読書録 > 宮城谷昌光『天空の舟/小説・伊尹伝』を読む

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『天空の舟』上;夏桀の臣としての伊尹

なんの工夫もなく、小説を抜粋。台無しですが。
宮城谷さんが4年かけて書いた話を、無遠慮に圧縮します。

大洪水_011

伊尹の母は、夢をみた。伊尹を抱いている伊水の神女に会った。神女はいう。「かまどにカエルが乗っていたら、洪水になる」と。
おなじ邑の巫祝は、伊尹の母の夢を否定した。伊尹の母はいう。「太陽が天に10個でたとき、巫祝は予言できなかったではないか」と。中央の暦象官は、太陽の運行をつかさどる。太陽を1つずつ迎え、1つずつ送るのが役目である。10個も太陽が出たのは、暦象官のサボりと見なされた。暦象官がサボることで、夏家の天命が終わりに近づく。

ぼくは補う。いま夏桀の父の時代。つぎに夏桀がたち、夏桀までで夏家は終わる。この小説で、夏桀と商湯が出てくるのだが、この登場人物は固定である。安心して読める。

4年前、昆吾氏が夏家への協力を中断して、帰国してしまった。

昆吾氏は、夏桀と商湯とともに、当時の天下を3分する勢力。昆吾氏は、孔子がほめるほどの、夏家の暦をつくった人たち。最後まで、主人公格として出てくる。夏家か商家が天下を取らねば、昆吾氏が天下をとっていたかも知れない。歴史書に記されていないが、昆吾氏は「王」を自称していたかも知れない。少なくともその資格=権力はあった。というのが、あとから出てくる、宮城谷氏の説明。


洪水がきた。伊尹の母は、逃げ切れなかった。伊尹の母は、『呂氏春秋』によると「化して空桑となる」とある。伊尹を抱いたまま、桑の木に化けた。おそらく洪水に飲まれるとき、伊尹を桑の空洞に隠した。桑の木は、伊水、洛水、黄河、済水と200キロ流され、有莘氏の邑にきた。
桑は神木であり、太陽を生むと考えられた。

このあたりの太陽に関する神話は、儒家経典などで検証しなければならないだろう。商家=白を尚ぶ=太陽信仰、という連想が、伊尹と桑を結びつけている。

莘侯(莘后)は、伊尹を入手した。莘后は太陽の入手を喜びつつ、伊尹に莘邑をのっとられることを警戒して、料理人に養育させた。伊尹は牛を裁けた。

牛刀を刃こぼれさせない難しさは『荘子』にある。

莘后は、夏家の初代・禹王の母の血筋である。だが莘后は、昆吾氏に比べると爵位がひくい。昆吾氏は、つぎに夏王になる桀に接近して、権勢を増した。莘后は、爵位を上昇させたい。

まだ「爵位」はないのだろう。『天空の舟』では「伯」の称号がほしくて、みなが競っている。ぼくがかってに丸めて「爵位」と書いているだけです。


伊尹は莘后に連れられ、夏王の発(夏桀の父)の前で、奇跡的にうまく、牛を裁いた。莘后は、夏発に伊尹をあずけた。

ぼくは思う。夏家との関係性は、儒家経典から見いだすのは難しそうだ。このとき夏家の時代なので、宮城谷氏がムリにでも、夏家と伊尹をからませたのだろう。『天空の舟』上巻は、ずっと夏臣としての伊尹が描かれる。下巻のはじめに、商湯に招かれる。つまり上巻は、まるまる創作なんだ、きっと。
この期間に伊尹は、常識的な夏臣として、不気味な遠方の反乱者としての商湯を眺めることになる。夏商革命に限らず、革命の「非自明性」を読者が飲みこむためには、この上巻が必要なんだろう。夏商革命は、自明ではない。やはり商湯は反乱者に過ぎず、かなりの虚飾や欺瞞、ヨコグルマがある。


王宮での生活_041

伊尹は王宮の果樹園で、王子の桀が官女と交わるのを見た。「豺狼のような目だ」と思い、伊尹は夏桀のうでに噛みついた。
伊尹は、桑から生まれたという伝説を否定して、「母親が私を桑の木においた」という。だが夏桀から「性教育」を受けると、自分が桑から生まれたことを信じたくなる。「こんな狂暴な者が、王子とは」と伊尹はがっかりした。
夏発は、「王子の桀が伊尹に腕をかまれるとは、太陽を敵にまわすということでは」とおそれた。

