後漢は宦官が滅ぼした。ライトな三国志ファンでも知っていることだと思います。『三国演義』でも書かれていることだしね。「真・三國無双」でも、宦官を斬り殺すステージがあった。
でも宦官のひとりひとりの性質って、あんまり注意して見たことがないよね。宦官は金に執着しがちとか、謀略が大好きとか、阿諛追従して憎たらしいとか、そういう全体的なイメージこそあるんだけど。「あんな人間とも呼べない連中に興味を示すことをすら、汚らわしいぜ」ということは出来るんだけど、このサイトで儒教的倫理のお説教をするつもりはないし、政治の本来のあり方を論じることもガラじゃない。
ただ三国志を彩るキャラとして、彼らのことを見てみようと思います。
■三国志を知るために必要な宦官のリストアップ。
けっこう有名な黄皓には別の機会に登場してもらうとして笑
後漢の宦官で、三国志に絡んできそうな人たちを挙げてみようと思います。
まず外せないのが、曹操の祖父の曹騰でしょ!
祖父と言っても血縁はないんだけどさ、桓帝即位の立役者。ぼくが三国志というときは、だいたい霊帝即位以降の時代を考えるんだけど、彼を看過したら桓階もびっくり。っていうか、桓階って何をした人だっけ笑
そして霊帝を洛陽に連れてきた曹節も大切。曹騰とは血縁関係がないけど、竇武と戦ったりいろいろ見せ場がありそう。
曹節がプランニングしたことを実行する、仲良しの王甫も一応見とく。曹節・王甫と敵対した、新帝擁立未遂の鄭颯も調べておきます。
172年の朱雀門に、曹節と王甫と一緒に誹謗もしくは弾劾された、党人殺しの侯覧も忘れない。
霊帝が「わが父、わが母」と呼んだ、張讓と趙忠も要チェック。
趙忠と一緒に、黄巾の乱で「呂強が謀反です」と言ったのは夏惲だ。どうやら呂強は「黄巾の乱は、陛下身辺の穢れた連中のせいです」と上表した正義派の宦官らしい。
細かい事績は分からないけど、黄巾に呼応しようとした封諝・徐奉は、ポジション的にネタになりそうですね。
張譲と一緒に少帝・弘農王(献帝)を拉致ったのは段珪。
西園八校尉を率いた蹇碩は悪者じゃない宦官なのかな?
『演義』で盧植を更迭していた左豊は、きっと小物なんだろうね。『平話』では「我こそは十常侍」とか言っていたけれども、あれはハッタリだったのでしょう笑
そういうわけで、次回から宦官1人1人を見ていこうと思います。
でも、手元にある陳寿『三国志』には後漢の宦官のことなんて書いてない。しかしぼくは、後漢書を買ってない。仕方ないので、以下のサイトのお世話になろうと思います。ぼくなりに想像を入れながら情報整理するだけなので、詳しい元ネタは以下のサイトをご覧下さい。
コピペで事件の流れを頂いてます。ごめんなさい。
三國志事典15X-31X
http://f58.aaa.livedoor.jp/~dicsan/3k/