三国志は、1800年に渡って語り尽くされてきた叙事詩。
しかし、とある映像作品のキャッチコピーみたく「死ぬまで飽きない」もの。
まだまだ枯れる気配すら見せない、三国志の魅力について語ります。
宮城谷版で『三国志』の起点を探す。(9)
■虎狼
梁太后は、「劉翼の子に、妹を嫁がせたい」と希望した。劉志は、梁冀が外戚を続けるための隠し玉だった。
再び洛陽に乗り込んできた清河王は、曹騰の訪問を受けたが、ぞんざいに扱った。
曹騰は「清河王ははじめから宦官に偏見を持ち、差別の目で視ている」と思い、「一度だけの盟約でよい」と自分に言い聞かせて、梁冀に「恩を売るかたち」を整えて賛成した。

劉志は即位した。桓帝という。やっとここまで来ましたね笑
■結論
宮城谷氏を追いかけるのは、ここで終わりです。
ぼくにとっての『三国志』の起点が、定まったような気がします。それは、順帝の臨終の床です。すなわち、西暦144年です。
その理由は、以下のものを後漢が滅びた原因として、軽くは見ておきたいからです。

 ○宦官に深く恩を感じている皇帝(順帝)
 ○4代に仕えて過失がなかった曹騰(曹操登場の布石)
 ○呆気なすぎる幼帝崩御(沖帝)
 ○最も狂暴な外戚、梁冀。皇帝暗殺。

これより遡る必要はないと思ったのは、似た事件に面白さを移せると思ったからです。
例えば、楊震・朱寵のごとき忠言キャラは、党錮時代にいくらでも同タイプが見つけられます。
安帝の親政がショボいのは、桓帝・霊帝に被せられます。
安帝乳母と宦官・江京は、十常侍(霊帝)にシンクロします。
不遇をかこつ劉保少年という素材は惜しいけど、臨終のときに昔語りをさせればいっか。曹植や二宮ノ変にも乗せて。
外戚の閻氏は、小粒なので、スルーしても可。
孫程による閻氏へのクーデター(順帝)は、唐衡による梁氏へのクーデター(桓帝)に似ています。
順帝が元気なときの梁冀の暴れぶりは、桓帝のときに移して表現しても補えます。
八俊(順帝)は、やはり党錮時代にいくらでも類似品は落ちてます。
宮城谷版で『三国志』の起点を探す。(10)
■落し物
このように、こじつけながら合理化を図ってきたわけですが、拾いきれないエピソードもありました。
鄧騭の責任ある政治のモデルは、ちょっと見当たらないから惜しい。
それから、閻氏が、「始皇帝気取り」で死体の皇帝を連れ回すのは捨てがたい。
でも、総獲りというわけにはいかないだろうから、諦めましょう。それよりも、限られた(と言ってもすごく長い)時代について、勉強をがんばるということで。

ただし、黄巾ノ乱までは、やはり「三国志以前」という気持ちが強いままです。
「桓霊」という、邪馬台国論争でも登場する、動乱期の代名詞の背景くらいは、分かっていたい。だが、早く「桃園結義」が見たいという衝動も抑えきれず笑
そういうわけで、順帝崩御から黄巾ノ乱までは、中央の政争をメインにダイジェストにしないと、読んでる側も書いてる側も飽きちゃうだろうね。羌・鮮卑の叛乱とか、徐州・揚州・荊州の難治とかをコッテリ描いていると、しんどくなると思います。
党錮ノ禁で、やたらと説教臭くなるのも避けたい。あくまで、「だまし、だまされ」を楽しく読むのが、『三国志』だと思っているので笑 080501

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