伊尹は夏桀にがっかりして、「人の偉さはどこからくるのか、本当に偉い人が王になるべきである」と、革命家の思想をもった。
伊尹は夏発のはからいで、夏家の史家のもとで勉強した。呪術も勉強した。伊尹の「尹」とは聖職者である。王朝の祭祀の責任者になる素養を身につけた。

ぼくは思う。このあたり、夏発に気に入られて、教育を受ける伊尹は、この小説の独創だろうか。夏桀との対立も、フィクションだろう。夏発に近づきすぎ、夏桀とぶつかり過ぎるのは、小説をおもしろくするための仕込みである。史書では、はじめから殷湯に仕える。
おかげで『天空の舟』の伊尹は、夏家の裏切り者である。裏切り者だから、どうも伊尹の立場が煮え切らなくなる。その代わりに伊尹は、夏家の内部に入り込んで、夏家の人脈模様を描くためのハブにもなった。

伊尹は、夏桀の狩猟に同行させられた。夏桀が、伊尹を射た。夏発に助けてもらった。夏発は「伊尹をいじめる夏桀は、夏王にふさわしくないかも」と考えるほど。

伊尹に加担する、夏発(夏桀の父)というのは、まるきりフィクションである。伊尹に対する、主人公としての補正が働いている。


『博物志』いわく「伊尹は黒くして短し」という体型である。伊尹は19歳になった。

ぼくは思う。『博物志』に伊尹が載っているのか!


商の叛乱_076

伊尹の養父である、莘后が死んだ。伊尹は莘邑に帰った。

ぼくは思う。伊尹と莘后の関係も、この小説のフィクションか。莘后は、夏桀の正妃である末喜の実家という設定である。いまググったら(ぼくは夏家について、ググる程度の知識しかないのです)末喜は施氏の出身らしい。『天空の舟』の莘后と、施氏が、どういう関係になっているのか、それすら分かっていない。
伊尹は、育てられた莘后の家で、子供時代の末喜とであう。ほのかに好意を寄せ合いながら、でも末喜は夏桀にもらわれてゆく(『天空の舟』では、伊尹が莘后を守るために、末喜を献上させる)。夏桀とともに亡国の遊びをする末喜を、伊尹が遠くから思慕する、、という、なんだか気持ちわるい話になっている。
ぼくは思う。もし末喜を伊尹に近しくするなら、末喜は人間として描かれる(感情移入の対象となり得る)べきである。その努力の痕跡は見られる。「夏桀と一緒に過ごす末喜は、狂ったふりをして自己防衛するしかないよね」と、伊尹が好意的に解釈したり。だが途中から、末喜が色ぐるいになって、手がつけられなくなる。性的な扱いがザツになる。主人公の伊尹も、末喜に説明を加えなくなる。
伊尹を、夏家に近づけすぎたことで、この齟齬が生まれたんだろう。一貫して商湯の味方たる伊尹をえがけば、末喜への思慕や理解など必要ない。ハンパに末喜と伊尹を近づけるから、伏線を回収し損ねるのだ。しかし、夏家に接近しなければ、青年期の伊尹を描くことができない。史料にないから、埋没してしまう。ジレンマの痕跡を読み取れる。


帰った伊尹は、莘后の末娘=末喜とあった。「これほど美しい女が、夏家の宮中にいただろうか」なんて、恋愛の伏線ぽい話になる。
つぎの莘后(先代の長子であり、末喜の兄)は、伊尹と話した。伊尹は「王が興るきざしが、南の天にある」という。南には商(殷)がある。
伊尹の発言について、宮城谷氏が解説する。夏家以外から王がでるとしても、夏家をひらいた禹王のごとく、超人的な有徳の君主にしか資格がない。禹王であっても、先帝を補佐した功績により、禅譲されたと語り伝えられる。いま(夏発期)に、それに該当する功臣はいない。

商の首邑は「亳」である。地上の建造物の象形である。高床式の社廟にもみえる。「亳」がある土地、という一般名詞か。
商民族は、さまよえる遊牧民かも知れない。2頭だての馬車=戦車を発明した。兵車を歩兵がかこむ「軍」を発想したのは、商である。
商湯にひきいられ、商家が起兵した。『孟子』によると商は、葛伯にバカにされて、祭祀の犠牲をまきあげられた。だから商湯は、15キロ離れた葛伯を滅ぼした。伊尹が予言した、南の王者とは、商湯のことなのか!

