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これならわかる漢文の送り仮名

古田島洋介『これならわかる漢文の送り仮名』
14年2月に読みながらツイートしたことを、まとめます。

助詞「が」は、主語を表すときには絶対に使わず、所有を表すときだけに使う。助詞「は」は、主語を取り立てて示す。複数の主語を比較・対照するとき、目的語を動詞の上に提示するとき、「は」を添える。だが主語だからという理由だけで「は」を添えるのは好まれない。

古語「す」はサ行変格活用で、未然形は「せ」です。だから、否定するときは、「さず」ではなくて「せず」になる。超基本だけど、平気で間違えてきた自分が恥ずかしい。「帝を号さず」でなく、「帝を号せず」と言わねばならない。おー恥ずかしい。

「うらむ」「しのぶ」は、四段活用に思われがちだが、訓読では上二段活用として扱う。否定は「うらみず」「しのびず」とする。(「うらまず」「しのばず」としない)。中世は上二段活用だったが、近世以降は四段活用が優勢になった。だが訓読は、中世を残す。

「得(う)」は終止形だが、これが文末にくると座りが悪いので、「得たり」と完了の助動詞をつけることが多い。「似たり」も多い。それ以外、完了の助動詞「り」は、サミシイだけにつく。つまり「サ」行変格活用の「未」然形(=せ)か、「四」段活用の「已」然形にしかつかない。


みづから/おのづから

和刻本で「自」の右肩に「オ」と書いてあったら「おのずから」で、「ミ」と書いてあったら「みずから」。漢字の読み方を送り仮名でも表現できないから(「ずから」「から」「ら」が共通してしまう)こう書かれる。古田島洋介氏で読んだが、さっそく和刻本で出会った。

「曰」の右肩に、「い」をつけたら「いはく」、「の」をつけたら「のたまはく」と区別すると、古田島洋介『これならわかる漢文送り仮名』44頁にありました。

「のたまはく」の使用は任意の措置です。孔子の発言について、必ずしも「子のたまはく」と訓読するには及ばず、単に「子いはく」と訓じても差し支えありません。同書87頁。ただし同一の文で、規則なく混在させるのは避けるべきと。古田島氏の本は「任意」が回答のようです。

形容詞の活用

「大いに」は「大きに」の音便が漢文訓読で定着したもの。歴史的仮名遣いっぽく「大ひに」と書いたら赤恥。交々「こもごも」、抑々「そもそも」、唯々「ただ」、略々「ほぼ」。「ただただ」「ほぼほぼ」と書いたら赤恥。会社では「ほぼほぼ」って言う人いるけど、四回反復なのか。

『三国志』文帝紀の和刻本に「心を斉しふし、帰を同じふす」と書いてある。「ひとしゅーし、おなじゅーす」と読ませたいらしい。でもこれが形容詞のシク活用だとすれば、「斉しくし、同じくす」が本来で、音便になっても「斉しうし、同じうす」とすべきで、ハ行の活用にはなるまい。

順次、追記してゆきます。140220

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