■まゆつば三国志城
小学生の頃から歴史が好きでした。理由は分かりません。
特に大学時代には、歴史学に埋没して、歴史を学ぶ意味について明けても暮れても考えていました。答えが出なかったので就職しました。
でもこの2日間で、歴史&歴史学を学ぶ価値が分かりました。意外な棚から、答えが降ってきました。なあんだ、という感じ。
歴史の話を媒介にして、人との繋がりを深められる。
人と付き合うには無数の方法がある。列挙することすら、はばかられるくらいに。その付き合い方の一方法として、歴史という素材はとても有効なんだなあ、と思いました。
歴史を媒介にしないと生まれない交流も、きっとあるはずで。
人と交わることを第一義にして行動をする、ということがとても苦手な性格です。そう自覚してます。そんなぼくが、自己満足のためにいろいろ身に付けた知識や発想を活かして、誰かと親しくなれる。最高の棚ボタでした。
今日の春の夜長の日記は、そのことを書いてみようと思います。80歳の歴史家と出会ったお話です。
司馬徽が木に登って実を摘んでいると、若き龐統が訪れた。司馬徽は会話を楽しむあまり、つい、木から降りることも時間が経つことも忘れた。気づいたら日が暮れ、龐統の才気に感銘を受けた司馬徽は、鳳雛という人物評を彼に与えた。龐統こと鳳雛はやがて劉備の配下となり、劉璋から蜀を奪い取る軍略を提言した。
そんな話が三国演義に出てくるんだけど、そういう感じで、老賢者と時を忘れて話が出来ました、という日記(になる予定)です。
■三国志城の旅行記
宣言どおり、山口県の三国志城に行ってきました。
JR山陽本線で、岩国駅から10駅。岩田駅が最寄りです。
伊藤博文の生誕地らしく、無人の駅舎には、大きな初代総理大臣の写真が荘厳な額に納められて飾ってありました。戦前の家庭で拝まれていたという、天皇の肖像と同じ雰囲気。
伊藤崇拝とも取れる駅ぶりは、見る人が見たら、めちゃめちゃ不快なんだろうなあ。嫌われる人には、鬼畜のごとく忌み嫌われてる人物だけに。
駅を出ると、錆びた看板に「新名所/三国志城」と大書。色褪せたペンキ。胡散臭いよ。大丈夫なのか。
地図を見ると、かなり山の中にあるみたいで、車で10分。青春18切符の節約旅行なので、もちろん徒歩で行く。
四方を山に囲まれた盆地。山を穿ち、田畑の真ん中に通した車道。土地と陽射しだけなら他県に売るほどありますよ、みたいな風景。農家の家の前に、物干し竿が盛大に並んでいて、バスタオルまでもが余裕たっぷりにテリトリーを確保して靡いてた。
道の分岐点に「三国志城」の看板。「コーヒー・軽食あり」と。寂びれた喫茶店に毛が生えた程度のものなのか。本当に、大丈夫なのか。(写真左:目的地周辺)
歩くこと30分強。
道を左にそれた田の真ん中に、いかにも粗末な白い建物(ないしはプレハブ)に、三国志城の文字を発見。これか?
おそるおそる近づくと、不動産屋の前にたくさん立ってるような旗が林立。「諸葛孔明」「コーヒー」「三国志城」「カレー・ラーメン」みたいな感じ。
アウチ。
壁には、思いついたように、三国志に関する文字を記した木片が飾られている。「出師の表」「曹操」「蜀」「赤壁」とかは分かるとして、「桟道」なんて毛筆まで堂々と胸を張っている。気持ちは分かるけど、桟道なんてどうでもいいじゃん笑
入場料は500円。受付窓口は無人で、入場券は売店でお買い求め下さい、とのこと。
売店に入ると、上品そうなおばあちゃんが一人だけ併設キッチンの奥から出てきた。「ゆっくり見て行って下さいね」と。食事スペースには、『蒼天航路』とか、北方『三国志』とかの定番から、去年創刊された三国志専門の漫画雑誌まで並んでる。
通常の喫茶店にありそうな、スポーツ新聞とか週刊誌とかは皆無で、三国志の本だらけ。さすが、日本で唯一の三国志資料館(笑)
■三国志城の展示物
そもそも山口と三国志なんて、全く脈絡がない。展示列中に、山口県出土の銅鏡の写真(写真かよ)があって、解説文はこう言うのだ。
「このような銅鏡が作られたのが、中国で三国志の時代でした。同時代で他県の出土品には、魏の銘が入ったものも見られます」
おいおい。これじゃあ、山口と三国志は丸っきり関係ありません、と自分から暴露しているようなものじゃないか。他県から魏が産地の銅鏡こそ出てるものの、山口で見つかった遺物は証明不可かよ。
入館する(というか引き戸を開ける)と、成都博物館や本場中国の学芸員が、三国志城のオープンに当たってどんな協力をしてくれたか、どこまでコミットしてくれたか、などが写真付きで丁寧に紹介されている。
嘘つきほど、よく喋る。そういうことなのか、とさらに不安に。この不安は、後ほど払拭されるのだけどね。
展示品は手作り感がいっぱい。
中国で掘り出された考古学的価値の高いものは、圧倒的に品薄。でも成都の学芸員立会いのもと作られた、三国志世界の合戦画や人物画が所狭しと。現代日本人が必死に復元した、当時の生活に使われた筆記用具、食器、衣服などが豊富に。
中には、
諸葛亮が東南風を祈るときに着ていたとされる上着まで、復元されて木製の台座にかけてあった。三国演義で風を祈ったことすら「小説」として一蹴されているのに、資料館で「孔明がまとった上着」を拝めるとは思わなかったよ笑 これじゃあ、桃太郎のおばあさんの足跡、河童のミイラ等と五十歩百歩だよ。
孔明の衣装は、道教風パーカー。卒業論文で「易経」を読んだから分かるんだけど、八つの卦がそれぞれ陰陽の意味を持って、その組み合わせが意味を成す。その各種組み合わせが、紋様として刺繍されていました。
木牛と流馬もあった。
展示物は撮影禁止+接触禁止。でもさあ、監視カメラも他の見学客もいなければさ、木牛を押してみたくなるのが人情じゃないか。貴重な体験をさせてもらいました。漢中から輸送部隊発進。これは内緒です。
孔明が指揮を取ったときに座っていた車椅子(笑)もあった。赤塗りの立派な造形で、もちろん実物大。左右には特殊な書体で旗指物が颯爽と。「漢」「諸葛」って書いてあった。これに座って、別の場所に飾ってあった冠を被り、羽扇を振ってみたくなるのもファン魂じゃん。でもさすがにそれは自粛!