北からの凶風_108

新しい莘后は、葛伯の滅亡にびびった。莘后の妹(末喜)は、おちついて戦況を分析する。滅亡した葛邑から、逃亡者が莘邑に流入した。

葛邑の逃亡者が、オリジナルキャラとして、伊尹のまわりでウロウロする。故郷を破壊した、殷湯に怨みを持ち続ける。征服者としての商湯を描くための装置だと思う。しかし、決定的な役割を果たすことなく、商家と、商臣となった伊尹になじんでしまう。

商湯が叛乱するのに、夏家は動かない。夏発が崩じて、夏桀が即位したのでは、と伊尹は推測した。伊尹は(フィクションにおいて)自分を可愛がってくれた、夏発の死を悲しんだ。「王よ、王よ」と。

莘邑の危機_128

夏桀は「弱小の商湯が、単独で起兵するはずがない。莘后が協力しているに違いない」と、誤った推論をした。夏桀は、莘邑をつぶすために出陣した。
莘后は「伊尹のせいで、夏桀からあらぬ疑いをかけられた」と伊尹を怨んだ。末喜は、兄の莘后を説得して、伊尹を助けたい。

ぼくは思う。末喜が、みょうに理知的で、また伊尹に接近する。これは、つぎに「伊尹が末喜を生贄にする」ことの、悲惨さを盛り上げるための伏線である。末喜は、いちど感情移入の対象になったかと思いきや、物語の齟齬のあいだに消えていく運命。伊尹との恋愛は成就しない。

末喜は「草の声」を聞いて、民衆の意志を感じとり、伊尹が無罪だと信じる。また末喜は「世をうるおす雨は、下から上に降らない」という考えのもと、民衆が気ままで恩知らずなことに納得している。
末喜は伊尹に「莘邑を救ってほしい」という。伊尹は「末喜が、夏桀のために生贄になれば、夏桀が機嫌を直してくれる」と提案した。末喜は、実家の莘邑を守るために、夏桀のもとにゆく。

いけにえの使者_162

夏桀は、昆吾氏を動かし、莘邑を攻める。
伊尹は夏桀の陣にもぐりこみ、莘邑への攻撃を中止させるために工作した。伊尹がつかったロジックは、「もし夏桀が、無罪の莘邑を伐てば、どうなるか。天下の諸后(諸侯)は、夏家を見限るだろう」という脅迫である。

舟の橋_192

夏桀は、伊尹のせいで、伐とうと思った莘邑を伐てなくなったので、イライラした。夏桀は伊尹と面会した。
夏桀は、「朕は胸が悪くなるほど、伊尹が嫌いでな。翌年の即位の儀式で、伊尹の頭蓋をさかずきに使いたい」という。即位は年越しをしてからだ。殺されそうな伊尹は、男装した末喜を差し出した。目の前で、女装にもどした。夏桀の機嫌がなおった。伊尹は死なず、莘邑は滅びずにすんだ。

儒家経典は、末喜が陰陽を乱すことを、男装に象徴させる。だが、せっかく伊尹に接近した末喜を、男装趣味の者にすると、ただの変態となる。だから、戦場を走り抜けるためのカムフラージュにしたり、夏桀をギャップで驚かせるための演出にしたりする。うまく消化しているw


商湯は、東方ににげた。夏桀が追ったが、ムダに終わった。商湯は、いちど退場。再起して、東南を平定してから、夏桀に戦いを挑むことになる。
夏桀の主軍は、昆吾がひきいている。昆吾は、伊尹の活躍をみて、伊尹をほめた。昆吾は伊尹に仕官を誘った。伊尹は喜びつつも、夏発に可愛がってもらったので、昆吾に仕えるのを断った。

ぼくは思う。夏王と昆吾は、ほぼ匹敵する勢力である。その両方から、伊尹が評価された。しかし伊尹は、諸事情にいたずらされて、どちらにも仕官しなかったと。まるっきり、主人公の補正である。のちに天下は、夏桀、昆吾、商湯の3つが分割する。伊尹は、すべてから評価され、人脈を持っていたと。物語を描く上では便利だが、あまり現実味がない。『天空の舟』のなかでも、伊尹は昆吾に仕えずじまいである。伊尹を誘ってくれた昆吾の君主が、さきに死んでしまうから。未遂なら、大勢に影響しないから、なにをやっても良い。というのが技法であるw
宮城谷氏の主人公は「自分探し」が得意であり、成就しない回り道をよくする。それによって、時代の全体像を描けるのだから、それもヨシなのか。


