■『通俗三国志』考(01/10)>まずは趣旨説明
『通俗三国志』とは、日本で初めて出版された『三国演義』の翻訳です。 日本人の三国文化の原点です。
  ■おことわり このコーナーは、ぼくの大学の卒業論文の(ほぼ)転載です。 ちょっと読みにくいかも。 理由は明白です。書いてる動機が、「卒業したい」なんだ。 不純だねー。 このホームページの他のコンテンツは、ぼくなりに「読んでる方に、楽しんで頂きたい」という気持ちで書いてます。それらとは、決定的に動機が違うんです。だから、最初に断っておかねば、と思いまして。 何を言ってるか分からない部分が多いし、実は何も言ってないことが多い笑 本当に何も言ってない部分は割愛。長くて難しいだけで、有害なんだ笑   最低限のマナーとして、ネットで読めるであろう加工はしてます。細かく細かく見出しを付けたり、区切り線を付けたり、色を変えたり。数字は気が付いたところだけ笑、アラビア数字にしてみた。 脚注とかウザいと思うので、参考文献はその都度、載せてます。   ■このサイトに卒論を載せた理由 日本のオンラインにおける「三国文化」を充実させたいから。 はああ。たいそうなお題目です。 でも気持ちに偽りはなくて。本当にそんなことを思っているから、トップページにも同じ内容のことを書いてあります。   山口県の三国志城(※)のオーナーさんと話していて、感じたことがありました。 日本人の三国志好きの原点って、意外に知られていないんじゃないか。これって、もったいないことじゃないか、と。真・三國無双から三国志に入ったぼくが、大層な口を利くのも恥なんですが。 『三国演義』を明代の羅貫中が書いたことは、ファンの皆が知ってる。 でも『三国演義』が初めて翻訳・出版されたのが元禄年間であることは、あまり知られていない。出版されたのが、1691年。徳川綱吉の時代です。それ以前から、陳寿『三国志』は入ってきてましたが、インテリしか読まなかった。三国文化の大衆化は、元禄以降なんだ。 本邦初のファン向け三国志。 タイトルは『通俗三国志』でした。かっこいい!   三国志や『三国演義』に興味を持ってる人が、ネットで検索をかける。自然と『通俗三国志』を知る。『通俗三国志』にまつわる情報を取り出せる。そういう世の中になればなあ、と思っています。 ぼくの卒業論文では、『通俗三国志』を扱ってます。このお蔵入りの文章が、誰かの知的好奇心を発掘+満足させることが出来たら嬉しく思います。そう願って、アップしました。 そのためにも、このサイトを育てなければならんのだけど。。   (※)ちなみに三国志城とは、日本で唯一の三国志にまつわる博物館。 三国志城に行くと、杉田玄白所蔵『通俗三国志』の一部を見ることが出来ます(勝手に宣伝)。オーナーは『通俗三国志』のことをご存じありませんでした。骨董屋さん?から、充分な説明がないままに『通俗三国志』の断片を買っていらっしゃいました。 三国志城に遊びに行ったときのことは、旅行記にアップしてます。消え行く、古き良き三国文化について、テンション高めで掲載中(笑)
   ■卒論の趣旨 これから堅い文章が続くので、ゆる~く解説します。   『三国演義』は、お坊さんが翻訳してくれました。お坊さんの正体は、不明です。彼の正体については、後ほどガタガタ言うので、ここでは省略。そのお坊さんは、思いました。 「いきなりこんな漢字ばっかの本を出しても、誰にも読まれへんのちゃうか。中国の歴史とかって、一部のマニア以外は、興味ないしなあ。キャラの名前も紛らわしい。プレステ2はまだ300年は発売されない。どうやって三国志の面白さを広めよか」 「苦労して翻訳したのに、意味分からん!の一言で飽きられたら、かなわんわ。そうや!思いついた。初心者でも読みやすいように、解説をつけよ。解説や。ええアイディアやね」 「みんなが本を買ってくれるようになれば、夢の印税生活が送れるわ」   そういうわけで、『通俗三国志』の冒頭に解説が付けられることになりました。ぼくの卒論は、『通俗三国志』の成立と、そこに付けられた解説について調べてます。 おまけ程度に、自分で考えてます笑   ■テーマ選択の秘密 ぼくが大学で所属していたのは、日本史学研究室だ。読んで字の如く、日本の歴史を題材にする。日本の歴史について論文を書いたら、卒業できる。 小さい頃から歴史が好きだったから、日本史学に興味を持った。大学受験で文学部を選んだときも、初めからそのつもりだった。 しかし大学生活の途中で、真・三國無双にハマってしまった。三国志っておもしれー!と馬鹿みたいに思った。もう、いっそのこと、卒論でも三国志をやれないかと思った。   うちの大学には、中国文学とか東洋史とかの研究室がある。 移ることは可能だ。しかし、ルールがあった。「移籍した研究室で、最低2年学ばないと卒業させません」だってさ。三國無双で三国志に狂い始めたのが、卒業予定の前年だった。プレステのゲームのために、わざわざ留年するのって、イヤじゃん。   選択肢は1つだけだ。三国志は趣味だと割り切って、卒論は大人しく日本史をやる。※まあ、文学部の学生の研究テーマなんて、それ自体が趣味みたいなものなんだが、それは言わないで笑 他に手はないかと思われた。しかし、ある日思いついたんだ。 「日本史で三国志をやればいいじゃん!」 いやあ、我ながら上手く、趣味(ゲーム)と趣味(卒論)を仲直りさせたものですよ。そのための題材が『通俗三国志』だった。 快挙ですよ、その発想と着眼点だけは。
  それでは、次ページより本編の始まりです。 ぼくが卒業した学部では、卒論の指定文字数は2万。長さだけで言えば、ここの他のコンテンツよりは短いくらいです。宜しければお付き合い下さいませ。 細かめに分けて、全10回にしました。   論文名は『通俗三国志』の成立と一七世紀における中国文化の受容です。
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