば、
あるとき呂岱が苦言した。「何をするにも10回は思慮を巡らせよ」
諸葛恪は当意即妙にやり返した。「むかし季文子(おそらく孔子の弟子)が3回思慮を巡らせて行動したとき、孔子は2回で充分だよ、と言った。なんで私が10回も思慮せんとダメなんだ。この諸葛恪さまが、季文子に劣ると言いたいのか?ボケ老人め」と。
その場の評価は、以下のように収まった。あ~あ呂岱さん、失言を吐いちゃったよ!諸葛恪はやっぱりスゲーなあ!と。
だが言わんこっちゃない。諸葛恪は思慮が足りずに、まんまと暗殺された。虞喜は「呂岱の言うとおりだったのに」と言ってる。
「諸葛恪みたいな重き立場にあるなら、人々の意見を積極的に聞くべきだった。薪取りなど身分の低い者の意見にでも、耳を傾けるべきだった。良い政治が出来るように、将来のことまで考えて思慮するのが、本来のあり方だ」
「諸葛恪は己の弁舌に心酔するだけで、聞くべき忠告を無視ったね」と。
■ストレスの板ばさみ
虞喜の論旨の焦点からは外れるが、諸葛恪がやろうとしていたことが言い当てられている。諸葛恪は、主君(孫権)と軍事(周瑜)と内政(張昭)を兼務するつもりだったんだ。
※孫呉の人たちが勧んで、諸葛恪に任せたのではない。諸葛恪が立候補して、半ば強引に兼務したみたい。検証は後ほど。
荒っぽい話だが、簒奪は分かりやすい。臣下のトップという配役を降りて、皇帝の役に代わる。1人1役だ。
しかし幼い皇帝を立てながら国を仕切ると、2役以上を演じる必要がある。君主性ストレスと臣下性ストレスを同時に引き受けなければならんのだ。
そりゃ、狂うよ。よほど自信過剰なメンタリティを保たないと、自殺しちゃうよ。他人の話なんて聞けないよ!
同じことをした人物として、蜀の諸葛亮がいる。
諸葛恪の10億倍くらい有名な、彼の叔父である。諸葛亮は、丞相として全部やった。託孤された劉禅を代行し、大学で専攻して元々得意だった内政を仕切り笑、門外漢である軍事もやった。
諸葛亮は過労で死んでしまった。
やっぱり兼務は、ろくなことはないんだ。
あの諸葛亮をしても無理だったのだから、同じことが諸葛恪に出来るわけがない。もっとも、こんな論法を使ったら、諸葛恪にどう言い返されるか気が気じゃないけどね笑
さて(2)と(3)では、諸葛恪の当意即妙な減らず口をお楽しみ下さい。
本稿の目的である1人3役の話は、(4)以降でお届けします。