野人二人_237

夏桀が商湯を伐てずに、むなしく帰還した。『天問』いわく「桀は蒙山を伐ち、なんの得るところぞ」 と批判するように、成果のない戦い。歴代の夏王は近畿を出ないのに、夏桀はむこうみずに外征した。宮城谷氏は、夏桀の勇気をほめる。
夏桀は、誤解して莘邑を伐とうとしたので、キマリが悪い。だから伊尹を免官した。伊尹は、莘邑のそとで、野に独居した。集団生活せねば生産を維持できないはずなのに、伊尹は個人でやりくりした。独自に土に働きかけて生産するのは、王朝に対する反逆の意味をもつ。のちに商湯は、伊尹がひとりで作った生産の空間を見て、伊尹の力量を評価する。

このあたりは、自分で耕作した諸葛亮に似ている。生産する階層でない者が、生産をする。あ、伊尹は奴隷の身分だから、生産者で良いのか。ともあれ、賢者が閉じこもって、ちいさな生態系をつくる。こういうイメージは、「三顧の礼」を誘発するパターンである。下巻の冒頭で、商湯は伊尹を、なんども訪問する。


夏桀は、末喜におぼれた。地震がおきて、夏桀が死んだという風聞が流れた。商湯が、東方で復活した。伊尹は10年間、ひきこもった。

伊尹のネタ、ないのだろう。


仲虺暗殺計画_261

商湯は、祭祀の力によって、東南の諸族を屈服させた。商湯をささえたのは、仲虺である。のちに商家の宰相となる。軍事がうまい。
夏桀の近臣は、仲虺の暗殺を試みるが、失敗した。

なんだか、オリジナルキャラが、仲虺を暗殺しようと、ゴチャゴチャやる。暗殺の場面を通じて、仲虺の人柄を表したかったのだろう。

仲虺は「慇懃なところもあるが、むしろ冷腸な男」だと。

よくわからん。説明するな、描写せよ、というやつ。


東方会戦_287

実質的には天下分け目のいくさが始まろうとしていた。だが奇妙なことに、夏桀にも商湯にも、その意識は欠如していた。
夏桀が配置をまちがえた。昆吾がいないところを商湯に攻められ、夏桀が大敗した。殷湯の戦車が、強かった。天下が混乱しはじめた。

伊尹が出てこないんですけど。いいのか。


商からの脱出_328

莘邑の人々は、夏桀に従軍して、負傷して帰ってきた。莘邑は、伊尹の医術をたよった。伊尹は医術もできるのだ。
莘后は、妹の末喜を夏桀にさしあげてる。商湯が攻めてこれば、莘邑はつぶされる。だが商湯は、莘邑をつぶす意図はない。

商湯が莘邑にきた。伊尹が運ばれた桑の木を見て、伝説に興味をもった。だが伊尹と面会すると、伊尹がみすぼらしいので、商湯は興味を失った。のちに商湯は「人材を見落とした」と恥じることになる。

ぼくは思う。伊尹と莘邑のつながりは、フィクションである。だから、この機会に、歴史の歯車が回転してはならない。商湯と伊尹が接触しつつも、未遂に終わらねばならない。わりと、パターンが読めてきた。参考になるなあ。

伊尹は、商湯から離脱した。商湯はせいぜい30年。商湯が死ねば、夏家の天下がふたたび安定すると考えた。

ぼくは思う。いかにして、何百年も続いた夏家が、革命で滅びるのか。いかにして伊尹が、革命を現実のものとして受け入れるのか。これを物語のなかで、ウォッチせねばなるまい。


土笛の少年_356

伊尹は、夏桀の土木工事え、父を生き埋めにされた少年をひろった。この少年が、咎単である。物語のなかで、とがった動きをするわけではない。

西方の花_380

末喜の身辺は静かである。曝気の実家・莘后は、商湯に降伏した。だが夏桀は、末喜を退けない。夏桀への朝見に、莘后は欠席した。だが、商湯に破れた夏桀を見限った者がおおいので、莘后の欠席はめだたない。
西方の戦利品として、娘が献上された。夏桀は、末喜を正妃から外さないが、新しい娘を愛するようになった。

楽園の夢_403

商湯は「王」を自称し、成湯元年と記される。成就した湯王、という意味である。
夏桀の寵愛が去り、末喜が宮殿のそとにでた。末喜と伊尹は再会した。末喜は伊尹に、キャラの崩壊を言い訳しつつ、「商湯を暗殺しろ」と命じた。
伊尹は、けっきょくこの命令を守らない。伊尹と末喜は、どうにも行き違ったまま、気持ちわるいまま物語が進行する。最後まで、ズレは解消されない。130524

