■三国志雑感>陳寿の人物選択眼を見守る(1)
会社の方と三国志の話をしてて「典韋伝」とか正史に載ってるの?という話になった。「ええ!分かりません」と答えながら、心の中に新鮮な驚きが。典韋って曹操にとっては欠かせない人物だったけど、護衛のような武官だし、陳寿がわざわざ「典韋伝」を作っているだろうか。うーん。 ※載ってました。 陳寿は、どういう人物なら伝を書いて、どう人の伝を立ててないんだろう。こういう(孔融)疑問がわいてきました。   ■陳寿『三国志』は事実じゃない 陳寿『三国志』は公平無私という触れ込みがあり、陳寿が書いてたら「事実」という言葉の使い方をする人が多い。ちなみに裴注に書いてあったら「事実かも知れない」で、『三国演義』に書いてあったら「ウソ」というのが「詳しい三国志ファンの立場」みたくなってる笑 しかし陳寿が書いてれば間違いなく「史実」であっても、「事実」とは限らないのです。   言葉の定義を揃えないと議論できないけど、歴史書に記述が残っている「史実」は、実際にこの地球上で起こったこと「事実」とは異なります。「史実」が「事実」かという検討は、歴史学が担当する分野で。 でもさあ、陳寿『三国志』に書かれた「史実」が「事実」かどうかという検討は、現実的に無理なんよ。他に参照する書物がないから。入れ子になった裴松之の同時代文書と比べるのが関の山。考古学的な発見も限定的だしね。朱然の墓が見つかったのは目出度かったけど、三国志ファンが知りたいような問題を解決してくれるようなものじゃなくて。 せめて、陳寿がどんな風に『三国志』を書いたか見守って、自分なりに「事実」を考える材料を集めてみるしかなさそうで。そのためには、陳寿が私(わたくし)に書いたから、人物伝だけになってしまった異質な歴史書の構成を見てみることに意味はあると思うのです。※一般的な正史には、人物伝以外にもいろんなコーナーがセットになってる。   ■陳寿の価値判断が見たい 陳寿『三国志』が事実ではないと言うと、陳寿の評価を下げるという論調になりがちです。でもそうじゃなくて。他の誰よりもあの時代に詳しかった彼が、どういう取捨選択をしたのか。彼の恣意性にこそ、魅力があるとぼくは感じます。 当たり前だけど、陳寿は彼自身が重要だと判断した人物の伝しか立てない。講談師たちは物語を単純化し、登場人物を減らして、庶民向けに『三国志』を加工していった。今日の日本の三国文化も『三国演義』が基調になってるから、陳寿がせっかく伝を立てたのに忘れ去れている人物も多いはずで。そんな奴らの復権ないしは再発見が目的です。   ぼくの勝手なメモですが「こいつ知らねえ!」という人の伝が立っていたとき、名前を青色にしてます。 もしお時間が許すなら、このサイトをお読みなってるあなたもご自身でチェックをつけてみて下さい。講談師の目晦ましに気づくはずです!
  ■『三国志』の全体の構成 言わずと知れたことで省略しますが、本紀は魏にしか立ってない。 魏書は30、呉書は20、蜀書は15。   ■魏書について 【01】武帝紀:もちろん曹操のこと。 【02】文帝紀:初代皇帝、曹丕。 【03】明帝紀:二世皇帝、曹叡。 【04】三少帝紀:パッとしない3~5世皇帝、曹芳・曹髦・曹奐。 【05】后妃伝:曹操から曹叡の正妻。 曹操とその一族(=魏の帝室)について書かれてました。   【06】董卓・袁紹・袁術・劉表:曹操に滅ぼされた漢末の群雄。 【07】呂布・臧洪:曹操が根拠地を初めて持った頃に関わった人たち。 【08】公孫瓉・陶謙・張楊・公孫度・張燕・張繍・張魯:小粒の群雄。 曹操が中原を勝ち抜くときに破ったライバルたちです。   【09】夏侯惇・夏侯淵・曹仁・曹洪・曹休・曹真・夏侯尚:親族の武官。 【10】荀彧・荀攸・賈詡:陳寿が一級だと認めた政治家3人。 曹操軍団を中核から支えた人たち。   【11】袁渙・涼茂・国淵・田疇・王脩・邴原・管寧:何だこりゃ? 【12】崔琰・毛玠・徐奕・何夔・邢顒・鮑勛・司馬芝:何だこりゃ? 【13】鍾繇・華歆・王朗:魏朝の三公になった帰順組だね。 曹操自慢の名士層がいきなり登場?漢字を出すだけでも苦労しましたわ。 彼らより、もっと早くに載せてほしい有名人はいっぱい残ってるよ。   【14】程昱・郭嘉・董昭・劉曄・蒋済・劉放:ファン待望の軍師たち。 【15】劉馥・司馬朗・梁習・張既・温恢・賈逵:辺境の統治官 【16】仁峻・蘇則・杜畿・鄭渾・倉慈:わからん! 有能な文官諸君が並んで登場だね。 中央で政策立案すると名士というよりは、現場に近い人たちかな。   【17】張遼・楽進・于禁・張郃・徐晃:第一級の武官! 【18】李典・李通・臧覇・文聘・呂虔・許褚・典韋・龐徳・龐淯・閻温:準一級の武官! 皆さん『三国演義』で馬鹿を見る役回りの、真に有能な強者たちです。   【19】曹彰・曹植・曹熊:曹丕にいびられた弟たち。 【20】曹昂以下、皇帝にならなかった曹氏一族29名。※省略 なぜここに曹氏なんだろう?   【21】王粲・衛覬・劉イ・劉邵・傅嘏:文化人? 【22】桓階・陳羣・陳矯・徐宣・衛臻・盧毓:立派な文官? 【23】和洽・常林・楊俊・杜襲・趙儼・裴潜:立派な文官? 【24】韓曁・崔林・高柔・孫礼・王観:立派な文官? 【25】辛ピ・楊阜・高堂隆:忠義で諫言のできる文官? 【26】満寵・田豫・牽招・郭淮:計略に秀でた文官? 【27】徐邈・胡質・王昶・王基:地方官としての功労者 知らない人ばっかりだよ。大国の魏を支えるには、陳寿が選ぶだけでもこれだけの優れた人物がいたんだね。そして(おそらく)日本人の三国志ファンは彼らのことをあんまり知らないね。ぼくは、自分の知識のザルっぷりに驚いてます。   【28】王淩・毌丘倹・諸葛誕・鄧艾・鍾会:魏を裏切ったとされる人々 【29】華佗・杜夔・朱建平・周宣・管輅:一芸に秀でた際物 【30】烏桓・鮮卑・東夷:魏に朝貢してきた異民族 裏切者・変態・人非人。おまけという配置で。
  次回は呉書と蜀書を見ていきます。 知らない人のオンパレードになったら怖いなあ。
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