■三国志キャラ伝>孫策+周瑜+張昭≠諸葛恪伝(2)
■諸葛恪のルックス 諸葛恪、字は元遜。諸葛瑾の長男。※諸葛瑾は、諸葛亮の兄とされる。 『呉録』にいう。諸葛恪は身長が七尺六寸(183センチ)、鬚や眉はうすく、かぎ鼻で額が広く、口が大きくて声が高かった。   このルックスはどんなだ。 平たくいえば、驢馬にそっくりだった親父さんと瓜二つ。 そういうことじゃないか。身長が高いから、顔が長くても不自然じゃない。人間の顔のアクセントになる鬚や眉が目立たない。額が広いのは、若ハゲじゃない。面長ってことだろう。でかい口を揮って高い声で、得意そうに議論をぶち上げる。驢馬のいななくのと同じだ笑 「諸葛恪=かっこいい神童」みたいなイメージがある人には悲しいお知らせだったね。っていうか、ぼく自身がショックを受けた。 諸葛恪伝に目を通すまで、彼をイケ面だと思っていた。ハンサムに描かれたときの諸葛亮風の人物を想像してたのに!   ■努力するのが馬鹿らしくなる ぼくはこの伝を書くまで、諸葛恪の字すら知らなかった。「諸葛子瑜+之驢」のエピソードが一人歩きして、彼のことを理解したつもりになってた。恥ずかしい。 何はともあれ、驢馬の話をしないと諸葛恪伝は始まらない。やります。 諸葛恪は、大将軍や太傅になったことよりも、驢馬の話の方が人口に膾炙してる。馬鹿な話だ。後世に名を残す方法って、継続的な努力で立身出世するだと思われがち。でも、幼少期にウケることを言った方が効果的らしい。 もっとも「三国時代」のせいかも。皇帝が3人もいる。太傅が3人立つこともあり得る。大将軍も然り。希少価値が下がるんだよ。全く!もう!   諸葛瑾は面長で驢馬に似ていた。孫権が群臣を集めた席上で、驢馬の顔面に付けた札に「諸葛子瑜」と書いた。諸葛恪は、孫権に聞いた。「二文字だけ書き加えていいですか」と。許可をもらった諸葛恪は「之驢」と書き加えた。一同はどっと笑い、その驢馬は諸葛恪に下賜された。   突っ込みたいことがいっぱい! まず孫権。なぜ「諸葛子瑜之驢」になったのに、諸葛恪に下賜したんだ。 それじゃあ「諸葛元遜之驢」になっちゃうだろうが! まあそれ以前に、重臣の身体的特徴を笑い種にするのは良くないよ、という常識的な突っ込みを入れるべきか。でも孫権が酒の席で無茶をするのは、もう全員が諦めてる。それはいいや。   次に諸葛恪。孫権の面目を潰してないか? 父親の名誉を回復したのかも知れないけど、社会のルールには逆らった。 オヤジギャグは、踏み絵だ。オヤジギャグは、つまらないのが定番なんだ。むしろ面白かったらダメなんだ。立場の強い者が、つまらないことを言う。それを笑う奴は従順で、笑わない奴は好意を持っていない。そうやって臣下の底意を見抜くんだ。 もし上司や主君のボケを、より巧みなボケで切り返したら最悪だ。まだ笑わない方がマシだ。お前、オレの立場を侵すのか、という大逆問題に発展しかねない。「之驢」と加筆したのは、プチ謀反なんだ。 諸葛瑾は嘆いた。「私の一族を盛んにするのは、この息子だ。しかし家を根絶やしにするのも、この息子だ」と。 ※このタイミングで諸葛瑾のこの嘆息を引用するのは変かな。ぼくは、うまく書けたと思ったんですが笑   もう「諸葛子瑜之君」にしても良かったんじゃないか。 さすがに孫権に手討ちにされるか。   ■諸葛恪語会話、スキット集 ※教育テレビで朝6:15から 打てば響くような機転。皇帝や重臣たちを侮ったような、後先を省みない軽々しい言動。ぼくはこういうのが大好きです笑   孫権「諸葛瑾と諸葛亮はどちらが優れているか」 諸葛恪「父上です。父は仕えるべき君主を知ってます」 ※諸葛亮の方が諸葛瑾より優れている。そういう前提が、孫権と諸葛恪に共有されているっぽい。もし議論の余地がなく諸葛瑾が上なら、孫権はこんなことは聞かない。諸葛恪は、平易に能力や人柄で父を褒めるだろう。それで充分だもん。諸葛瑾にしてみれば、悲しむべきことだ笑   張昭「もう酔った。酒は注ぐな。老人をいたわれ」 諸葛恪「むかし師尚父は、九十歳でも陣頭に立ちました。張昭さんは、もう戦場には出ませんね(っていうか初めから戦場に立つキャラじゃないし)。せめて宴会では、張昭さんを先頭に立てようとしてるんです。礼を失するどころか、尊重してるんすよ」 張昭「・・・」「ぐいっ」 ※諸葛恪さん、言葉がダラダラと長い。あまり上手じゃない。
  次回はゲストで費禕さんが登場。蜀から駆けつけてくれました。 ついに張昭との対戦に決着が!?※どうでもいいとか言わないで下さい笑
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