憧れの竹簡にも触ってしまった。感無量!竹を薄く切って、紐で繋げたやつ。巻き取って保管する、いかにも「書物」みたいで、最高じゃないか。
中国で発行されている年表とか、当時の地図とかも飾ってあり、それに解説が加えられている。
誤字や事実誤認だらけ。そうだね、ワープロで三国志のことを正確に書くのは骨が折れるからね。しかし、看過していいのか。粗探しをしたらキリがないね。最終的な統一王朝が「普」だったりとか、すごいよ。「晋」だよ笑
■三国志に関する書籍
展示館(ないしはプレハブ)は3つある。
その合間に休憩室があって、そこでファンが寄贈してくれた三国志関係の書物が読める。
ぼくの三国志蔵書もかなりのものだと思っていたけどさ、まだフォロウしきれてない本も、けっこうあるんだよね。反対に、ぼくは持ってるのにここには置いてない本も多くて。
真・三国無双(PS2のアクションゲーム)の本が多いのは、ちょっとびっくりしたけど、この秘密も後から解き明かされる。
杉田玄白(江戸時代の蘭学者)が書いて所蔵していたという三国志の史料が飾ってあってさ。
史料と言っても、四~五行くらいの断片が、ポツリポツリと並んでいるだけ。ページが切り取られてるんだね。内容は、よく知っている三国志の場面です。それが物語の順番を無視して、ランダムに並んでる。鄧艾と姜維の攻防戦の次に、袁紹が宦官を切り刻んでいる。
解説には「元禄五年に書かれたもの」とある。
ええっと、これを噴飯モノと言うんだね笑。元禄五年に杉田玄白は生まれてないじゃん。その杉田が、何を書き残せるというのか。
これは、元禄五年に出版された『通俗三国志』という、日本で初めての『三国演義』の翻訳本だよ。どんどん増刷されたベストセラーで。その初版本を杉田玄白が持っていたというだけの話じゃないか。展示者は分かってない。
せめてもの意味を持たそうと、辞典からコピってきた杉田玄白の概要が、展示に添えられている。その辞典の中に、杉田と三国志の関係性が語られているかと思いきや、そうじゃない。常識的に『解体新書』という販売促進を狙うタイトル付きの(笑)翻訳書を著した蘭学者、とあるのみ。
やっぱり、分かって展示してるのではない。
ここで少し脱線します。ひと昔前に流行った、鑑定士が骨董的価値のあるものに金額を付ける番組があったでしょ。あの番組のおかげで、日本に眠る美術品が脚光を浴びた、認知度が上がって文化が守られた、という人がいる。それは大嘘です。一面的な見方です。
この話は大学時代にゼミで聞いたことの受け売りなんだけど。
自宅に眠っているガラクタが、金目のものだと知ったら、人間はどうするか。そりゃ売るでしょ。
もし資産が古文書だったら、どうしますか。
なるべく儲かるように、売りさばこうとする。即ち、数冊がセットになって関係性・意味を成していた史料を切り離し、別々の販路に流してしまうんだな。酷くなると、文書を切り刻んで、さも希少価値のあるお宝です、と言わんばかりに商売をする。これは文書の文化性を極端に損なう行為です。
ミクシの日記に例えます。
同じ人が数ヶ月、数年に渡って日記を書き綴っている。それをマイミクが定期的にチェックするから、書いた人のことが分かったりして、楽しい交流ツールになってるわけでしょ。
もし、日記を1日だけ見る。これじゃあ、よく分からん。ましてや、日記を3行だけ抜き出す。まるで内容が通らない。
これと同じ破壊行為が、古文書に対して行われてます。鑑定団の罪はすごいよ。償いきれないよ。もはや、杉田が所蔵していたかどうかの証明が出来ない紙片を見て誤解する人が出てきても、ある意味じゃ不可抗力。
次回後編「80歳の歴史家」へ続く。