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- 魏晋革命(曹奐→司馬炎)
『晋書』巻三武帝紀
田中愛子氏の翻訳をひもづけながら、書き下します。
http://kurekiken.web.fc2.com/data/2004/040514.html
書き下し文は、ぼくが勝手につくっているもので、田中氏とは関係がありません。田中氏の翻訳を参考にしておりますが。
是時晉德既洽,四海宅心。於是天子知曆數有在,乃使太保鄭沖奉策曰:「咨爾晉王:我皇祖有虞氏誕膺靈運,受終于陶唐,亦以命于有夏。惟三后陟配于天,而咸用光敷聖德。自茲厥後,天又輯大命于漢。火德既衰,乃眷命我高祖。方軌虞夏四代之明顯,我不敢知。惟王乃祖乃父,服膺明哲,輔亮我皇家,勳德光于四海。是の時 晉の德 既に洽(あまね)く、四海 心を宅す。是に於て天子 曆數の在(ざい)有ることを知り、乃ち太保の鄭沖をして策を奉ぜしめて曰く、
田中氏の訳:この時、晋の徳は既に広まっており、天下の者はみな晋に心を寄せていた。そこで、皇帝(曹奐、魏の元帝)は易姓の時がめぐり来たことを知り、太保の鄭沖に策命を奉じさせた。「咨(ああ)爾(なんぢ)晉王よ。我が皇祖有虞氏誕(おほ)いに靈運を膺け、終に陶唐より受け、亦た以て有夏を命(もち)ふ。惟ふに三后 天に陟(すす)めて配し、而して咸な光を用て聖德を敷く。
田中氏の訳:嗚呼、汝晋王(司馬炎)よ。我が皇祖有虞氏(舜)は大いに霊運を享け、陶唐(尭)から帝位を引き継ぎ、また、有夏(禹)に帝位を禅った。三人の名君(尭・舜・禹か)は亡き天子を天とともに祀り、みなその威光によって聖なる徳を敷き広めた。茲(こ)れ自(よ)り厥(そ)の後、天又た大命を漢に輯(あつ)む。火德 既に衰へ、乃ち命を我が高祖に眷(かへり)みる。方(まさ)に虞夏四代の明顯に軌(したが)ひ、我 敢へて知らず。惟だ王 乃(なんぢ)が祖・乃(なんぢ)が父、明哲を服膺し、我が皇家を輔亮し、勳德 四海に光(かがや)く。
田中氏の訳:その後、天はさらに大命を漢の上に集めた。火徳(漢)が衰えると、我が高祖(曹操)にいつくしみを垂れ重任を賦与した。私は虞夏四代(虞夏は舜と禹、「四代」が誰を指すかは不明)の明哲に従い、自ら進んで統治を為さんとはしない。王の祖父と父は、如何なる時も賢明で、我が皇室を輔弼し、勲徳は四海に輝いた。
ぼくは思う。「命」が、田中氏では「重任」になってる。
格爾上下神祇,罔不克順,地平天成,萬邦以乂。應受上帝之命,協皇極之中。肆予一人,祗承天序,以敬授爾位,曆數實在爾躬。允執其中,天祿永終。於戲!王其欽順天命。率循訓典,底綏四國,用保天休,無替我二皇之弘烈。」帝初以禮讓,魏朝公卿何曾、王沈等固請,乃從之。爾(なんぢ)上下の神祇に格(いた)し、克順せざる罔(な)く、地は平らぎ天は成り、萬邦以て乂(おさ)まる。上帝の命を應受し、皇極の中に協(かな)へ。肆(ゆえ)に予一人、祗(つつし)みて天序を承け、敬を以て爾(なんぢ)に位を授く。
田中氏の訳:天地の神々をも動かしめ、秩序は治められざる無く、天地は平らげられ、万邦は安んぜられる。上帝の命を受け、大中至正(広大で偏らず正しいこと。治世の要道の一つ)に合すべし。今、朕は、謹んで天序を受け、敬意をもって汝に位を授ける。