ぼくは思う。末喜が伊尹と会うのは、確かこれが最後。伊尹は、上巻では夏臣だが、下巻では商臣に化ける。接続があいまい。4年もかけて小説を書いてれば、キャラがボケるよなあ、という気がした。
なんだか、いろいろ伏線とか、思わせぶりなセリフとか、一読したときには引っかかったが。数日たち、物語の骨格だけ見ていると、わりに伊尹は「どうでも良いところにいる」のがわかる。膨らませるのも、ほどほどにか。

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『天空の舟』下;商湯の臣としての伊尹

やっと「有史」時代に突入した、伊尹伝。

湯の訪問_011

商湯は、15年前に伊尹が「南に王が興る」と予言し、それが自分に該当することを知って、伊尹に興味をもった。伊尹を訪問した。伊尹は湯王に、説教した。
伊尹はいう。夏禹の子は、夏啓という。夏啓は、王位の略奪者である。なぜなら夏禹は、じぶんの臣下に禅譲して崩じたから。だが夏禹が指名した者は、徳が薄かった。だから夏禹の実子である夏啓が、王位を略奪した。反対者である有扈氏は「王位は君臣で継承すべきで、父子が継承すべきでない」という。夏啓は有扈氏が納得してくれないので、質素にすごした。やがて有扈氏が降伏した。夏啓ののち、父子の継承がふつうになった。いかに夏桀が暴君でも、君臣の継承はむずかしい。

ぼくは思う。革命のロジックが、宮城谷氏の見解として語られている。ところで『天空の舟』では、夏桀をそれほど暴君としない。かといって、新しい夏桀を描いてるわけじゃない。暴君ぶりを縮小コピーしただけである。ちょっと惜しい。伊尹と感情的に対立したから、それ以上の説明が必要なくなってしまった。


伊尹はいう。夏家の暦は、昆吾氏がつくる。だが昆吾氏が夏家に協力していないので、暦がズレはじめた。暦がズレれば、農耕に失敗する。殷家では、独自の暦を制定せよと。
商湯が誘うと、伊尹は「私は夏発に恩がある。もし商家が夏家と和睦するなら、商家の使者として、夏家に行ってもよい。夏家のなかには(小説オリジナルの)人脈もあるしね」という。

『書経』はいう。むかし成湯すでに命を受く。ときに、すなわち伊尹のごときありと。後世に伝えられるほどの絶妙な主従がうまれた。
『孟子』は、商湯の3度目の訪問のとき、「われは天民の先覚者なり」と商湯が言ったとする。孟子の脚色だろうが、よい感じである。

入貢の使者_043

伊尹は、夏桀のまえで、商湯との仲直りを説いた。夏桀は、昆吾との関係が悪化しているので、商湯をゆるした。伊尹は「わたしは、夏桀と商湯、どちらの臣だろう」と首をかしげた。夏家と商家、どちらが存続すべきなのか、伊尹はとくに意見がない。

ぼくは思う。夏家と伊尹との関わりは、『天空の舟』オリジナルである。もとは伊尹は「夏臣としての私」を抱え込まなくて良かった。そこに宮城谷氏が重荷を課した。
でも、まあ、『天空の舟』ほど伊尹が夏発に接近しなくても、「夏の民としての私」という自己認識から、革命に躊躇したのかも知れない。いや、それは漢代の民の発想であって、この時期は「夏の民」なんて自己認識はないか。とくに帰属する邑について、儒家経典の記述がないし。
「どちらの王朝の臣下か」という問いが、きわめて漢代以後的なものなのかも知れない。『天空の舟』の伊尹は、漢代以降の文化を標準とする、すなわち天下統一を前提とする価値観を投影されている。ただし、漠然と「オレは夏家の民で」と言っても、それは説明になってしまうので(描写にならないので)夏発とのエピソードが創作された。

夏臣は、商湯に冷たい。伊尹は、仲直りさせたい。

有洛氏の怪_067

じつはこの時期、夏桀が東征したら、商湯は負けていた。飢饉だったから。しかし夏桀が、南方の荊蛮を攻めたから、たすかった。
昆吾が、有洛氏とむすんで、夏家に敵対するらしい。
伊尹は「商使」として、夏邑にいた。夏の歴史と暦を学んだ。

