■三国志キャラ伝>呂布・劉備と同じ穴の梟、太史慈(2)
■仁者の出会い
太史慈と劉備が面会した。
『三国演義』では、まだ売り出し中で、あまりイイトコのない劉備を、華々しく飾る名場面なんだ。でも、儒教的に美しい言葉も、この2人で交わしてると思うと、胡散臭い。
セリフの後の言葉は、ぼくが勘繰った2人の本音です。
 
太史慈「劉玄徳殿、オレは東莱郡の田舎者だが、名士の中の名士、孔融様に大切にしてもらってる。親戚でもなく、同郷でもないのにだ」孔融に恩を売れば(一発芸で気に入られたら)赤の他人のキミだって、名前を売れるぞ。
劉備「うむ」
太史慈「孔融様は、管亥に囲まれ、孤立無援です」少しの働きで、最大限に評価を得られる好機だ。ピンチを救うほど、効率の良い投資はない。それくらいの計算、キミなら出来るだろう。
劉備「むう」
太史慈「孔融様は、劉玄徳殿が仁義をなさる人であり、よく他人の危急を救うとおっしゃっている」漬け込むだけの土壌は、整っているぞ。
劉備「孔融様が、この広い世界の下、私がいることを知っていて下さいましたか」安熹県で督郵をムチ打ちにしといて良かったぜ。黄巾が下火になり、雄飛の機会を欠いていたんだ。
太史慈「はい」
劉備「では、兵3000を出そう」
太史慈「感謝に堪えません。孔融様は、お喜びになられるでしょう」交渉成立だな。そして、オレへの評価も上がるというものだ。
 
陳寿が書き留めたセリフだけ読むと、太史慈も劉備も、他人のピンチに急援を惜しまない、すごくいい人に思える。でも、無名の太守が同じ依頼をしてきたとき、2人は同じように受けただろうか。NOだ。
孔融は、孔子の子孫という看板があり、なおかつ梟雄たちが入り込む隙があった。人間的な意味で、馬鹿だった。したたかに計算したとき、与しやすい学者官僚だった。
孔融は、太史慈と劉備の食い物にされた、では言い過ぎか笑
 
■孔融からの離反
董卓ノ乱が起きて、孔融も名を連ねたが、さすがに戦果を上げられるわけない。というか、関東軍の全体が離散したんだから、ひとり孔融だけ活躍できるわけもないんだが。ただ北海国の相として、形式だけ参加したんだ。治国がないのに切り込んだ曹操とは、正反対だ。
まともに戦って勝ったのは、孫堅だけだった。※伏線です。
 
太史慈は母親に「孔融様への恩義は返しました。嬉しく思います」と言った。孝行息子だなあ、という印象があるが、要は「もう孔融に借りはないからね」という宣言だ。
彼は、乱世向きでない孔融を見限った。そして、気鋭の貴族、揚州刺史の劉繇に身を寄せた。同郷のよしみを頼ったんだ。

 ■書類選考落ち
太史慈は、遼東から帰ってきたとき、すぐに劉繇に会えなかった。いちおう伝の主の顔を立てる、という陳寿の筆法で隠されたが、アポイントをもらえなかっただけじゃないか。
劉繇にエントリーシートを送ったけど、書類選考で落ちたんだ。「私たちが求めている、名声のレベルを満たしていないため」という無愛想な封書が、返送された笑
 
だから太史慈は、孔融の救出なんていう酔狂をやって、名声を稼いだ。もう充分だなあ、と判断したから、孔融から離反した。面接まで漕ぎ着ければ、あとは自力で伸し上がって、劉繇の副官になってやる。ゆくゆくは、劉繇に代わって、揚州を支配してやるよ!
太史慈は、それくらいの読みだったんだろう。浅はか笑
 
劉繇は太史慈にしぶしぶ会ったが、評価は低め。だって太史慈は、上章を破って青州を干された人間だ。同郷であるというのが、アダになった。ちなみに劉備も、幽州とは、とんと無縁な人生を歩んだ。
曹操は譙をずっと大切にしてたから、そもそもスタート時点の振る舞いが違うんだ。地盤を自分から捨てるなんて、短慮がやることなんだ。
 
■許劭殿に笑われないか
196年、曲阿の劉繇は、袁術に攻められた。敵の将は孫策。
このとき太史慈は「まだ劉繇のところを立ち去っておらず」という状態だったと、陳寿は書いてる。このことから、「劉繇に冷遇されていた」というよりは「劉繇に仕官していなかった」という方が正確かもしれない。
 
非常時だけに「太史慈を大将軍にしましょう」という声もあった。恐慌を起こすと、人は判断力がなくなるからね笑
しかし劉繇は「許劭に笑われないか」と言って、太史慈の重用を渋った。まともな答えだ。さすが、名門皇族に恥じない采配だ。全く同じシチュエイションで劉璋は、劉備に張魯撃退を命じて、国を乗っ取られるんだもん。
劉繇は太史慈に、斥候を任せた。
 
許劭を引き合いに出したから、「劉繇は自分の目で人物を見極めない、怠惰な君主だ」という評価になりがちだ。まして、劉備と意気投合した太史慈を脚蹴りにしたので、講談師はいよいよ辛辣だった。
しかし、誤解だ。悪いのは太史慈なんだ。
 
■孫策との一騎打ち
正史に残る、数少ない(唯一だかは未確認)武将の一騎打ち。
 
劉繇に命じられて、2騎で偵察をする太史慈。たまたま、13騎の武将たちに出会った。孫策だ。韓当・黄蓋・宋謙もいる。普通は勝てない。しかし、ここは太史慈。戦いを挑んだ。
「袁術の部将を討ち、劉繇に認められ、天下に飛翔しよう」なんて動機じゃない。「うほ!強敵なり!嬉しや!」くらいのノリだ。これで弱ければ、噛ませ犬として消えて行くんだが、太史慈は強いんだよね。これが、同じことばかり書いてるけど、宜しくない笑
 
孫策は太史慈の馬を突き刺し、太史慈のうなじにあった手戟を奪い取った。太史慈は、孫策の兜を奪い取った。うなじの装備=首、兜=首級。軽く2人とも、死んだということになる笑
 
この一騎打ち、孫策視点で物語を進めようとすると、強い男同士が認め合い、友情が芽生えた、という、キラキラな青春小説なんだ。しかし太史慈視点から見ると、ギラギラと充血した目で獲物に飛びかかり、クソ、くたばれドアホ、という罵声しか聞こえない。
「なんで太史子義様に勝たせないんだ、この要領を得ない大根役者、孫伯符め。KYだぜ、キサマ。死ね死ね死ね。あぁ?邪魔が入りやがった。っていうか孫家の餓鬼、猿術の走狗は、ここで勝手に自害しろ。オレの手柄にするからさ」という苛立ちだけが聞こえてくる。
 
武器を失った太史慈が、歯噛みして孫策の頭を掴み、首ごと引っこ抜くように、兜を毟り取ったんだ。飽き足らず、髪の毛も引っ張ったんだろう。そういう男だよ、太史慈は笑

 次回、太史慈が独立を狙います。
独立に失敗して、孫策に降伏します。

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