ぼくは思う。「大中至正」が冒険されてます。曆數 實(まこと)に爾(なんぢ)の躬(み)に在り。允(まこと)に其の中を執(と)れば、天祿 永く終らん。於戲(ああ)、王其れ欽みて天命に順へ。循(したが)ふものを率ゐて典に訓(したが)ひ、四國を底綏し、用て天休を保て。我が二皇の弘烈を替(すた)れしむこと無かれ」と。
田中氏の訳:帝位に就くべき命運はまことに汝の身に在る。中庸の道を執り守れば、天祚はとこしえに続く。嗚呼、王よ謹んで天命に従え。人民を導いて訓典に従い、四方を安んじ、それによって天祚を保て。我が二皇(曹操と曹丕か)の大業を廃らしむるなかれ。帝初め禮を以て讓し、魏朝の公卿たる何曾、王沈等固く請ひ、乃ち之に從ふ。
田中氏の訳:武帝は初め礼を以って辞退していたが、魏朝の公卿である何曾や王沈らに強硬に請われ、彼らの要請に従うことにした。
曹丕に比べると、だいぶシンプルですね。140210閉じる
- 晋宋革命(司馬徳文→劉裕)作成中
- 二年四月,徵王入輔。六月,至京師。晉帝禪位于王,詔曰:
(元熙)二年四月、王を徵して入輔せしむ。六月、京師に至る。晉帝位を王に禪り、詔に曰く、
夫天造草昧,樹之司牧,所以陶鈞三極,統天施化。故大道之行,選賢與能,隆替無常期,禪代非一族,貫之百王,由來尚矣。晉道陵遲,仍世多故,爰暨元興,禍難既積,至三光貿位,冠履易所,安皇播越,宗祀墮泯,則我宣、元之祚,永墜于地,顧瞻區域,翦焉已傾。相國宋王,天縱聖德,靈武秀世,一匡頹運,再造區夏,固以興滅繼絕,舟航淪溺矣。若夫仰在璿璣,旁穆七政,薄伐不庭,開復疆宇。夫れ天造草昧,樹之司牧,所以陶鈞三極,天を統べ化を施す。
ぼくは思う。この書き出しは、曹丕と司馬炎になかった。故に大道の行はるるや、賢を選び能に與(くみ)し、隆替〈隆盛と衰退〉は常期無く、禪代は一族に非ず、之を百王に貫き、由來尚矣。晉道は陵遲し、世に仍りて故多く、爰に元興に暨び、禍難 既に積し、三光 位を貿(か)ふるに至り、冠履 所を易へ、安皇〈安帝〉播越し、宗祀 墮泯し、則ち我が宣・元〈司馬懿と司馬炎〉の祚、永く地に墜ち、區域を顧瞻し、翦焉たりて已に傾く。相國・宋王、天 聖德を縱にし、靈武 世に秀で、一たび頹運を匡し、再たび區夏を造し、固に以て興滅・繼絕、舟航 淪溺す。若夫れ璿璣を仰在し、七政を旁穆し、不庭を薄伐し、疆宇を開復す。
遂乃三俘偽主,開滌五都,雕顏卉服之鄉,龍荒朔漠之長,莫不迴首朝陽,沐浴玄澤。故四靈効瑞,川岳啟圖,嘉祥雜遝,休應炳著,玄象表革命之期,華裔注樂推之願。代德之符,著乎幽顯,瞻烏爰止,允集明哲,夫豈延康有歸,咸熙告謝而已哉!昔火德既微,魏祖底績,黃運不競,三后肆勤。故天之曆數,實有攸在。朕雖庸闇,昧於大道,永鑒廢興,為日已久。念四代之高義,稽天人之至望,予其遜位別宮,歸禪于宋,一依唐虞、漢魏故事。遂乃三俘偽主,開滌五都,雕顏卉服之鄉,龍荒朔漠之長,莫不迴首朝陽,沐浴玄澤。故に四靈に効瑞あり、川岳に啓圖あり、嘉祥は雜遝し、休應は炳著し、玄象は革命の期を表し、華裔は樂推の願を注ぐ。代德の符、幽顯に著はれ、瞻烏 爰の止、允に明哲に集ひ、夫れ豈に延康 歸する有り、咸な熙く謝を告ぐること而して已なるかな。昔 火德 既に微へ、魏祖 績を底ひ、黃運 競はず、三后 勤に肆む。故に天の曆數、實に攸在有り。朕 庸闇にして、大道に昧しと雖も、永く廢興に鑑み、日を為すこと已に久し。四代の高義を念じ、天人の至望を稽ふるに、予 其れ位を遜り宮を別にし、宋に歸して禪ること、一えに唐虞、漢魏の故事に依らん。