関龍逢の死_097

有洛氏は、邑内の池を大きくする。夏桀への謀反にも思われた。夏桀は、有洛氏を弁護する重臣・関龍逢を殺した。

伊尹は、夏邑のなかでおとなしくしている。おそらく、夏家と商家を和睦させる使者、というのもフィクションなんだろう。夏桀の周囲で、疑心暗鬼となり、重臣がつぶしあうところを描きたかったので、むりに伊尹を夏邑のなかに置いたのでは。
などと、フィクションと決めつけながら、儒家経典に「伊尹は商使となり、夏邑にいた」という記述があったりして、ぼくは恥をかくのだw
関係ないけど、今朝おもったこと。
殷の太陽は10個で、9個は桑の木に待機する。たまに10個すべて出てきて、地上を焼き尽くす。周の太陽は1個しかない。これは近代科学の知識の有無ではなく、王朝間の思想的な対立。月が1個なのか15個なのかも、天に関わる思想の対立。『蒼天航路』曹操と許褚は、出会い直後から話題が重かった。まるで初対面で、学歴と年収を詳細に比較しはじめる2人の男みたいに、無遠慮である。
平勢隆郎『都市国家から中華へ』を、日の出前に散歩して読んだ。
ぼくは思う。戦国時代の思想(『春秋』三伝等の史書や諸子百家)は、領域国家を前提とする。その思想のもと、陳勝や項羽も戦国なみに戦った。前漢後期、統一国家の思想として再編集(=曲解)された。後漢初、戦国と戦い方が違うなら、思想の再編集の成果。後漢期にさらに再編集され、後漢末の戦い方を規定した。
「統一国家むけに思想を再編集」という人為がなければ、自然の地勢(戦国6国なみ)に分裂するのが常態。戦国→統一→戦国、という機械的な反復のみ。だが思想の再編集により、2回目以降の「戦国」では、戦い方のルールが都度かわる。ルールの違いを見極めないと負ける。後漢初の更始帝、後漢末の袁術。
というわけで、領域国家のさらに前段階である都市国家である、夏末殷初を読むときに。あたかも漢代のような、そうでなくても、戦国のような、そうでなくても春秋のような、感覚を持ち込んでいないか。現代ドラマ「水戸黄門」を史実として検討していないか。という視点が重要なのです。
夏家も殷家も、漢代になってから遡及して「天下の王朝」の先駆けと見なされた。だから伊尹の戦いは、天下の正統論をめぐるものと思われがち。だが実態は、都市のあいだで、綱引きをしているだけ。伊尹に「2つの王朝に仕える」葛藤をさせるのは、的外れなのね。イメージしやすいだけに、ワナに墜ちやすい。
ぼくは思う。時代劇と刑事ドラマ。『春秋』や諸子百家の思想書は、戦国期に成立。戦国期の史料で春秋期を知ろうとすれば、現代日本の時代劇で江戸期を分析するのと同じ陥穽がある。戦国期の史料で戦国期を知ろうとすれば、時代考証は正しいが、刑事ドラマで今日を分析するのと同じ陥穽がある。ドラマをおもしろくするため、警察制度がディフォルメされていたりする。同時代史料だからといって、丸呑みできない。
どちらも史料批判が要請されるが、頭の使い方がちがう。


摯の結婚_139

商湯は、じぶんの娘を伊尹にめとらせた。仲虺が養育している娘だった。
夏桀は、建築に熱中した。「商湯が夏家に朝貢するなら、商湯が昆吾と有洛を伐て」と、ぶつけてきた。商湯は苦戦した。さらに夏桀は、伊尹をつうじて商湯に、建築にもちいる象牙を要求した。

ぼくは思う。昆吾の帰趨が、わりにカギのようです。けっきょく昆吾は、商家との戦いに敗れて、北方に逃亡する。昆吾が逃亡した瞬間に、夏家も維持できなくなり、同じく北方に逃亡する。昆吾は、夏桀がそばに逃げてきたので、巻き沿いをきらう。


湯を待つ罠_160

荊伯が、有洛に味方して、商家に敵対した。だが有洛が陥落すると、荊伯はひきあげた。商家の呪術を畏れたからだ。商軍はあちこち徘徊して、地面に呪いをかけた。地面は聖域となり、荊伯を遠ざけた。
商家は夏桀のために、有洛と荊伯をやぶった。だが「象牙の到着がおそい。象牙を出さないと、戦功も帳消しだから」と判断した。商湯を謀殺する計画がねられた。

