■冀州
鄴が州都の、中原文化の発信地。
袁紹が根拠地としたけれど、官渡の後にネチネチと追い詰め、曹操が奪った。審配から奪うや否や、
曹操も鄴に移っているから、どれだけ使いやすかったか知れる。
張角の出身である
鉅鹿郡。趙雲が生まれた
常山郡。袁紹が董卓に太守にされ、冀州との初接点となり、袁尚が敗れた南皮がある
渤海郡。兗州と黄河を隔て、官渡の次の戦場となった黎陽がある、
魏郡。もちろん王朝の名前の由来です。
曹操が頓丘県令をやったのは、
陽平郡。劉備の祖がいた
中山国。劉備が相をやったのは
平原国。沮授の子がいた邯鄲があるのは
広平郡。
■青州
青州兵の響きはお馴染み。山東半島。
太史慈が出た
東莱郡。孔融の大先生が出た
北海国。太公望のいた
斉国など。
袁煕が治めていた。徐州の北に接しているから、劉備が匿われた。袁尚との対立に曹操の介入を招いてしまったので、平和に袁曹が交代した?
あ!あと、
劉琮の領国ですね笑
■并州
異民族と隣り合わせの山がちな土地。
丁原を出した九原のある
新興郡と、呂布を出した
太原郡と、張遼を出した
雁門郡がある。ちなみに、丁原はヘタレじゃないと思う。
袁紹時代には高幹が治めていて、高幹が曹操と戦った壷関を含む
上党郡も域内にある。
黒山は、河内郡と并州の境です。
■北平
幽州から、公孫度が自立した地域を除きました。適切なあだ名がなかったんだが、北京の旧俗称が「北平」らしいので、そこから取りました。無双4エンパも北平だったし笑
劉備と張飛の生まれた琢郡があり、
幽州牧の劉虞を公孫瓉が苛めた。
烏桓の侵入に苦しんだ。ちなみに公孫瓉が籠もった易京は、いかにも最北の幽州のイメージだが、冀州なんです。がっかりだよ。
■遼東
公孫度が徐栄のツテで辺境に飛んできてから、不能の公孫恭を経て、
公孫淵が「燕王」を領した土地を切り取ってみました。
■呉
説明の必要がないくらい、
孫呉の国名の由来。
呉郡はもちろんですが、
丹陽郡と新都郡も含みます。呉郡には、孫堅の故郷の
富春や銭唐、孫皓が封じられた
烏程、
海陵があります。丹陽郡には、都の
建業や孫策が攻めた牛渚、魏呉が戦った
濡須江や
皖城があります。
揚州は広いですが、影響のある都市はこの長江河口辺りに密集しています。そして、お膝元なのでさぞかし忠誠が高いかと思いきや、よく
山越が叛乱します。「丹陽を征伐して兵士を獲得」なんて、しょっちゅうです。
■淮南
魏と呉の衝突地点!
孫策の快進撃の
歴陽。張遼が孫権を襲った
合肥、満寵の面目躍如の
合肥新城。袁術さまが即位され、司馬氏への三叛があった
寿春。これらがあるのが
淮南郡(九江郡)。夏侯淵が牛緒を討ち、周魴の謀略の舞台となった
石亭があるのは、
廬江郡です。
淮水の南ですから、他に揚州の
蘄春郡と、豫州の
安豊郡と
弋陽郡も含めておきましょうか。
淮南郡と安豊郡と弋陽郡が魏領で、廬江郡と蘄春郡は呉領か?この入り混じり方をどう地図で処理しようか。。
■会稽
後漢の区分そのまま、会稽郡です。歴史ある広大な地域ですが、山ばかりで使いにくい。
王朗が太守をやっていて、孫策がぶったくって太守を名乗ってしまった。
後に北から、
臨海郡や
建安郡に分けられるけど、相変わらず広いだけ。孫権が、台湾(夷洲)や交州に行くとき使います。
■豫章
後漢でいう揚州の、
豫章郡と
鄱陽郡と
盧陵郡と、後に分けられた
臨川郡を含みます。代表して名前をどうするか悩みましたが、王朗と対?をなす
華歆が豫章太守だったことから、決定。
ここも山で、荊州南部の蛮に通ず。豫章郡には、孫策が劉勲を待ち伏せた
彭沢、許都襲撃のとき邪魔になった独立勢力がいた
上繚や海昏、柴桑と長江を挟む
九江があります。鄱陽郡も、やはり独立勢力の根拠地。『演義』の赤壁合戦は、朱元璋の鄱陽湖ノ戦がモデルらしい。ふーん。
盧陵郡は地味。周瑜が死んだ
巴丘という地名があるのが、同名の場所が多いみたいで。。遠いのですぎるので候補落選か。
三國無双4エンパでは「柴桑」の名前が付いてるが、孫権の都があるのは、長江対岸の
荊州江夏郡なのだ笑
■交州
最果て。無駄に地図でも広いが。
黄巾前に
朱儁が鎮圧にきて、
賈琮、朱符、張津と刺史を重ねるが、
士燮ファミリーに奪われる。210年に
歩騭が乗り込んでから、
呂岱と
載良、下って250年ごろは
陸胤が治めた。
有名な
交趾は南端で、ベトナム突入。他には、会稽郡と接する
南海郡、劉備が逃げようとした
蒼梧郡、海南島に向って突き出した
珠崖郡など。遠すぎて、もう三国志じゃない笑
次回は、複雑な荊州に行ってみましょうか。