■三国志キャラ伝>魏の犬コロ諸葛誕伝(3)
■楽綝を血祭り 「挙兵」「服従」「自殺」   諸葛誕が選んだのは「挙兵」でした。 冬篭りのために蓄えた兵士たちを招集し、自ら出陣して新任の楊州刺史・楽綝を殺害した。 楽綝の最期は、裴松之が「でたらめだ」と言ってる『魏末伝』に詳しい。   諸葛誕は軍兵を酔わせてから演説をした。 「いまボクは、洛陽に戻らねばならん。せっかくキミたちが精強であり、賊を討つ準備は万全なのに、とても残念なことだ。ちょっとだけ城外に出て、連れまわして我が配下の雄姿を拝み、気分を慰めたいものだ」と。 台詞の意味がよく分からないのは、切羽詰った諸葛誕が自棄酒を飲みすぎたからでしょう。『魏末伝』の質のせいばかりにできん笑 っていうか、ここで諸葛誕が言っている「賊」って誰を想定してるのだろう。優等生のオフィシャルな回答は孫亮なのだが、もしかしたら…   諸葛誕は700人を従えて出陣し、「うっかり」楽綝の政庁に到った。きっとワザとなんだ。 楽綝は警戒して、門を閉じた。それを見た諸葛誕は「ボクは慰みに兵を連れまわしているだけなんだ。どうしてそのように防備を固めるか」とラリったまま怒鳴り散らした。 別の記録によれば、諸葛誕は「楽綝よ、キミはボクの部下だったじゃないか」と言って突き進んだらしい。彼の中では、楽綝が裏切って、自分を揚州から締め出そうとしたと考えたようで。賈充と呼応して、余計なことをやりやがって!的な憤りで。おそらく正解だ笑 このときの諸葛誕の様子は、言いがかりというか、こじつけというか、横車というか。任侠の連中の理屈の通し方が、温室育ちのおじさんに移ってしまったらしい。 楽綝は可哀想に、楼上に追い詰められて殺された。ザシュッ!『演義』では諸葛亮と司馬懿の意地の張り合いに使われて、素っ裸にされ、顔に刺青された人だよね。幸せだったのかな。心配です。   ■孫呉とのタイアップ企画 諸葛誕は、いよいよ隆盛。 淮水南北の郡県に屯田していた10余万と、揚州で新しく従えた精兵5万を手中に収め、1年を越える穀物の蓄えを集めて、城門を閉ざした。   長吏の呉綱が、諸葛誕の末子の靚を伴って「助けて」と言った。呉は3万を派遣し、ちゃっかり亡命していた文欽を加えて呼応した。 孫呉は諸葛誕を、左都護・仮節・大司徒・驃騎将軍・青州牧・寿春侯に任じた。大国の魏で司空になってる人物に、それ以上の待遇をしなけりゃダメなのです。だから、位がインフレを起こして、まるでバグったみたいになってる。大司徒って、前漢のプレイバックか。でも司徒の上が大司徒というわけではあるまい笑   司馬昭の命を受けた鎮南将軍・王基が寿春を囲うもうとしたが、包囲が完成する前に、文欽と孫呉の唐咨が入城した。かっこいい! 淮南で叛乱した先輩たちはどうも不発だったんだが、今度は戦闘らしい戦闘を期待できそうですよ。
  ■司馬昭的包囲 挙兵を決行した次の月(257年6月)司馬昭が項に到着。 は淮水を隔てて南岸の寿春と向き合う場所で、王淩がここで毒を飲み、毌丘倹がここに進出して失敗した場所です。因縁深いね。 皇帝親征。っていうのは建前で、司馬昭が留守中に宮廷をひっくり返されることを怖れて、皇帝を戦場まで同伴してる。その軍勢は26万。諸葛誕側の総勢20万弱も相当だと思ったが、司馬昭は上を行く。諸葛亮がよだれを垂らして羨ましがりそうな動員力ですよ、双方とも。   大将軍の司馬昭、鎮南将軍の王基、安東将軍の陳騫、監軍の石苞、兗州刺史の州泰らが囲む。四方をブロック。   文欽が張り切って包囲軍を攻めたが、華々しい戦果は得られず。 孫呉の朱異が、大軍勢とともに2回も黎漿水を渡ったが、やはり包囲軍に邪魔されて諸葛誕と合流できず。孫呉の大将軍・孫綝は怒って(おこって、ではなくて、いかって、という読み方+ニュアンスでお願いします)朱異を殺してしまった。   ■内輪もめ 寿春の食料は乏しくなった。 『漢晋春秋』曰く、諸葛誕の将軍の蒋班・焦夷は進言した。蒋班は、毌丘倹の乱の後に文欽を追い返した人物だね。きっと諸葛誕の軍事面を一手に担っている参謀兼勇将みたいな人だろう。 詳しくは歴史書に書いてないから知らん!   蒋班「孫綝が朱異を殺し、孫呉との連携は失敗です。一点を強行突破して包囲を破り、1人でも助かる道を選択しましょう。全滅よりマシです」 文欽「まだ最終手段は早い。大丈夫、きっと大丈夫♪」 蒋班「先生!違うと思います」 文欽「何を寝ぼけたことを言うか。諸葛大司徒、蒋班を殺しましょう」 蒋班「げえっ」 ということで、蒋班・焦夷は11月に降伏した。風の強い日でした。※知らない。   全懌は孫呉からの援軍として、寿春城内にいた。 司馬昭は間者を入れて、「全懌殿の家族を、孫綝が皆殺しにするらしいよ」と言い触らした。正直なところ、孫綝ならやりかねない。こうして後世に陳寿を読みながらパソコンを打ってるぼくでさえ「ありそうだ」と思うんだから、母国と断絶して、義理のない他人の叛乱に付き合っている全懌の不安やいかに。 全懌は門を開いて、数千人の部下を率いて司馬昭に投降した。   城内な恐慌を起こし、なす術を失った。
  次回、諸葛誕伝および淮南の三叛の最終回。 「諸葛公のために死ねるのだ。心残りはない」
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