■三国志キャラ伝>曹操の双子、淳于瓊伝(1)
ほぼ1ヶ月ぶりの更新で、なぜ敢えて淳于瓊の話なんてするのか、これを書いてるぼく自身ですら意味不明です。もっと他に、取り上げる人物もいそうなのに。でも気にせず、淳于瓊の話、行きます!
 
■どこかで見た気がする
1度だけ三国物のストーリーを読んでも、普通は気づかない。
淳于瓊の初登場は、官渡の戦いのクライマックスだと思うのが大半の認識だろう。少なくとも、ぼくはそうでした。
曹操が許攸のタレコミで烏巣急襲を企て、「そのとき烏巣では」ってノリで中継カメラが潜入したときにアップで映されるのが、守将の淳于瓊。酒なんか飲みながら、油断たっぷりの情けない姿。これが『演義』を基調とする三国文化での、淳于瓊のメジャーデビューのシーンだ。
 
でも三国物を2回目に読むと、どうも淳于瓊が官渡以前に登場していたような気がする。どことなく、くすぐったくなる。3回目に読むと、やっと淳于瓊がもっとストーリーの初期から登場していたことに気づくんだ。
黄巾後に霊帝が置いた西園八校尉に、淳于瓊が名前を連ねているじゃないか。
筆頭は宦官の蹇碩で、虎賁中郎将・中軍校尉の袁紹、議郎・典軍校尉の曹操がメンバーに任じられている。袁紹と曹操、ゆくゆくは中原を二分する両雄が官を並べている。将来の飛躍に備えての一歩を歩んでいる。そういう印象があって、心が躍るものじゃん。
ここで忘れちゃいけないのが、淳于瓊。彼は左(右かも)軍校尉で、八校尉の一員なんだよね。
 
陳寿『三国志』に登場する淳于瓊を片っ端から拾っていって、どんな人物だったのか探ってみようと思います。

 ■淳于瓊の全登場シーン
1)武帝紀:白馬の戦いで郭図・顔良とともに劉延を攻める。
      救援の関羽と張遼に顔良が斬られ、敗北!
2)武帝紀:袁紹の陣、北40里に陣取って兵糧を守る。
      曹操の奇襲部隊が少数だと侮って営門外に布陣。
      淳于瓊は曹操に敗れて斬られた。
3)武帝紀注、曹マン伝:淳于仲簡は鼻を削がれたが死なず。
      曹操が「なぜこうなったのか」と聞くと、
      淳于仲簡は「勝敗は天にある。どうして問うのか」と答えた。
      曹操は淳于仲簡を生かしたいと思ったが、許攸が
      「明朝こいつが鏡を見たら、恨みに思うよ」と耳打ち。
      曹操は淳于仲簡を斬っちゃいましたとさ。
 
4)袁紹伝注、献帝伝:沮授が「献帝を拾ってこよう」と言ったのに対し、
      淳于瓊と郭図は「献帝を拾ってくるメリットはない」と反対。
      「天子にいちいちお伺いを立てては袁紹の権力を弱めるし、
      もし天子の意向に逆らったら逆賊になってしまう。一利なし」
      袁紹は沮授を却下、淳于瓊と郭図の進言を受け容れた。
5)袁紹伝注、献帝伝:沮授&田豊はこう言いました。
      「許に曹操を征伐するのを思い留まって下さい。
      地道に内政を3年もしてれば、曹操は降伏しますよ」と。
      審配&郭図「袁紹さんは充分に強いから、攻めるべきです」
      袁紹は侵攻策を採用。郭図の讒言?で沮授を疑い始め、
      監軍の権限を分けて三都督とし、沮授・郭図・淳于瓊を任ず。

6)袁紹伝:淳于瓊に1万余を預け、烏巣を守らせた。
 
7)張楊伝注、霊帝紀:黄巾の乱で混乱し、霊帝は首都防衛を願った。
      寵愛する蹇碩を筆頭に、天下の豪傑を集めて副官とした。
      淳于瓊もその中の1人でした。
 
8)張郃伝:張郃は「曹操は淳于瓊を狙う。彼が負けたらピンチです。
      救援しましょう」と言うが
、郭図に反対されて通らず。
9)張郃伝、裴注:武帝紀でも袁紹伝でも、淳于瓊の敗北を聞いて
      張郃が投降したとあるが、これは張郃伝と矛盾するよ。
 
■淳于瓊が分からない
ちくま訳の索引に頼りながら、淳于瓊の全登場シーンを追ってきました。
いくらか省略してますが、曹操の部将の伝で「官渡では、淳于瓊を破って勝利し」みたいな文脈でサラッと流されているのを載せなかっただけです。
 
こうやって見てみると、淳于瓊のことが分からない!
どうやら『後漢書』も参照しないとダメなようですが、準備がないので今回は断念。wikiに「廃帝(劉弁)に仕えたが、董卓の専横が極まると中央から離れ、袁紹の配下になる」と書いてある。少なくとも陳寿『三国志』には書いてないから、『後漢書』なんでしょう。※未確認。
分からんなりに彼の生涯を追いかけてみると、どうなるんだろう。

 次回、淳于瓊の一生を想像力で膨らませてプレイバック。

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