詔草既成,送呈天子使書之,天子即便操筆,謂左右曰:「桓玄之時,天命已改,重為劉公所延,將二十載。今日之事,本所甘心。」甲子,策曰:詔の草 既に成り、天子に送呈して之を書かしめ、天子 即便ち筆を操り、左右に謂ひて曰く、「桓玄の時、天命 已に改まり、重ねて劉公の延ばす所と為ること、將に二十載にならんとす。今日の事、本より心に甘ずる所なり」と。甲子、策して曰く、
咨爾宋王:夫玄古權輿,悠哉邈矣,其詳靡得而聞。爰自書契,降逮三、五,莫不以上聖君四海,止戈定大業。然則帝王者,宰物之通器;君道者,天下之至公。昔在上葉,深鑒茲道,是以天祿既終,唐、虞弗得傳其嗣;符命來格,舜、禹不獲全其謙。所以經緯三才,澄序彝化,作範振古,垂風萬葉,莫尚於茲。自是厥後,歷代彌劭,漢既嗣德於放勛,魏亦方軌於重華。諒以協謀乎人鬼,而以百姓為心者也。咨 爾 宋王よ。夫れ玄古の權輿、悠哉邈矣、其の詳靡 得て聞く。爰に自ら書を契ぶこと、降りて三・五に逮び、上聖を以て四海に君たらざる莫く、戈を止め大業を定む。然れば則ち帝王なる者は、宰物の通器なり。君道なる者は、天下の至公なり。昔 上葉在りて、深く茲の道に鑒み、是を以て天祿 既に終はり、唐・虞 其の嗣に傳ふることを得ず。符命 來り格り、舜・禹 其の謙を全うすることを獲ず。經緯の三才を以てする所、澄序彝化、範を作り古を振はせ、風を萬葉に垂れ、茲より尚ぶこと莫し。是より厥の後、歷代 彌劭し、漢 既に德を放勛に嗣ぎ、魏 亦た方に重華に軌る。人鬼に協謀するを以て諒り、而して百姓を以て心と為すなり。
昔我祖宗欽明,辰居其極,而明晦代序,盈虧有期。翦商兆禍,非唯一世,曾是弗剋,矧伊在今,天之所廢,有自來矣。惟王體上聖之姿,苞二儀之德,明齊日月,道合四時。乃者社稷傾覆,王拯而存之,中原蕪梗,又濟而復之。自負固不賓,干紀放命,肆逆滔天,竊據萬里。靡不潤之以風雨,震之以雷霆。九伐之道既敷,八法之化自理。昔 我が祖宗 欽明なりて、辰 其の極に居り、而して明晦 序を代へ、盈虧 期有り。兆禍を翦商するに、唯だ一世に非ず、曾て是 弗剋、矧伊 在今、天の廢する所、自來有り。王の體 上聖の姿を惟るに、二儀の德を苞み、明るきこと日月に齊しく、道ふこと四時に合す。乃者 社稷 傾覆すれば、王 拯ひて之を存し、中原 蕪梗すれば、又た濟ひて之を復す。自負 固に賓せず、干紀放命、肆ままに滔天に逆らひ、竊かに萬里に據る。靡不潤之 風雨を以てす、之を震はすに雷霆を以てす。九伐の道 既に敷かれ、八法の化 自ら理あり。