一大凶変_179

伊尹の子・伊陟が生まれた。伊陟は、9代の太戊のときに宰相となる。殷王は兄弟で相続したので、代数が大きくなっている。
仲虺が南方をまわって、商家の味方とした。天下が三分した。黄河をはさむ肥沃な地域を、昆吾がおさえる。夏の首邑がある河南と、それより西は夏家である。東方と南方は、商家がおさめた。

ぼくは思う。周家は西戎から出てくる。商家は、もとは中原のなかにいるが、統一の過程では東南から出てくる。東南から起こって「天下」の勝者となるのは、明朝をまつ必要はない。淮水や汝水のあたりの氏族を味方につけたり、殷家の統一戦争は東南からのものだ。


商湯が、夏桀の王宮に行ったまま消えた!
そのあいだ、商湯の長子である太丁は「商室の祖霊が降りた」ので、キャラが変わった。気が強くなった。商湯がぶじに帰還するまで(ネタバレ)太丁は商家を支えた。商湯が帰還すると、すぐに死んだ。

ぼくは思う。漢代の史料を読んでいると、「正統とは」という観点で、状況がうごく。じつは正統の理論をカウントすべき情勢のほうが、よほど複雑である。ぼくらは、正統の話になじみすぎて、かえってバランス感覚がくるっていないか。
夏末殷初のように、漢字が使われていない時代は、まったく即物的に勝敗が決まる。正統なほうが勝つのでなく、強いほうが勝つ。夏桀が商湯を幽閉してしまえば、それで勝負はおわりである。


夏台の囚人_203

夏桀と昆吾がむすび、商湯は幽閉されている。伊尹が奔走して、象牙を夏桀におさめた。
商湯は「夏台」に幽閉されている。陽城にある官獄であるが、これは夏禹が最初の首都にした場所である。商湯は、夏王ですら立ち入れない場所に入れてもらったので、「天命を受けられる場所だ」と却って強がって喜んだ。
伊尹は、幽閉された商湯のもとに、出入りできた。

陽城の暗闘_225

夏桀は、象牙をもらったので、商湯をゆるした。
3年目に、憔悴した商湯は帰国をゆるされた。夏桀の近臣が、商湯を殺そうとした。だが東方の費伯が、商湯を助けてくれた。費伯は、商湯に味方する軍として、夏桀の討伐に従う。

ぼくは思う。『天空の舟』は、夏桀の近臣の4名くらいに、名前とキャラを与えて、動かしている。どこまで儒家経典に基づくのか分からないが、ゼロサムゲームなので、引用していない。商湯を帰国させるときも、近臣で暗闘があったことになっていた。
また、商湯の暗殺にあたり、オリジナルキャラが、いくつか消費された。名場面だから、人生の総決算を述べさせ、殺すにはちょうど良いのだろう。


商軍の敗退_258

商湯が奇跡的に帰還して、内政に専念した。
商湯の孫は、太甲である。『書経』で伊尹は、太甲に向けて指導をする。「商湯の政治は、話を聞けるのが長所だった。聞くことが善政である」と。上は神霊の声、下は庶民の声をきけと。のちに伊尹は、太甲を幽閉するが、その理由が「太甲は聞けないやつだから」である。

これが伊尹と霍光の故事である。


商湯は周囲を切り取りにかかったが、昆吾に破れた。費伯が(夏桀を見限って)味方になってくれたので、商湯は持ち直すことができた。

ぼくは戦いの描写に、ほんとうに興味がないw


大反攻_285

南方の諸勢力が、商湯に味方した。殷家の宗教をひろめたからである。九夷が駆けつけた。かつて伊尹は、夏桀にむけて「九夷を得る者が、天下を得る」と話したことがあった。いま商家のために九夷を集めたのは、伊尹である。

昆吾連邦の崩壊_313

かつて夏邑で、伊尹に歴史と暦を教えた高官が、夏桀と対立して、商湯のもとに亡命してきた。商湯は喜んだ。
このとき、太陽が3つ天にでた。

ぼくは思う。春秋晋の三晋氏、春秋魯の三桓氏など、3つの勢力の鼎立は、史書が好むパタンである。関連する儒家経典を読んで、三国志を楽しむ材料にしよう。

夏桀、殷湯、昆吾である。
商湯は「3年以内に決戦を終えないとムリ」という伊尹の予言を信じて、急いで討伐をやった。昆吾は北方に逃げた。伊尹は、断崖から兵士をつりあげ、夏邑への近道を主張した。仲虺は遠回りを主張したが、採用されなかった。