豈伊博施於民,濟斯黔庶;固以義洽四海,道威八荒者矣。至於上天垂象,四靈效徵,圖讖之文既明,人神之望已改。百工歌於朝,庶民頌于野,億兆抃踊,傾佇惟新。自非百姓樂推,天命攸集,豈伊在予,所得獨專。是用仰祗皇靈,俯順羣議,敬禪神器,授帝位于爾躬。大祚告窮,天祿永終。於戲!王其允執其中,敬遵典訓,副率土之嘉願,恢洪業於無窮,時膺休祐,以答三靈之眷望。豈に伊れ博く民に施し、斯れ黔庶に濟はん。固に義を以て四海に洽げ、道 八荒を威する。上天に垂象を至し、四靈 徵を效す。圖讖の文 既に明らかにして、人神の望 已に改まる。百工 朝に歌ひ、庶民 野に頌し、億兆 抃踊し、惟新に傾佇す。自ら百姓 樂推するに非ず、天命 攸集し、豈に伊れ予に在らん、獨り專らすることを得る所なり。是を用て皇靈を仰祗し、羣議を俯順し、神器を敬禪し、帝位を爾の躬に授く。大いに祚ひて窮を告ぐれば、天祿 永く終らん。於戲、王 其れ允に其の中を執れ、典訓に敬遵し、率土の嘉願に副ひ、業を無窮に恢洪し、時に休祐を膺け、以て三靈の眷望に答へよ。
又璽書曰:蓋聞天生蒸民,樹之以君,帝皇寄世,實公四海,崇替係於勳德,升降存乎其人。故有國必亡,卜年著其數,代謝無常,聖哲握其符。昔在上世,三聖係軌,疇咨四嶽,以弘揖讓。惟先王之有作,永垂範於無窮。及劉氏致禪,實堯是法,有魏告終,亦憲茲典。我世祖所以撫歸運而順人事,乘利見而定天保者也。而道不常泰,戎夷亂華,喪我洛食,蹙國江表,仍遘否運,淪沒相因。逮于元興,遂傾宗祀。幸ひに神武・光天に賴り、大節宏發,我が社稷を匡復し、我が國家を重造す。惟だ王の聖德 欽明にして、則ち天光 大なりて、期の誕いに載するに應じ、明かに王室を保つ。內は國難を紓ひ、外は宏略を播げ、太憝を漢陽に誅し、僭盜を沂渚に逋へ、西岷を澄氛し、南越を肅清し、再び江・湘を靜にし、樊・沔を拓定す。若乃 永懷區宇,思一聲教,王師の首路は、伊・洛の澄流に則り、稜威崤・潼,華嶽の褰靄に則り、偽酋 璧を銜へ、咸陽 即ち序す。彝器の銘ずる所、詩書の詠ずる所と雖ども、庸勳の盛、之に二を與ふること莫きなり。遂偃武修文,誕敷德政,八統以馭萬民,九職以刑邦國,思兼三王,以施四事。故能信著幽顯,義感殊方。自歷世所賓,舟車所暨,靡不謳歌仁德,抃舞來庭。
朕每敬惟道勳,永察符運,天之曆數,實在爾躬。是以五緯升度,屢示除舊之迹;三光協數,必昭布新之祥。圖讖禎瑞,皎然斯在。加以龍顏英特,天授殊姿,君人之表,煥如日月。傳稱「惟天為大,惟堯則之」。詩云:「有命自天,命此文王。」夫「或躍在淵」者,終饗九五之位;「勳格天地」者,必膺大寶之業。昔土德告沴,傳祚于我有晉;今曆運改卜,永終于茲,亦以金德而傳于宋。仰四代之休義,鑒明昏之定期,詢于羣公,爰逮庶尹,咸曰休哉,罔違朕志。今遣使持節、兼太保、散騎常侍、光祿大夫澹,兼太尉、尚書宣範奉皇帝璽綬,受終之禮,一如唐虞、漢魏故事。王其允答人神,君臨萬國,時膺靈祉,酬于上天之眷命。王奉表陳讓,晉帝已遜琅邪王第,表不獲通。於是陳留王虔嗣等二百七十人,及宋臺羣臣,並上表勸進。上猶不許。太史令駱達陳天文符瑞數十條,羣臣又固請,王乃從之。王 表を奉じ讓を陳べ、晉帝 已に琅邪王の第に遜り、表 通ずるを獲ず。是に於て陳留王の虔嗣等 二百七十人、及び宋臺の羣臣、並びに上表して勸進す。上 猶ほ許さず。太史令の駱達 天文・符瑞の數十條を陳べ、羣臣も又た固く請ひ、王乃ち之に從ふ。
ぼくは思う。曹丕には、太史令の許芝がネジこんだ。閉じる