鳴條の戦_338

伊尹は、夏邑に入った。伊水のあたりで、出生の秘密を調査した。伊尹に夏邑を委任して、商湯は夏桀を追った。鳴條で決戦した。急遽の会戦のせいで、商軍が鳴條を祓い清めていないので、商湯は地に足をつけることを嫌った。邪霊に取り憑かれるかも知れないからだ。
商湯は夏桀に「中原から去れ」と勧告した。

桑林の雨_364

夏桀と末喜は、南方に流された。孔子が「夏正をつかえ」と言ったように、夏家の暦は優れていたので、これを使うことにした。

ぼくは思う。ページ数にして、あと20分の1しかない。伊尹の真骨頂は、商湯の死後に、幼い君主を補佐するところである。伊尹の故事だって、そこに着目したものだ。架空の夏臣としての振る舞いとか、統一戦争の水面下の交渉ごとなど、伊尹でなくてもできる。なんのための伊尹伝か。
後漢の光武帝の『草原の風』も、統一戦争だけで終わってしまうらしい。古本の値下がりと、文庫の出版を待っている、セコい状態ですみません。宮城谷氏は硬骨漢のようでありながら、わりと約束の「冒険活劇」を描く。義務的にでも描く。色恋についても、ムリに挿入してくる。けっきょく、モノにならない。

商湯は日照に苦しんで、みずからを生贄にした。伊尹が指定した日に、生贄の儀式をしたら、雨が降ってくれた。

商湯が死んだ。後嗣の王が、2名つづけて喪中に死んだ。服喪は、精神力を鍛える通過儀礼だが、それに堪えられなかったからだ。商湯の孫・太甲が殷王になった。だが太甲は、伊尹が2名の殷王を殺したと疑った。
伊尹は、王宮で官女をおかす太甲が、夏桀とそっくりだと思った。太甲を桐宮に放逐した。桐宮のなかで、太甲に憑依した夏桀の霊が、殷湯の霊によって追い出された。

ぼくは思う。伊尹は、なぜ主君である太甲を放逐したか。これが最大の問題である。『天空の舟』は、夏桀の霊のしわざにした。このためには、『天空の舟』が前半でやったように、若き夏桀と伊尹を巡り合わせねばならない。上巻すべては、太甲の放逐を説明するための伏線だった。つまり、放逐の理由が悪霊であることを伊尹に悟らせるために、話を読まされたのである。
これでいいのかな。

伊尹は「阿衡」とよばれた。

ぼくは思う。彼らがどういうルールで戦っているのか、その理解が、作者と読者のあいだで合意されていないと、小説は楽しく読むことができない。たとえば『三国演義』は、日本の戦国時代ものとともに、江戸時代の前半に受容された。つまり『三国演義』は、日本の戦国時代と共通のルールだと、暗黙のうちに設定されて読まれた。日本の天皇、足利将軍、兵器や戦法などへのイメージが、スライドした。
いま伊尹の話を読むぼくらは、なんと江戸時代の前半と同じく、日本の戦国時代ものの歴史小説と横並びで、宮城谷氏の小説を読む。最大に接近して、吉川英治『三国志』とか、司馬遼太郎『項羽と劉邦』のあたまで、宮城谷氏の歴史小説を読む。だから、登場人物は、日本の戦国時代ものと前提を共有していると思いがち。
だから、商湯が宗教によって南方を制圧するとか、戦場に呪詛を埋めこむとか、正統の理論が不在だとか、これらの舞台設定にとまどう。
同じことは、中国の戦国期以後の儒家経典を通じて(というかテキストは戦国期以後のものしか読めない)春秋期以前を理解しようとしたとき、困難が発生する。
『天空の舟』を読み、もしくは儒家経典で伊尹を読んだとき、なんだか噛みあわない感じがしたら、ルールのズレを疑ってみるといい。おそらく『天空の舟』では、なるべく『三国志』や『項羽と劉邦』の世界に近づけて、描かれていたから、ズレを感じにくかった。
というか、宮城谷氏が参考とした資料が、戦国期や漢代のものだから、「史料に忠実に」描いただけでも、すでに史実をベースにするという意味での歴史小説としては、大きなズレを前提とせざるを得ない。
などと思いながら、とりあえず伊尹について知識を収集し始めたところです。伊尹について、これからも続けます。


小説を台無しにしながらも、よくブックオフに並んでいる『天空の舟』が、どういう話の本なのかは、いちおう抜粋できたと思います。130524

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